櫻井よしこ氏の「武漢ウィルス以後」の評論を読んだ。
氏の主張されるところでは、現在の中国の対外強硬姿勢は中国共産党が指導する「勿忘国恥(国恥を忘れること勿れ)」がすべてであるとし、国恥とはアヘン戦争(1840~60年)、日清戦争(1894~95年)、義和団事件(1900年)、満州事変・日中戦争(1931~45年)の約100年間を指していると訓えている。確かにアヘン戦争前の中国(清王朝)は列国から眠れる獅子と恐れられていたが、イギリスの遠征艦隊にぼろ負けしたことに依って威信は地に落ちて、大東亜戦争終結まで列国の草刈り場に堕してしまった。この「対外戦争全敗の100年間の恥辱」を晴らすことが中国共産党の使命としているのは確かであろうし、習近平氏は自身を臥薪嘗胆した夫差・勾践になぞらえているのかも知れない。自分は、中華思想とは漢民族以外を『東夷・南蛮・北狄・西戎』と区分した中国4千年の歴史の延長と考えていたが、そうでもないようである。「誰も知らなかった皇帝達の中国(岡田英弘著)によると、始皇帝の晋王朝が中国を統一する以前では『東夷・南蛮・北狄・西戎』の中心とするのは漢民族ではなく、単に洛陽盆地という狭い地域を中心として四位に住む人を指していたものであるらしい。洛陽盆地東方で農業と漁業で生活を立てる人を「夷:低地人」、北方の森林地帯に住む狩猟民を「狄:交易の「易」)、西方の遊牧民を「戎:絨と同じく羊毛)、南方の山岳地帯での焼き畑農耕民を「蛮:人という現地語」で呼んでいたものであるらしいが、時代とともに漢民族を世界の中心・頂点として朝貢する民族の蔑称に変化したようである。
漢民族が最近に中国の全権を握ったのは1911年の辛亥革命で満州族の清王朝を倒したことであり、また、中国では王朝が変わるたびに国号を変えるために中国共産党(中華人民共和国)が国恥とする事案の全ては、中国共産党が完全否定した満州族と国民党が関係しているものであることから、清算は既に終わっているようにも思えるが。櫻井よしこ氏の評論で知ったことであるが、中国高官が「オーストラリアを発見したのはクック船長より400年も前の「元朝(モンゴル族)」時代の中国探検隊である」と最近の公式の場で発言しているそうである。チベット併合やウイグル族の蹂躙など漢民族以外は『東夷・南蛮・北狄・西戎』と蔑視以上の苛斂誅求に徹する一方で、プロパガンダのためには彼等の存在を平然と利用する中国。習近平氏を国賓として処遇することは、東夷(日本)の朝貢にも等しいというべきではないだろうか。