もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

英雄の受難

2020年07月16日 | 韓国

 韓国の英雄で先日死去した元合同参謀会議議長の白善燁大将の評価が分かれていることが報じられた。

 朝鮮戦争における救国の英雄で「白将軍」と称えられた白善燁大将の告別式は15日に陸軍葬として行われたが、首相は参列したものの大統領府からは秘書室長等の参列に留まり、文大統領からは弔花のみであったらしく、埋葬地もソウルの国立顕忠院よりは下級とされるで大田市内の国立顕忠院であったらしい。将軍が左系の文大統領からここまで冷遇されるのは、将軍が満州軍官学校卒業後に満州国軍人として、抗日勢力の討伐に従事したことから後に「親日派」のレッテルを張られたことに起因しているらしい。朝鮮戦争における将軍の戦歴の詳細は置くとして、韓国の最後の拠点となった釜山を死守して国連軍反攻の時間を稼ぐとともに、仁川逆上陸後には韓国軍の先頭に立って戦闘指揮し、もし将軍の存在が無かったら、現在の大韓民国は存在していないであろうとまで評されている反面、文大統領をはじめとする左翼系からは、将軍の奮戦が現在の南北分断を固定化させたともされている。テレビ番組に出演した女性弁護士は「朝鮮戦争で、我が民族である北朝鮮に銃を撃って国立墓地に埋葬さてはならない」と述べたとされているが、先に我が民族である南朝鮮を撃ったのが金日成であるという視点は見事に欠け落ちている。法治国家では禁じ手とされている遡及法を作ってまで積弊清算に熱心な韓国であるが、親日派というレッテルを貼って個人を攻撃するという風潮は何時頃から始まったのだろうか。朝鮮戦争後の将軍の経歴を見ると、1959年合同参謀会議議長に就任、1961年~1967年駐フランス・カナダ大使、1969年朴正煕政権の交通部長官を歴任していることから見て、1970年代までは親日派なるカテゴリーは無かったように思える。「管子」は「衣食足りて礼節を知る」と教えたが、1980年代以降になって漸くに衣食足りた時、韓国人は礼節を知ることよりも、「領土拡大に貪欲な漢族・蒙古・満州族さえ欲しがらなかった国土」、「労働者・慰安婦の募集に嬉々として応じた現実」を何としても払拭したかったのだろうか。

 コロンブス・リー将軍・ワシントン・ジェファーソン等々、100年以上も前の歴史上の英雄とその事績が現在の尺度と価値観を以て相次いで否定されているが、歴史の歯車を逆転できない以上、英雄の完全否定からは何も生み出し得ないように思える。彼等の事績の延長上に生きている身としては、歴史を否定・抹消するのでは無く事績を歴史上の事実とクールに受け止めて将来に資することが賢明であると思うのだが。