GoToキャンペーンで東京都が除外されて発動されることとなった。
中国コロナの制御と経済活動という二律背反の施策を求められる政府と小池都政のせめぎ合いの折衷案であるが、まァやむを得ない決定であろうと考える。この方法を聴いたとき、「箱根の関所」が思い浮かんだが、関所と云えば小説にたびたび登場する箱根、西行法師の白河関、義経の安宅関くらいしか知らないので、関所について調べたが以下の記述はネット記事に自分の生半可の思い込みを混ぜたものであることを御承知願いたい。関所の歴史は古く、西暦646年の「大化改新の詔」で「鈴鹿(伊勢)・不破(美濃)・愛発(越前)」に「関塞」を置いたことに始まったとされていた。当時の平安京の常識では東海地方より北は蝦夷の地であり、北方の脅威から京都を防衛するための拠点としては妥当な設置であると思う。物流が発達して東北地方まで版図に組み込まれた鎌倉時代以降の関所は、中央(鎌倉)政権を守る防衛施設ではなく地方の群雄が「関銭」という地方税を徴収する税関的な施設となったとされている。江戸時代に入ると、江戸を守るため全国に53箇所(46箇所とも)に関所を設置し、初期には豊臣方の残党などの脅威を防ぐための軍事的拠点として、後には治安維持のための警察機能へと変化したようである。また、幕府が設置した関所の他にも各藩境には藩の関所が置かれて町民の逃散を防ぐとともに、防諜のために出入国管理を行ったことは、坂本龍馬脱藩のくだりや、薩摩藩の設けた関所では東国訛りの間諜が厳しく詮議摘発されたことに描かれている。日本四大関所と呼ばれるカテゴリーがあり、東海道(箱根・新居:静岡県湖西市)、中山道(碓氷・福島(木曽福島)であるらしい。箱根の関所で有名なのは「入り鉄砲に出女」であり、謀反を防ぐために武器の持ち込みと幕府側の人質である大名家族の逃亡を防ぐことが最大の任務であったとされている。一般民衆の往来については、通行手形の携帯が義務付けられていたが、男性の場合には通行手形も名主や町年寄いう政府機関に属さない者が発行していたらしく、宿屋の亭主が書いたものでもOKで、更には無携帯であっても関所役人の人体尋問をパスすれば通過できたようであり、国定忠治や清水次郎長は間道を抜ける関所破りを度々犯している。一方、女性「出女」の場合は、幕府機関の御留守居役が発行する「御留守居証文(女通行手形)」を所持することが絶対で、手形には、女性の素性や、旅の目的、行先を始め、髪形、顔・手足の特徴などが細かく記載されており、「女改め」で記載内容と一致しなければ関所は通れなかったとされている。
現在、北京市を出入りする場合はPCR検査陰性の証明書を提示することが必要とされ、関所と通行手形の制度は中国で機能しているようである。GoToキャンペーンでは東京都を除外し、他県から東京に旅行するのは補助金の対象となるが、東京都民の旅行は対象外とされるようである。通行手形は「出都民は全額自腹で旅行」という餌のみという仕組み、早速にも国民平等に対する憲法違反という大上段の意見も出始めているが、サテ如何様な結末になるのだろうか。