今月(2020年7月)2日に関東上空で目撃された火球の正体(隕石)が習志野市で発見された。
発見場所がマンションの共用廊下と駐車場であると報じられたが、これまで隕石は超高速で落下するのでクレーター形成したり大きな被害を伴うものと思い込んでいたので、発見場所に転がっていたという報道にいささかの不明を恥じた。それとともに、今回の発見を加えても日本にある(極地研究所が保有する南極隕石等を除く)隕石が53個と少ないことも驚きであった。ネット上のデータでは、球粒隕石42個、鉄隕石9個、石鉄隕石1個となっていたので、今回発見された隕石は球粒隕石にカウントされるのだろうか。更に調べると、隕石が生成された時期や鉱物の含有率で学術的には複雑に分類されているようであるが、自分にとってはこの程度の理解で十分であると納得した。日本の隕石のうち落下時期が判明している最古の隕石は、平安時代の861(貞観3)年5月19日に福岡県直方市に落下し、須賀神社に保存されている直方隕石(472グラム)とされており、落下記録が残るものとしては世界最古とされている。次いで隕石落下が記録されたのは800年後の江戸時代の1632(寛永9)年9月27日であるので、武士の勃興や国盗り合戦の騒然とした世情では火球・隕石落下など記録する者もいなかった可能性も考えられるが、こうして漫然と隕石考を綴れるのは平和の有難さかも知れない。また、文字成立の歴史や国土の面積を考えれば、中国にはさらに古い隕石落下記録が残っていそうに思うが、王朝の興亡や政権内の権力闘争や権謀術策の記述に忙しかったのだろうか。
日本が、世界最古の隕石落下を記録し、なをかつ隕石自体を保存しているのは、日本の宗教観に基づくものかも知れないと考える。森羅万象ことごとくに八百万の神が宿るとする神道観に照らせば、火球やその原因と考えられる隕石を、記録し・保管し・或いは御神体として祀ることは神事であり、戦国の荒廃した世情や荒ぶる権力者の治世にも廃れることなく受け継がれたものかと思えば、我等の祖先は真の人格者揃いであったのだろうか。