犯行時19歳の少年であった関死刑囚(44歳)に、刑が執行された。
正直なところ、新聞の詳細記事を見るまで概要を思い出せなかった25年前の事件の犯人であり、死刑の効果は何なのだろうかと改めて考えさせられる出来事である。裁判の過程で、情状を最大限に酌量しても更生の見込みはなく社会復帰させるのは危険と判断された人間を25年間生き永らえさせる根拠は何なのだろう。広くには犯人に、犯行を悔いて人間性を取り戻させる時間を与えるためと言われており、現に獄中での思索と悔悟から従容として刑死した人物がいたのも事実であるらしいが、死刑囚が獄扉開錠の音に慄く日々を過ごしていることもまた事実であるらしい。死刑囚を長期間獄中に置き、人間としての尊厳を取り戻させた上で刑を執行することは日本人の情念・死生観としては理解できるが、死刑が意味するもう一つの犯罪の抑止のためには事件が風化した後の執行では無意味であると思う。死刑の執行については、死刑確定後3か月以内に法務大臣が命じなければならないと定められており、そこには記憶が新しいうちに刑を執行して正義が行われたことを社会に示すとともに、同種犯罪を抑止する効果を期待していると思う。司法が判断した刑の執行を行政が行うことも一部理解に苦しむところである。冤罪を防ぐとともに司法の暴走を行政が監視するためとは思うが、複数回の再審請求を司法が退けた段階で刑を執行する方が、犯罪の警鐘として有効であろうし、死刑囚に対しても些かの恩情であろうと思う。
現在、未執行の死刑囚は122人いると報じられている。死刑廃止論者は死刑の代わるものとして終身刑を提案しているが、実現した場合、現在の無期懲役相当と判決される犯罪の多くが終身刑となるだろうし、そうなれば更生が期待できない犯罪者に無駄な国費を使用することにならないだろうか。