もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

伊方原発判事に思う

2017年12月15日 | 社会・政治問題

 広島高裁が、再稼働した四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の運転差し止めを命じた。

 ある程度のリスクを覚悟した上での原発容認論者としては、高裁の判断理由が納得できない。運転差し止めと判断した要因は、直線距離で130Km離れた阿蘇山での90万年前の大噴火の再来に対応できないとするものである。当該噴火の場合、九州一円はほぼ壊滅し死者は1000万人に上るとともに日本全土が10cmに及ぶ火山灰で覆われので関東以西には住めなくなると予測されているもので、そうなれば原発の安全性どころの話ではないだろう。今回の判断に従えば、川内(鹿児島)、玄海(佐賀)、島根の原発稼動など論外で、該当地域への居住を認める住民登録や建築許可まで否定しなければならないことになるのではないだろうか。人が生活し噴火災害に遭うのは認めるが噴火に伴う原発災害は認めないとする判断は、論理として成立しない韓国式の司法運用と思う。裁判長として今回の判断を下した野々上友之判事は間もなく定年退官するとのことであるので、なにやら退官後の道筋をつけるための策動かと邪推される判断ではないだろうか。世間には現職の晩年に猟官運動に励む、或いは、現職晩年の実績を以って老後の安寧を図るケースがしばしば見受けられる。大統領選出馬を目指した韓国出身の国連事務総長「潘基文」が中国の戦勝記念式典に参加したこと、馘首された前川喜平が身過ぎ世過ぎのために反政府言動を続ける姿など枚挙にいとまがない。

 晩節を汚した感ある野々上判事も、退官後の糊口は確保したものの世間様からは尊敬を受けることのない老後を過ごすことになるだろう。


羽生永世7冠と井山7冠に国民栄誉賞

2017年12月14日 | 社会・政治問題

 羽生永世7冠と井山7冠に国民栄誉賞が内定した。実際は検討の段階であるが"決定"としても良いと思う。

 両棋士の戦績は言うに及ばず高潔な人格をも彷彿とさせる言動も、授賞に相応しいと考える。ザル・ヘボ・今朝のメニューさえ覚束ない自分としては驚異のことであるが、一流棋士は自己の対局のみならず主要な対局の棋譜を全部諳んじているという。また、次の一手から派生される千変万化を長考の上読み解くなど想像を絶することである。近年、棋士とコンピュータの対決が興味を持たれ、現在では棋士の方が若干劣勢に立たされている。その原因を問われた羽生九段は、棋士が負ける原因は「棋士が恐怖心を持っていることだ」と答えている。"負けるかも知れない""負けた場合どうなるか"等々、コンピュータには無い感情が、失着・緩手を生むという事だろう。コンピュータの世界も量子コンピュータの出現で演算速度はさらに向上するとともに、AI機能でより人間に近い世界に移行しようとしている。となると、AIが人間に近い判断力を持った場合、記憶力は人間を凌駕するものの"この対局に負けたら壊されるかもしれない"というような恐怖心から悪手・緩手を指すようになるのだろうか。ともあれ、両棋士の才能と研鑽に対し満腔の敬意を払うものである。

 ダブル受賞の例では、長嶋茂雄氏の授賞に際して松井秀喜氏にも授賞されたが、松井氏よりも、アジア人のメジャーリーグ挑戦に先鞭をつけるとともに、帰国後は少年野球チームを主宰する等社会貢献している野茂英雄氏を顕彰すべきと考えたが、今回のダブル受賞については文句のつけようがないと思うところである。


日韓議員連盟の弱腰

2017年12月12日 | 社会・政治問題

 超党派で作る日韓議員連盟が、韓国議連との合同総会を終えて共同声明を発表した。

 そこには、現在の日韓関係を損なっている日韓合意履行の文言はなかった。総会の中では日韓合意に関する日本側議員の発言もなされたが、共同声明作成の際に韓国側に配慮したようである。日本の政治家は、国際的な交渉・会談・協議の際には何らかの成果を盛り込んだ共同声明を出すことを成果の一つと考えているようであるが、相手側に大きく譲歩した共同声明は百害を後世に残すものであると思う。極論すれば共同声明を出せないのも成果の一つと考えるべきである。今回の共同声明を例にすれば、日韓関係最大のネックである「日韓合意の履行」を盛り込めなかったのは明らかに韓国の勝利であり、「日本の国会議員は、日韓合意履行に熱心ではない」というシグナルを送ったに他ならない。今後は日韓合意に関する総ての交渉のベースとして、今回の共同声明が使用されることは間違いのないところであると思う。連盟会長の額賀福四郎議員は、防衛庁長官や自民党3役を歴任した老練な政治家と思っていたが、永田町という井戸の中での腹芸のみで栄進し、外に向かっては物も言えない政治家と認識を改めざるを得ない。防衛庁長官や経済政策担当大臣として情報や交渉の重要性等の官僚的勉強はされたのだろうが、党人として持つべき迫力は身に着けておられないようで、不退転の意志を要する場では腰が引けるお方と感じた次第である。

 昨今の政治家には、田中角栄的な迫力ある政治家が見当たらない。気配十分であった石破茂氏も何やら優等生に変身してしまった。


南京虐殺カナダに飛び火

2017年12月12日 | 社会・政治問題

 南京虐殺の嘘がカナダ下院に飛び火した。

 香港出身の女性議員が激烈な演説をしたもので、議場からも拍手が沸いたと報じられている。南京虐殺は中国から逃れた宣教師が、避難の途中の路上に数体の中国人死体を見たとの証言が発端と思う。当初は連合国が、対日戦争における蒋介石支援の正当性を主張するための宣伝材料として使用されていたが、東京裁判で日本軍の残虐性を立証するために犠牲者が数千人に増幅された。当時の中国は正確な人口すら把握されていない後進国・未開発の状態であること、国共による内戦状態であったことから犠牲者数や加害者を特定できる状態ではなかったと思う。さらに、中国の実権を継承し一応の基礎を固めた中国共産党が1980年代以降、国内引き締めのために外患を利用するという古典的な手法のために教科書に記述したことから国際的に注目を浴びることとなった。その後、多くの検証報告なるものが犠牲者数を逐次増幅し現在では40~50万人という途方もない数字が独り歩きしている。ナチスやポルポトの例を見ても分かるように、ホロコーストには周到な準備と強固な意思統一が必要であるが、通常の軍隊組織をもってのホロコーストは行い得ないのは自明の理である。南京虐殺の真偽はさておき今回のカナダでの事象については、演説者が香港出身者であることである。また、中国から伝えられる情報には、自己中心的で他人の思惑などは歯牙にもかけない図式が多い。当該議員が帰化人か、在留人か、カナダ生まれの2・3世か分からないが、中国人(中国系外国人を含む)は極めて自己中心的であるが、中国人全体の尊厳を守るためには何でもするのかということである。しからば、蓮舫議員の心底や如何。

 日本の外交官のみならず、旅行者・在留邦人も自虐史観で育ったために、日本を貶める発言をすることが自分の成熟度をアピールできるとの誤った考えが心底にないだろうか。国を貶めることは、日本人を更には自分をも貶めることであることを改めて強調しておきたい。


前川喜平氏に思う

2017年12月11日 | 社会・政治問題

 前川氏が、朝鮮学校の高校無償化訴訟の原告側陳述書を提出し証人尋問にも応じるらしい。

 朝鮮学校の無償化停止の事務方決裁者であるとされているが、無償化反対を陳述するのだろう。さらには、安全保障関連法案阻止の国会前デモにも参加したと退官後に述べている。このような心情の公務員が、どうして文科省の事務方トップにまで昇進できたのだろうか。一般職国家公務員の勤務評定の詳細は知らないが、自衛官(特別職国家公務員)の場合、一次~三次監督者による3段階の評価を受け、さらには過去3回の評定が昇任等の選考基準とされるので比較的に不適格者を淘汰できる仕組みとなっているが、おそらくキャリア官僚の場合は看板だけで昇進し人格や思想などの人物評価はなされないために、行政官としては不適格の人物が次官にまで昇進できたのだろう。官僚の勤務評定の問題はさておき、前川氏は思想信条を偽って口に糊することを潔しとしていたのだろうか。彼の学歴であれば法曹資格を得ることも可能であっただろうし、そうなれば口舌を駆使する弁護士となって自分に忠実に生きることができ、汚辱にまみれた晩節を過ごすこともなかったであろうと思う。とはいえ、もし検察官や裁判官になって恣意的な判断を繰り返すようでは、それはそれで困ったことになったであろうが。

 人格の見定めや人物の評定は困難であろうが、前に書いた「地位と階級の適格性」「信条の適格性」のように、キャリア官僚と雖も組織に不要と判断される人物の淘汰が望ましいと考える。