もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

内奏映像の公開について

2019年05月21日 | 天皇・皇室

 宮内庁が陛下に対する安倍総理の内奏の映像を公開したことに一部野党が過剰反応している。

 野党の主張は、映像の公開は「天皇の政治利用」に当たるとするものである。憲法で天皇は「国政に関する権能を有しない」とされているために、天皇の役割を国事行為のみに限定して内奏を行う必要性はないとする論もあるらしいが、天皇は国賓の接遇や駐日大公使の信任状奉呈等の対外公的行為も担任されるので、日本国の現状を把握されるための内奏は必要であると考える。内奏の歴史をウィキペディアでみると、《芦田内閣時に、内奏は内閣総理大臣によるもののみとし閣僚によるものを廃止したが、第2次吉田内閣で閣僚による内奏が復活し、現在においても首相をはじめとした閣僚による内奏は不定期ながら行われている。政府は内奏について「天皇の教養を高めるために閣僚が所管事項の説明を行う」「国情を知って頂き、理解を深めて頂くということのためにご参考までに申し上げる」》としている。内装の映像公開は今回が初めてではなく、2013年10月にも宮内庁が公開しているが、当時の野党からは特段の反応はなかったとされている。以上の理由から、今回国民民主党の玉木代表と共産党の穀田国対委員長が天皇の政治利用と述べたことには疑問を持つものである。天皇の政治利用の例としては、民主党政権時に小沢一郎氏が慣例と儀礼を無視して、まだ国家元首でなかった習近平氏を天皇陛下に拝謁させたことや、園遊会で陛下に手紙を渡そうとした山本太郎氏の行動が思い出される。また増原恵吉防衛庁長官が内奏後に陛下のお言葉・ご感想を公にした事件も有名である(詳細は巻末に紹介)。しかしながら、今回の映像では音声もなく、宮内庁の説明の通り「皇室と陛下の日常の広報」以上のものではないと思う傍ら、内奏を疑問視して政治問題化しようとする玉木氏や穀田氏こそ天皇(天皇制)を政治的に利用しているのではなかろうかと思うものである。

 歴代天皇は観劇やスポーツ観戦に対しても贔屓の有無は口外されない。好きなTV番組は?と質問された昭和天皇が微笑んで口を濁されたように、ストイックなまでに不偏を貫かれておられる。有名人や総理大臣とのツーショット写真を掲げて日常の政治活動をPRする政治家も、陛下の写真を利用する人は少ないと思う。現憲法に定める立憲君主制下にあっては、天皇は政治的に無言で中立を貫き、国民は列国元首に負けない識見を持つ天皇を期待している。そのためにも内奏や御進講は必要であり、玉木氏は天皇が「裸の王様」であられることを良しとしているのだろうか。 

《参考:増原問題》1973年5月26日、田中角栄内閣における防衛庁長官の増原惠吉氏は昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏したとき、昭和天皇は「近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。国会でなぜ問題になっているのか」と述べられた。増原防衛庁長官は「おおせの通りです。わが国は専守防衛で野党に批判されるようなものではありません」と述べると、昭和天皇は「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは真似せず、よいところは取り入れてしっかりやってほしい」と述べられた。増原防衛庁長官はこの内奏の後に(感激のあまり?)記者会見でこの会話を公表し、「防衛二法(防衛庁設置法、自衛隊法)の審議を前に勇気づけられた」と話した。しかし、現役閣僚が天皇の政治的発言を紹介したことが5月28日に新聞記事に掲載され、野党側は「天皇の政治利用である」との批判を行い政治問題化した。問題が皇室に及ぶことを回避するため5月29日に増原防衛庁長官は辞任した。


オーストラリア総選挙結果に思う

2019年05月20日 | 社会・政治問題

 オーストラリアの総選挙で与党の自由党が過半数を制し、中国とは一定の距離を保つ政策が継続されることとなった。

 選挙戦当初は、自由党内の政争・混乱から野党である労働党への政権交代も取りざたされていたが、労働党敗北の原因は同党議員が在豪中国人富豪から多額の政治献金を受けて中国擁護の活動をしていたことが公になったことが大きいのではないかと考える。オーストラリアでは中国系国民は全人口の6%弱を占めており、彼等のネットワークを利用した中国政府の活動は活発で、政財界はもとより教育現場においても豪州全土41大学のうち14校に孔子学院が設立されている。オーストラリアにとって中国は最大の貿易相手国であるにも拘らず、有権者が与党の反中国政策を選択したのは、対中関係の停滞による経済の減速よりも自国文化の中国化を懸念した結果ではないだろうか。現在、中国の一帯一路回廊下にある東アジア各国、中東のイラン・イラクや欧州のハンガリー、イタリアとアメリカ封じ込めの環太平洋諸国(オーストラリア、カナダ、メキシコ)の政局は、いずれも米中選択の如何を軸に動いているように感じられる。おひざ元のアメリカ大統領候補の指名選挙戦でも、対中軟化の旗振り役を務めた民主党オバマ政権の副大統領であったハイデン氏が復権しそうな形勢と伝えられる等、アメリカ大統領選ですら対中国が争点とされている。オーストラリアの識者からは「現在オーストラリアで顕在化している中国の活動は、日本でも確実に進行している」とかねがね警告されている。中国政治の根幹は、改革解放を唱えて中国路線の基を築いた鄧小平氏の口癖「黒い猫でも白い猫でも構わない。ネズミを捕る猫が良い猫」に尽きる思いがする。漢民族のために利用できるものは国際社会からの糾弾に慮ることなく利用する手法は中国のお家芸であり、チベット、内モンゴル、香港で成果を挙げ、現在は魔手をさらに広げようとしている。

 オーストラリア識者の警鐘が真実であれば、日本の政治家にも中国マネーの余慶を受けて活動している鳩山由紀夫氏のような隠れ信者がいるかもしれない。中国経済圏への参加を望む連合を始めとする諸団体も中国の使嗾を受けての活動かとも疑えるし、観光や居住に適さない地方都市の水源地帯や原発・自衛隊基地周辺の土地取得を容認・看過する行政も疑惑の対象である。なにより、中国の国家戦略を政治の基本と綱領に謳う共産党の資金源と活動に対しては、もっと監視が注がれても良いのではと思うものである。


検察審査会を学ぶ

2019年05月18日 | 社会・政治問題

 検察審査会制度施行10年が経過し、制度を総括する特集記事を読んだ。

 これまで検察審査会が強制起訴したのは9件13人であるが、判決前の1件3人(東電福島事故関連)を除いて判決が確定した8件10人のうち、有罪とされたのは2件2名である。プロである検察が捜査して犯罪を立証できなかった事案に対して素人である検察審査会が強制起訴できる制度は、検察の「起訴独占」に対して風穴を開けるとともに裁判員制度と相俟って国民の処罰感情を優先する制度として法制化されたものと理解している。検察審査会が最初に強制起訴したのは「明石市花火大会の歩道橋事故」の県警明石署警備担当者であるが、起訴当初から事故は警備担当者の想定を遥かに超える群衆が警備員の統制を無視して無秩序に行動したことが原因とみられ、強制起訴は検察審査会の行き過ぎと非難する声が多かった。判決では免訴となったものの免訴確定まで6年間を要し、その間は被告であり続けたために、彼が被った公私にわたる不利益は想像を超えるものであったと思う。その他の無罪判決を得た方々についても、「社会的に抹殺され、生活が破綻した」方がいるとも記事は伝えている。検察審査会が強制起訴した人は拘留されることなく在宅のまま裁判に臨むため、検察が拘留して無罪となった場合に支払われる刑事補償の恩恵も受けられず、彼等の不利益は国家補償されていないと報じられている。このような不十分な制度が存在し続ける背景には、日本弁護士連合会の検察審査会に関する委員会の副委員長が「公開の法廷で裁くことが制度の主眼で、無罪判決が多発することは織り込み済みであった」とするコメントや、「審査員が検察官が説明する不起訴理由には耳を貸さない」という事実に端的に表れているように感じられる。権力に対する検察の阿りを排除しようとする法の精神は尊重すべきであるが、検察審査会の審理が未公開であり法的責任も問われないことから恣意的に運用されているように感じられることには改善の必要があるように思う。検察審査会が強制起訴した福島原発事故についても間もなく判決が出るが、未曾有の惨禍であるものの学会ですら予想できなかった規模の災害に対する経営責任はどのように判断されるのだろうか。

 小沢一郎氏と彼の資金団体である陸山会の金庫番が強制起訴された事件も象徴的である。東京地検が捜査したものの犯罪を立証できなかったものであり裁判の過程でも違法行為は立証できなかった。自分も陸山会の金の流れについては大いなる不信感を抱いていたが、適法に会計されていたのだろう。証拠主義に基づく現代法治社会にあっては情治は許されるべきではなく、検察審査会の強制起訴が人民裁判であってはならないとも思うものである。


アメリカの在イラク大使館員の退去

2019年05月17日 | アメリカ

 アメリカ国務省は、在イラク大使館員の国外退去(避難)を命じ、残留する緊急対応要員以外は既に出国したと報じられた。

 避難は民間機に依るとされているが、大使館員の居住地域(グリーンゾーン)で米軍ヘリが活発に行動したことから空港までの輸送は軍が担当したものと思われる。避難の全てを軍が担当しなかった背景は緊急度と脅威の分析に基づくものであろうが、硬軟織り交ぜた要人(邦人)保護のプログラムが機能していることを示していると考える。日本と比べて情報収集能力と軍事輸送能力の差とするのは簡単であるが、それ以上に国民(非戦闘員)の安全確保、なかんずく国家のために働く人の安全確保に対する意識の違いが見て取れる。避難の原因は、2015年のイラン核合意から米国が昨年5月に離脱して経済制裁を強化し、イランはホルムズ海峡封鎖と核開発の再開を宣言したことによる関係悪化であるが、直接的にはホルムズ海峡周辺海域でのタンカー攻撃とサウジアラビアへのパイプライン攻撃がイランの支援を受ける民兵組織によって起こされたとの分析によるものと考えられる。既にアメリカは地対空ミサイル「パトリオット」の増備、B52戦略爆撃機・空母「リンカーン」・ドック型輸送揚陸艦「アーリントン」を配備してイランによる米軍攻撃の兆候に備えているが、大規模作戦には空母戦闘群(CVBG)を2個以上投入するので、今回の展開は防御主体・小規模な反撃に限定するとのメッセージをイランに送ったものとも考えられる。 

 日本にとっては、今月になってアメリカが日本などに認めていたイラン産原油の輸入緩和適応除外を禁止したことから、輸入量の数%を占めるイラン原油の代替を他国に求めざるを得なくなった。しかしながらホルムズ海峡が航行不能となった場合にはサウジアラビア・アラブ首長国連邦(UAE)・カタールという輸入量では上位3位に位置する国からの輸入も絶望的となるために、当該国からの輸入増を求めることは不可能である。既にガソリンの小売価格は上昇の兆しを見せているが、紛争が長引いてホルムズ海峡が戦闘地域ともなれば、電力や輸送は致命的な影響を受けることになる。現在、安全対策未済として多くの原発を停止させていることから、過去に経験したこともないオイル・ショックに見舞われて全国的な計画停電を余儀なくされる事態も考えておかなければならない。


御朱印と吉幾三

2019年05月16日 | 芸能

 改元の日に因んだ御朱印がネット上で高値で取引されていることが話題となっている。

 御朱印とは?と思ってネット上を拾い読みした。御朱印が発行?されるようになった由来は諸説あるとされているが、室町時代末ごろから寺社(当時は神仏習合)に写経を奉納した証として発行されるようになったとするのが一般的であるらしい。江戸時代中期には現在のように料金を払えば多くの神社仏閣で御朱印を貰うことができるように変化したが、現在でも厳格に写経を奉納した人にのみ渡すという古刹もあるそうである。御朱印自体も、当初は神仏の印形だけであったらしいが、それではどこの寺社か分からないということから現在のような形式に変化したものであるらしい。御朱印の縁起はともかくとして、宗教関係者が口をそろえるのは、御朱印は神社仏閣に参詣して神仏との縁を持ったという証でありスタンプラリー的な収集・コレクションとは一線を画して欲しいとする点であり、羽生結弦選手等が参拝することで有名な大崎八幡宮の権禰宜が「ネット上で取引するのはもってのほかであるが、そもそも他人がお参りした証を欲しがる人がいるのだろうか」と述べているのが一般的な感想であると思う。しかしながら、先日参拝した神社で同年輩の参拝者から御朱印帳を見せてもらったが、墨痕鮮やかな神社名と朱印の対比は見事なもので、信仰心も収集癖もない自分であるがコレクターの心情もわかる気がした。御朱印に関するネット上の売買や神罰の有無はさておき、自分としては旅先での土産について「あまりにも形あるものにこだわる」ことに合点がいかないものである。思い出があれば十分で、年とともに薄れていく記憶を補完するための「さりげない1枚の写真」で十分ではないだろうか。こう書けば旅行関係者や観光産業従事者はたまた観光による経済効果を希求する政府関係者からお叱りを受けるであろうが、自分としてはそれで十分と感じるものである。

 吉幾三氏は嫁ぐ娘に対して「みんな思い出持って行け 写真一枚あればいい」と唄っており、海外旅行する人の多くは、帰国時には出発時よりもトランクが1個増えているそうである。現地でしか手に入らないものもあるだろうし、1枚の写真以上に記憶のよすがとしたいものもあるだろうとは理解できるが、それよりも現地の空気感や人々の暮らしに目を向けての貴重な体験を土産に帰国して欲しいと願うものである。パスポートも切れて出不精になった老人の繰り言をもって、本日終演。