glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

指圧の効果

2005-12-19 09:30:17 | Weblog
 昨日は姉を訪ねました。同じ関東に住んでいるんですが北と南の寒暖の差に驚きました。暑過ぎるくらいに感じていた電車の座席の温度を次第に感じなくなり、最終駅で降りた時の凍えるような風の冷たさに震えながら姉の家まで歩きました。

 家に着くなり指圧が始りました。
 実は姉は指圧師です。昔の定年は55歳だったでしょうか。定年前に夫を指圧学校へ通わせ、夫がよその指圧所で実習している間に、自分は昼働きながら夜間の指圧学校に通って資格をとり、定年と同時に指圧所を開業しました。

 数年後夫が倒れたのですが、看護しながら細々と営業しています。夫が倒れてから来る2月で18年になるそうです。
 その夫は脳出血・脳梗塞・腸捻転・前立腺ガン等々次から次へと入院を繰り返しているのですが寝込んではいません。姉はそれは指圧の効果と固く信じ1日に何度も夫に対し軽く指圧をしています。そして夫が手に麻痺があった時も自分に指圧をさせていました。このツボを押すという意志はリハビリ効果があったようです。当初スプーンさえ持てなかったのに今では年賀状書きも彼の仕事です。

 姉は指圧で病気は直せない。だけど循環を良くすることで病気回復を助けると言います。私は初めは嫌々ながら指圧されていました。今でも特に好きと言うわけではありません。
 ですが年と共に身体は硬くなるようで、指圧を受けた翌日は体が伸びたように感じます。

 今日はショボショボしていた目がスッキリしています。これも指圧の効果でしょうか?
  

 姉の話の中に一番身近なと言うか理解し合える人は誰かと言うのがありました。

 彼女は一番理解し合えるのは兄弟姉妹。これを1とすると子どもは2分の1.孫は4分の1の関係だと言うのです。

 もちろん他人である夫は0に近く互いに折り合いをつけて暮らす存在なのです。

 兄弟姉妹は例え個性は違っていても同じ両親から生まれ同じ環境で育ったので1番理解できる。夫は他人。他人との間にできた子は2分の1と言うことで・・・。

 私は姉のところを訪ねるのは好きではありません。ありとあらゆる彼女の周りに存在する苦情・苦言・愚痴・不満を吐き出す対象にされるからです。まあ、行かなくても突然に長い手紙が来ることもたびたびでした。姉は分ってくれると思って書いているのでしょうが、受け取る方はやり切れません。  

 そこで今日のエスペラントの格言は家族とか兄弟姉妹とかないか無いか捜したのですが見つかりませんでした。そこで Virino【女】にしました。




Virino estas tia objekto, kiun vi povas studi kiom vi volas , kaj tamen c^iam vi trovas en g^i ion novan. (L.N. Tolstoj)
 女はあなたがしたいだけ研究できるそんな対象物です、そしてあなたはその研究の中でいつでも新しい発見をします。

Virinoj estas sfingoj __ sen mistero. (O.Wilde)
 女達は神秘性の無いスズメ蛾である。 

Kiam knabinoj en sia modesteco diras 'ne', ili deziras, ke g^i estu komprenata kiel 'jes'. (Shakespeare)
  女の子達が自分は謙虚ではないと言う時は、彼女達が自分は謙虚であると理解して欲しいのです。

Bonmora knabino neniam postkuras knabon. C^ar c^u jam iu vidis , ke muskaptilo post kuras muson? (J. Tuwin)
 良い習慣の女の子は決して男の子を追いかけたりはしない。何故ってネズミ捕りがネズミを追いかけるのを誰か見ましたか。

 

Hm、Hm.samseksuloのワイルドにとって女性はうるさい蛾でしかなかったのだ!だけどスズメ蛾にお目にかっかたことはありません。
 トーウェンにとって男の子がネズミなのですね。日本ではどうでしょうか。




 
コメント (7)
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