今日5月9日をソ連・ロシアは第二次大戦の対独戦勝記念日としています。
ドイツは連合国の中でもソ連に降伏するのを拒み続けましたが、ついに降伏しました。
そしてその結果、ソ連の占領下に入った東ドイツはどうなったか?
戦後さほど経っていない時期の西ドイツの研究者の言葉です:
「ソ連軍による東ドイツの占領は、ドイツ国民の最悪の予想、いな西方世界の最悪の予想をも上まわる結果をもたらした。殺人・放火・婦女暴行は、ソ連人によって勝利者の正当な特権とみなされた。東部のドイツ人住民は、ソ連の占領を逃れるため流浪の旅に出た。…逃亡と追放によって、幾百万の人口移動が起った。こういうことは、文明化されたヨーロッパでは可能とは思われなかったことである。」(H・マウ/H・クラウスニック『ナチスの時代』)
そして戦後のドイツはこの「原点」を忘れたのか、ソ連・ロシアと組みましたが結果はロシアのウクライナ侵略と欧州に対する核攻撃の恫喝。
日本でも独ソ戦には比較的関心がもたれていますが降伏後の東ドイツで何が起こったか、もっと知るべきでは?
ドイツは連合国の中でもソ連に降伏するのを拒み続けましたが、ついに降伏しました。
そしてその結果、ソ連の占領下に入った東ドイツはどうなったか?
戦後さほど経っていない時期の西ドイツの研究者の言葉です:
「ソ連軍による東ドイツの占領は、ドイツ国民の最悪の予想、いな西方世界の最悪の予想をも上まわる結果をもたらした。殺人・放火・婦女暴行は、ソ連人によって勝利者の正当な特権とみなされた。東部のドイツ人住民は、ソ連の占領を逃れるため流浪の旅に出た。…逃亡と追放によって、幾百万の人口移動が起った。こういうことは、文明化されたヨーロッパでは可能とは思われなかったことである。」(H・マウ/H・クラウスニック『ナチスの時代』)
そして戦後のドイツはこの「原点」を忘れたのか、ソ連・ロシアと組みましたが結果はロシアのウクライナ侵略と欧州に対する核攻撃の恫喝。
日本でも独ソ戦には比較的関心がもたれていますが降伏後の東ドイツで何が起こったか、もっと知るべきでは?