褒めまくる映画伝道師のブログ

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映画 薔薇の名前(1986) 中世の修道院を舞台にしたミステリー

2022年09月18日 | 映画(は行)
 名優ショーン・コネリーが亡くなってから、もうすぐ2年が経つのかと思うと時の流れは早い。かつては007シリーズでジェームズ・ボンドを演じ、そのまま続けていればもっと大金が自分の懐にザックザックと入っていただろう。しかし、彼の役者魂が自分のキャリアをジェームズ・ボンドだけで終わらせることを許さなかった。ジェームズ・ボンドのイメージを完全に拭い去ったと個人的に思っているのが、今回紹介する映画薔薇の名前。それにしてもジェームズ・ボンド役では女たらしのスパイを飄々と男臭く演じていたイメージがあるが、ジェームズ・ボンド役を自ら降板してからは名優の貫録が抜群。本作においても色々と個性的な脇役陣が登場するが、その中でも抜群の存在感を発揮する。
 さて、本作は1300年代の中世、そして修道院を舞台にしたミステリーというのが珍しい。カトリック教会における宗教の知識や歴史に疎い人は観ている間は少し重苦しいと感じるかもしれないが、逆に言えば少しばかり中世の歴史とカトリックについて少しばかり学べた気分になれる。現在世界中にカトリック信徒が12億人いると言われる。キリスト教から派生した中でも最も多いのがカトリックだ。しかしながら、本作を観ればわかるがカトリックもこの時代になると教会において、腐敗、魔女狩り、免罪符を売りつけたり、徐々に本来の教義を忘れて私利私欲に走る人間が修道院の中にも、外にもたくさんいることがわかる。

 さて、ヨーロッパの中世、修道院を舞台にした本格的ミステリーのストーリーの紹介を。
 1327年の北イタリアにおいて。フランシスコ会のウィリアム修道士(ショーン・コネリー)は弟子であるアドソ(クリスチャン・スレイター)を伴って、高台にポツンと建っている修道院を目指していく。この修道院において、他の修道院の修道士もやって来て、ローマ教皇と今後の財産を含めたカトリック教会の方向を議論することが目的だった。
 しかし、頭脳明晰、観察力抜群のウィリアムは最近において、この修道院で殺人があったことを察知する。そのことを修道院長であるアッボーネ(ミシェル・ロンスダール)に問いかけると、アッボーネは驚きながらもそのことでウィリアムに相談して、殺人の真相を調べることを依頼する。しかし、瞬く間に殺人事件が再度発生。ウィリアムとアドソは調べれべ調べるほど複雑な人間関係がわかってくる。ようやく事件の真相とウィリアムのこの修道院に来た目的を達しようとしたときに過去に因縁のある異端審問会のベルナール・ギー(F・マーリー・エイブラハム)がやって来る・・・

 我ながら西欧の中世の時代に産まれなくて良かったと思えた。異端審問官なんて酷すぎる。こいつ等の行っている裁判なんかやばすぎて、うっかり宗教の自由なんて叫んでしまったら火あぶりの刑に遭ってしまう。俺なんかは今まで笑いの力は世界を平和にすると思っているのだが、ここに登場する修道士の中には『笑い』を許さない奴まで出てくる。どれだけカトリックというのは厳しいんだ。
 そんなカトリックの厳しさを見せつけられながら、ウィリアム修道士とアドソが殺人事件を捜査するのを見ているとシャーロック・ホームズとワトソン君のような関係で本格ミステリーとして楽しめる。そして、この修道院にはキリスト教圏内で一番大きな図書館があるというのが本作を面白くしている要素として挙げられる。この図書館の中がまるで迷路。ウィリアム修道士だからこっそり入って、抜け出すことができるが、俺がこんな図書館に入ってしまったら迷子になって死んでしまうだろう。なかなかのゴシック風で少々怖さを感じさせるサスペンス。タイトルの意味が俺にはよくわからなかったのだが、そのことを考えながら観るのも一興だろう。ちなみに本作はウンベルト・エーコの同名タイトルの小説の映画化。一度は読んでみたいのだが、なかなか文量が多いので根気のある人は小説を読んでください。

 監督はフランス人のジャン=ジャック・アノー。ブラッド・ピット主演のセブン・イヤーズ・イン・チベット、スナイパーの対決を描いたスターリングラードがお勧め。




 
 


 

 
 


 
 
 

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「薔薇の名前」 (オーウェン)
2024-08-04 13:54:05
ウンベルト・エーコのメタファーと引用に散りばめられた知の迷宮世界を、ジャン・ジャック・アノー監督流に映画化した怪奇幻想の中世ミステリーの異色作が「薔薇の名前」です。

この映画は、原作がイタリアの記号学者ウンベルト・エーコが1980年に発表した、古典的ミステリー小説の映画化で、監督が8万年前の人類の生活を描いた異色SFで、世界中の映画ファンを熱狂させた「人類創世」のジャン・ジャック・アノー。

主演が当時、円熟期を迎えていた我らが、初代ジェームズ・ボンドことショーン・コネリー。
共演にこの映画の前の出演作「アマデウス」で憎々しげなサリエリ役で、アカデミー主演男優賞を受賞したF・マーリー・エイブラハムとミステリ好き、映画好きが泣いて喜ぶメンバーが結集した映画です。

舞台は、中世ヨーロッパに異端審問の嵐が吹き荒れていた14世紀の、北イタリアのベネディクト修道院に、会議の準備のために、修道士のバスカヴィルのウィリアム(ショーン・コネリー)と見習い修道士のアドソ(クリスチャン・スレーター)がやって来るところからこの物語は始まります。

この修道院に着いた二人を待ち受けていたのは、不可解な殺人事件だった。
そこでキレ者の修道士のウィリアムとその弟子のアドソは、この修道院の文書館で、挿絵師として働く若い修道士が、謎の死を遂げ、それに続いて、ギリシャ語の翻訳を仕事とする修道士が殺されたため、これらの事件の真相究明に乗り出し、この事件が、文書庫と関係があると睨むが----という展開になっていく。

映画を観る前は、何かイメージ的に"荘厳で重厚なドラマ"だと思っていましたが、実際に観てみるとその内容は、"爆笑する恐怖ドラマ"で、映画のファーストシーンからラストシーンに至るまで、終始一貫して、この"二重構造"が貫かれているところが、潔いというか感心してしまいました。

とにかく、舞台が中世の僧院なので、暗くて、重たくて、難解そうだなという感じで、事実、画面は一貫して限りなく暗く、重たく、難解そうなムードが漂っているんですが----ところが中味はというと、全く正反対で終始笑えるほどのおかしさに満ち溢れているのです。

修道士のウィリアムとその弟子のアドソの関係は、かの名探偵シャーロック・ホームズとワトソン博士の関係になっていて、主人公がバスカヴィルのウィリアムス----これからわかるように、かのシャーロック・ホームズ物の名作「バスカヴィル家の犬」と言う事で、コナン・ドイルへのリスペクトとオマージュを捧げているのがわかります。

また、修道院に到着したウィリアムが、すばやくトイレの場所を推理してしまうシーンで、いきなり笑ってしまいます。

とにかく、"あぶり出し文字"はあるは、"からくり部屋"はあるは、"落とし穴"あり、"暗号"あり、"迷路"ありと、古典的なミステリーの定番がこれでもかこれでもかというくらいのオンパレード。
ミステリ好きにとっては、たまらない仕掛けが連続して、すっかりうれしくなってしまいます。

そして、連続殺人で殺されていく修道士たちの殺され方というのが、また、いちいち凝っていて笑わせてくれます。
その中でも一番おかしかったのは、大きな水ガメの中に頭を突っ込んで死んでいる人が、脚を思い切りVの字開きしていたのが、最高にチャーミングでお茶目な演出でした(笑)。

最後に超人ともいえるウィリアムが、絶体絶命の大ピンチに見舞われ、ああ、遂に彼も死んでしまうのか、どう頑張っても彼が生き延びる可能性はないなと思っていたら、何と彼は無事、生き延びてしまうのです。

どうやって、彼が危機を脱出出来たのかについての説明は全くありません。
後で、じっくり考えてみても、よくわかりません。

そこで私なりに推理してみました。多分、これは監督にもわからないでしょう。
彼が生き延びた理由は唯一つ、これしかありません。
それを演じていたのが我らがショーン・コネリーだったからなのです!!

これ以外に理由は、全く考えられません(笑)。
こういう、ある意味、いい加減なご都合主義の撮り方って大好きですね(笑)。

また、この映画にはとにかく、"異常な顔"がたくさん出てくるところも私好みです。
修道士がみんな、念入りにインパクトの強烈な顔の持ち主ばかり。
よくもまあ、これだけ凄い顔ばかり集めたものだと感心してしまいます。
その中でもロン・パールマン、彼の"異常な顔"には誰もかないません。

"まともな顔"というのが、主役のショーン・コネリーとその弟子のクリスチャン・スレーターだけというから、とにかく凄すぎます(笑)。

「アマデウス」でサリエリを完璧に演じたF・マーリー・エイブラハムが、完全な"悪玉"の顔になっていたのはさすがでした。

考えてみると、確かに中世の僧院というのは、相当、異常なところだったろうと思います。
この映画を観ていると、つくづく"カトリックの世界は、壮絶なサディズムとマゾヒズムのせめぎ合う世界"じゃないかとも思ってしまいます。
心理的なSMの美学の香りが漂ってきそうな雰囲気を妖しく醸し出しています。

この映画は表面的な中味は、ほとんどお笑いの世界なのですが、奥深いところで"カトリックのSMの美学"の方もしっかりと描いていて、この映画、一筋縄ではいかないというのか、なかなか侮れません。

そして、映画好きとしての、この映画の最大の見どころは何と言っても、主役のショーン・コネリーのカッコよさ、渋さにつきます。
同時期の「アンタッチャブル」(ブライアン・デ・パルマ監督)でも、彼の出演シーンだけ突如、渋いトーンになっていましたが、彼ほど年齢を重ねていくにつれて、魅力を増していく俳優も珍しいと思います。

何といっても、彼の年輪を重ねた顔のシワが、男としての魅力に満ち溢れています。
額なんか縦ジワと横ジワが交差してチェック柄になっていたりします。
それが、"老いのわびしさ"ではなくて、"老いの豊かさ"を象徴しているかのように見えてきます。

正しく、我らがショーン・コネリー、男としても役者としても円熟の境地です。

尚、この映画は1987年度の英国アカデミー賞にて、ショーン・コネリーが最優秀主演男優賞を受賞(納得の受賞です!)し、メイクアップ賞も受賞し、1986年フランスのアカデミー賞に相当するセザール賞にて、最優秀外国映画賞を受賞しています。
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