映画のタイトルにもなっている旋律の哀愁が漂う音楽は非常に有名。本作を観たことが無いと言う人でも、音楽は一度くらいは耳にしているはずだ。そんな音楽に乗せて、まだ年端もいかないような少女と、少女よりちょっと年上の少年の出会いから別れが描かれているストーリーが今回紹介する映画禁じられた遊び。
俺のようなすっかり心が汚れきった大人の男性が女性との出会い求める場合は余計なことを想像してしまう。しかし、本作における純真な少年と、無垢なる少女の出会いには汚れた部分は微塵も無い。少年と少女の純粋な出会いと交流を見せられると、異性を見るたびに発情したり、なんだか直ぐにドキドキしてしまう俺のような邪な考えを持っている大人は大いに反省させられるはずだ。
だが、その一方で、無垢なる心を持った少年と少女の交流は恐ろしいほどまでに残酷。経験不足から生じる死に対する無知、中途半端にしかしらない宗教の知識、世間の常識に対する欠如等から引き起こされる行為は、善意の表れであるのに、常に慈悲なる心で接する聖母マリア様ですら、この少年と少女の行動を許すことができない罰当たりな事。しかし、純粋な気持ちを無くしてしまった多くの大人は、無邪気な少年と少女の交流を一刀両断で否定できる奴は多くは居ないはずだ。
さて、音楽も名曲だがフランス映画の名作として未だに色あせることがない名作であるストーリーの紹介を
1940年の6月のフランス。パリはドイツ軍に占領されて逃げ惑う人達の中には幼い少女ポーレット(ブリジット・フォッセー)が居る。ドイツ軍の爆撃機の機銃掃射はポーレットの両親と愛犬を目の前で撃ち殺す。死の意味が理解できていないポーレットは両親の死に悲しむ様子も見せず、逃げ惑う群衆から離れ、死んだ愛犬を抱えて森の中を彷徨っていた。そんな時に彼女はミシェル(ジョルジュ・プージュリー)と出会う。ポーレットから両親の死を聞かされて可哀相に思ったミシェルは彼女を自分の家に連れて行き、家族もポーレットを暖かく迎え入れる。
ミシェルとポーレットの交流は順調に続くが、ポーレットはミシェルから『死んだ者はお墓に埋められる』ということを教えられる。そんなことすら知らなかったポーレットは死んだ愛犬を土の中に葬ったのを切っ掛けに次第にエスカレート。ヒヨコ、モグラ等ありとあらゆる死骸のお墓を次々に作る事に夢中になってしまう。
しかも、ポーレットはお墓の上に十字架が必要なことを知り、とんでもない要求をミシェルにしてしまい、彼女のためを想ったミシェルもとんでもない物を教会から盗もうとし・・・
冒頭から逃げ惑う市民を狙って爆撃を行う様子を見ているだけでもショックを受けるが、少女が両親の死よりも愛犬の死に反応する様子が更にショック。よほど飼っている犬が可愛かったんだと思ってたら、実はそれほど熱い気持ちが犬に対しても無かったことが判明。この少女の死に対する知識の無さだけでなく、まだ人間としての感情さえ芽生えていないことに驚かされる前半の描写がラストシーンで効いてくる。
無垢なる純粋さが残酷さを引き起こしてしまうことは別に戦争中に限ったことではない。いつもニコニコ、どこから見ても良い人である俺の優しさが相手にとって必ずしもプラスのことをもたらさないことは経験済み。いつの世の中においても善意が必ずしも報われるとは限らないし、本作を観ればそのことが大いに理解できるし、ますます悲しくなる。さて、純粋な交流で結ばれている少年と少女を引き裂かすのは、一体何であるのか?そのことを知った時、我々のような大人は自分を省みることになる。
そして、ラストの少女の叫びは少年との別れが悲しくなってきたことだけでなく、少しだけ死の意味を理解してしまった少女の心の成長も表わしているように俺には思えた。俺なんかは40歳をとっくに超えてもあの偉人である孔子のように不惑を迎えるどころか、戸惑うことだらけ。あ~、もっと成長したいと思っている今日この頃だが、成長することの残酷さまで表現したラストシーンには俺自身が大いに悩まされた。きっとラストシーンは観る人によって色々と感じ方があるだろうし、異なることもあるだろう。深~イ余韻に浸りたい人には映画禁じられた遊びをお勧めしておこう
監督はフランス映画界に一時代を築いたルネ・クレマン。本作以外に彼の代表作であるアラン・ドロン主演の映画太陽がいっぱいはお勧め。戦争映画の中にはオールキャスト出演の大作映画がありますが、そんな楽しみを求めている人にはパリは燃えているかもお勧めできる(古い映画なのでオールキャストと言っても知らない人ばかり出演している印象を持たれるかもしれませんが)。
俺のようなすっかり心が汚れきった大人の男性が女性との出会い求める場合は余計なことを想像してしまう。しかし、本作における純真な少年と、無垢なる少女の出会いには汚れた部分は微塵も無い。少年と少女の純粋な出会いと交流を見せられると、異性を見るたびに発情したり、なんだか直ぐにドキドキしてしまう俺のような邪な考えを持っている大人は大いに反省させられるはずだ。
だが、その一方で、無垢なる心を持った少年と少女の交流は恐ろしいほどまでに残酷。経験不足から生じる死に対する無知、中途半端にしかしらない宗教の知識、世間の常識に対する欠如等から引き起こされる行為は、善意の表れであるのに、常に慈悲なる心で接する聖母マリア様ですら、この少年と少女の行動を許すことができない罰当たりな事。しかし、純粋な気持ちを無くしてしまった多くの大人は、無邪気な少年と少女の交流を一刀両断で否定できる奴は多くは居ないはずだ。
さて、音楽も名曲だがフランス映画の名作として未だに色あせることがない名作であるストーリーの紹介を
1940年の6月のフランス。パリはドイツ軍に占領されて逃げ惑う人達の中には幼い少女ポーレット(ブリジット・フォッセー)が居る。ドイツ軍の爆撃機の機銃掃射はポーレットの両親と愛犬を目の前で撃ち殺す。死の意味が理解できていないポーレットは両親の死に悲しむ様子も見せず、逃げ惑う群衆から離れ、死んだ愛犬を抱えて森の中を彷徨っていた。そんな時に彼女はミシェル(ジョルジュ・プージュリー)と出会う。ポーレットから両親の死を聞かされて可哀相に思ったミシェルは彼女を自分の家に連れて行き、家族もポーレットを暖かく迎え入れる。
ミシェルとポーレットの交流は順調に続くが、ポーレットはミシェルから『死んだ者はお墓に埋められる』ということを教えられる。そんなことすら知らなかったポーレットは死んだ愛犬を土の中に葬ったのを切っ掛けに次第にエスカレート。ヒヨコ、モグラ等ありとあらゆる死骸のお墓を次々に作る事に夢中になってしまう。
しかも、ポーレットはお墓の上に十字架が必要なことを知り、とんでもない要求をミシェルにしてしまい、彼女のためを想ったミシェルもとんでもない物を教会から盗もうとし・・・
冒頭から逃げ惑う市民を狙って爆撃を行う様子を見ているだけでもショックを受けるが、少女が両親の死よりも愛犬の死に反応する様子が更にショック。よほど飼っている犬が可愛かったんだと思ってたら、実はそれほど熱い気持ちが犬に対しても無かったことが判明。この少女の死に対する知識の無さだけでなく、まだ人間としての感情さえ芽生えていないことに驚かされる前半の描写がラストシーンで効いてくる。
無垢なる純粋さが残酷さを引き起こしてしまうことは別に戦争中に限ったことではない。いつもニコニコ、どこから見ても良い人である俺の優しさが相手にとって必ずしもプラスのことをもたらさないことは経験済み。いつの世の中においても善意が必ずしも報われるとは限らないし、本作を観ればそのことが大いに理解できるし、ますます悲しくなる。さて、純粋な交流で結ばれている少年と少女を引き裂かすのは、一体何であるのか?そのことを知った時、我々のような大人は自分を省みることになる。
そして、ラストの少女の叫びは少年との別れが悲しくなってきたことだけでなく、少しだけ死の意味を理解してしまった少女の心の成長も表わしているように俺には思えた。俺なんかは40歳をとっくに超えてもあの偉人である孔子のように不惑を迎えるどころか、戸惑うことだらけ。あ~、もっと成長したいと思っている今日この頃だが、成長することの残酷さまで表現したラストシーンには俺自身が大いに悩まされた。きっとラストシーンは観る人によって色々と感じ方があるだろうし、異なることもあるだろう。深~イ余韻に浸りたい人には映画禁じられた遊びをお勧めしておこう
禁じられた遊び [DVD] | |
ブリジット・フォッセー,ジョルジュ・プージュリー | |
ファーストトレーディング |
監督はフランス映画界に一時代を築いたルネ・クレマン。本作以外に彼の代表作であるアラン・ドロン主演の映画太陽がいっぱいはお勧め。戦争映画の中にはオールキャスト出演の大作映画がありますが、そんな楽しみを求めている人にはパリは燃えているかもお勧めできる(古い映画なのでオールキャストと言っても知らない人ばかり出演している印象を持たれるかもしれませんが)。