褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 アマデウス(1984) 天才と凡人

2023年10月23日 | 映画(あ行)
 クラシック音楽にたいして興味が無い人でもモーツァルトの名前ぐらいは聞いたことがある人が殆どだろう。音楽もパッと思い出せなくても、聴けば、「あ~、あの曲はモーツァルトだったんだ」とわかる曲を多く遺している。そんな彼の本名はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この名前のミドルネームに当たる部分をタイトル化した映画が今回紹介するアマデウス。幼少の頃から既にピアノを弾き、6歳で既に作曲を始める等、神童の名を欲しいままにし、そして35歳で夭折するまで現代においてもクラシック愛好家から評価の高い曲を作り続けたモーツァルト。そんな彼の非常に興味深い伝記映画ではなく、ブロードウェイの舞台を映画化した作品。
 本作の面白いところは数多く流れてくる美しいモーツァルトの曲の数々だけではなく、人間として欠陥だらけに描いているところ。そして、そんな天才に対する対決軸として凡人を配して比較しているところが更に興味を引き立てる。凡人であるが故の苦しみ、悲しみが描かれているだけでなく、天才であるが故の脆さが描かれているあたりが、本作の真骨頂。耳障りの良さだけを描いているのではなく、他にも色々なテーマを内包しているように名作としての条件を揃えている作品だ。

 それでは天才と凡人の対決を描いたストーリーの紹介を。
 ある冬の夜。老人が「モーツァルト、許してくれ!君を殺したのは私だ」と叫びながら、首を斬って自殺を図る。老人の名前はアントニオ・サリエリF・マーリー・エイブラハム)。精神病棟に送り込まれたサリエリは若き神父に自らとモーツァルトトム・ハルス)との出来事を回想し語りだす。
 オーストリア皇帝ヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)に仕える宮廷作曲家であったサリエリは、かねてから神童と評判のモーツァルトの開催する音楽会を見に行き、彼がいか程の者か自分の目で確かめようとする。実際に確かめると、あまりにも想像とかけ離れていたことにショックを受ける。変な笑い声を挙げながら、女性を追いかけまわし、下品さを露骨に表していた。
 しかし、サリエリは外見とは全く異なるモーツァルトの音楽的才能に驚愕する。そして、神に敬虔な生き方をしてきたサリエリだったが、自分の信じる神がモーツァルトのような下品で失礼極まりない人物に音楽的才能を与えてしまったことに苦しみ、嫉妬を抱き、モーツァルトに猛烈な復讐を浴びせていく・・・

 サリエリが凡人の代表として本作で描かれているが、宮廷作曲家にまで登りつめているだけに決して不幸な人生を歩んできたようには思えないし、むしろ音楽の才能はあった方だろうなんて俺がサリエリに嫉妬してしまいそうになった。しかし、彼が俺以上に嫉妬深い人間として描かれている。神々しい音楽を次々に作り出し、しかも即興で作り出す恐るべき才能を何の努力も研鑽も積まずに持ってしまったモーツァルトに、音楽家として明らかに劣っていることを痛感してしまう苦しみ、そしてモーツァルトから小馬鹿にまでされてしまう始末。ここの描き方は、古い時代、古い有名人を描きながら嫉妬によって人生を狂わしていく現代にも通じるメッセージ性を強く感じさせる。特に本作は西洋人らしい宗教的観念をぶち込んでくる大袈裟な演出が効果的で、サリエリの苦しみが痛いほど伝わってくる(まあ、そうでもない人も居るっか)。サリエリを見ていると、凡人は凡人らしく生きることの大切さ。そして、自分の価値を他人と比較することの無意味さがわかる。
 歴史が証明するが、意外に天才とは脆くもあり、早くに消え去っていくものである。これは世界史だけではなく、日本史においてもいえることである。凡人の方が結構しぶとく生き残っていくものである。俺も今まで天才に憧れていたのに、何だか天才かどうかなんてどうでも良くなった。そして、アマデウスというのがラテン語で「神に愛された」という意味があることを知って、ヘェ~なんて驚きと同時に勉強にもなった。
 映画ならではのオペラシーンは楽しめるし、モーツアルトの美しい曲の数々に気分が害されることなく良い気分になったり、豪華セットが楽しめたり、観る人によっては更なるテーマ性を見つけ出したりできるような感想を持てる映画として今回はアマデウスをお勧めに挙げておこう

 監督はミロス・フォアマン。本作は名作としての誉れが高いですが、カッコーの巣の上でも名作です。そして宮廷画家ゴヤは見たも西洋史の恐ろしさを知れる映画として見応えあります



 


 
 



 

  

 





  
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映画 ギャング・オブ・ニューヨーク(2002) ニューヨークに対する熱い気持ちが伝わる? 

2023年10月17日 | 映画(か行)
 各ヨーロッパの国々でロクな目に遭なわかった人々が、心機一転と夢を膨らませて、船に乗ってやって来たのがアメリカであり、だからあの国は移民国家と呼ばれる。今はメキシコ経由でラテンアメリカ系の不法移民が多く、合衆国政府もその対策に頭を悩ませているのはご存知の通り。ちなみに今回紹介する映画ギャング・オブ・ニューヨークは19世紀の半ばのニューヨークを舞台にしており、南北戦争、ジャガイモ飢饉によるアイルランド人移民といった歴史的背景をモチーフにギャングの抗争、そして復讐劇が描かれている。
 最初にイギリスから海を渡ってきたWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)と、彼らにとっては後からやってきて何かと鬱陶しいアイルランド系移民の縄張り争いが、冒頭から血みどろのエンジン全開で描かれている。ド派手なシーンを描きながらも、移民国家アメリカの抱える難題も盛り込まれている演出が上手い。アメリカって一攫千金の国だと植え付けられている人が本作を観ると、縄張り争いを繰り広げる意味が理解できないままの可能性があるだろう。
 しかし、そんなことは理解できなくても縄張り争いによってカトリックの神父である父(リーアム・ニーソン)を殺された主演のレオナルド・ディカプリオの復讐劇としてだけとらえると非常に単純な映画。しかし、前述したような歴史的背景、アメリカが建国以来抱える移民問題、そしてあの2001年の9.11事件(アメリカ同時多発テロ)を思うと、観終わってから本作の奥の深さを感じる人も居るだろう。

 かなりブ千切れている男同士の熱い戦いを描いたストーリーを紹介しよう。
 1846年のニューヨーク、ファイブポインツにおいて。アメリカ生まれであることを誇りにするビル(ダニエル・デイ=ルイス)をリーダーとする「ネイティブ・アメリカンズ」と、そのネイティブ・アメリカンズから虐げられていたアイルランド移民をヴァロン神父(リーアム・ニーソン)が束ねる「デッド・ラビッツ」が長年の因縁から抗争が勃発。その結果はビルがヴァロン神父を刺し殺す。その様子を見ていたのが、まだ幼いヴァロン神父の息子であるアムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)。アムステルダムはプロテスタント系の刑務所に入れられる。
 それから16年後にアムステルダムは出所し、ファイブポインツに戻ってくる。目的はビルに対する復讐。彼は運命の女性であるジェニー(キャメロン・ディアズ)と出会い、意気投合。しかし、かつてのデッド・ラビッツの仲間達はビルの手下に陥っており、ファイブ・ポインツ全体がすっかりビルの手中に収まってしまっていることに落胆する。それでも復讐に燃えるアムステルダムは持ち前のガッツと執念でビルの組織に入り込むことに成功し、復讐のチャンスを待つのだが・・・

 19世紀半ばのニューヨークを作り上げたセットが素晴らしいし、その時代の状況が上手く描かれている。毎日の如く、ジャガイモ飢饉に襲われてしまったアイルランド人が港にやって来る様子、南北戦走が起きる前と起きている最中の日々、そしてビルに支配されて貧乏人の巣窟になってしまっているファイブポインツの街、白人、黒人、中国人がごった返している状況など、当時のニューヨークを感じさせるものがある。
 そして、ネイティブ・アメリカンズのリーダーであるビルを演じるダニエル・デイ=ルイスのキャラクター設定が凄い。肉屋を営んでいるせいなのか包丁、ナイフの使い方に長けていて、人殺しにもその特技を活かす。キャメロン・ディアズを包丁投げでビビらすドエスっぷりには見ている俺もビビった。本作の監督であるマーティン・スコセッシは人間の奥底に秘める狂気を炙り出すことに長けているが、本作のダニエル・デイ=ルイスは最初から狂気そのもの。見た目からヤバい。
 一方、父親を殺された復讐に燃えるレオナルド・ディカプリオだが、意外にキャメロン・ディアズと出会うところまではけっこうマトモな人間に見えたのだが、途中から復讐の鬼と化す。本来ならばここの当たりの演出はマーティン・スコセッシ監督の本領発揮といきたかったところだが、まだアイドル路線の最中だったレオナルド・ディカプリオの力量不足なのか、ダニエル・デイ=ルイスのハッスルし放題に完全に押され気味。まだあどけなさが残ってしまったのが残念。
 そして、このようなひたすら狂っている人間を描くのに3時間は長すぎる。キャメロン・ディアズが出演しているシーンをもっと短くしても良かったんじゃないか。他にももっと削れるところがあったように思う。
 最後の2人の対決をニューヨーク徴兵暴動を絡めて描いたところは、なかなかの演出。スコセッシ監督のニューヨークに対する熱い想いが全編に渡って感じられた。ニューヨークが好きな人、3時間の映画でも耐えられる人、狂気に侵された人を見るのが好きな人、マーティン・スコセッシ監督と聞いて心が躍る人等に今回はギャング・オブ・ニューヨークをお勧めしておこう

 監督は前述したとおりマーティン・スコセッシ。ロバート・デ・ニーロとのコンビで傑作多数。その中でも今回はキング・オブ・コメディをお勧めに挙げておこう






 
 
 
 













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映画 クイルズ(2000) 言論の自由について考えさせられる?

2023年10月12日 | 映画(か行)
 あの人はドSだ、なんて言ったり言われたりする人が居るが、Sの意味は『サディスト』のこと。実はその語源は実在の人物であるマルキ・ド・サド(サド侯爵)からきている。今回紹介する映画クイルズは、そんな彼の晩年を描いた作品だ。一体、マルキ・ド・サドって何者?と思われる人が居ると思うがナポレオンが活躍していた時代の小説家。そして、その作品の殆どを獄中&精神病院で執筆したという個性的な男だ。

 そもそも何でそんな場所で彼は執筆しなければならなかったのか?それではストーリーの紹介を。
 猥褻な文書を発表したことにより、皇帝ナポレオンの指令によって精神病院に入院させられたサド侯爵(ジェフリー・ラッシュ)。彼の書物は全て発禁処分を受けていた。しかしながら、彼はカネの力と機転の良さで理事長であるクルミエ神父(ホアキン・フェニックス)から精神病院の中でも豪華に振る舞ったり、執筆することを許されていた。
 しかし、彼の作品が小間使いであるマドレーヌ(ケイト・ウィンスレット)を通して、匿名で発刊されフランス中で出回ることになってしまう。その内容からサド侯爵の作品だとナポレオンが勘づいてしまい、彼を監査するために悪名高きコラール博士(マイケル・ケイン)を精神病院へ向かわせる。
 サド侯爵からコケにされたこともあり、コラール博士はサド侯爵を徹底的に弾圧し、彼の大事なペンを取り上げて執筆させないようにするのだが・・・

 常日頃から何か(エロい事ばかりだが)書きたい欲求に駆られるサド侯爵。彼は言論の自由を守るために、権力者にペンを持って立ち向かう!と書きたいところだが、肝心のペンをアッサリ奪われてしまう。これで彼の執筆活動は終わってしまうのかと思いきや、彼の執筆に対する欲求、執念は俺の想像をはるかに超えた。この部分はネタバレは厳禁なので伏せておく。
 特に前半は下ネタが多めでコミカル感が漂うが、後半にかけては少しばかりエグイ場面も出てきたりする。よって親御さんは子供と一緒に観ないようにする方が無難か。ちなみにタイトルのクイルズ(Quills)の意味だが、羽ペンのこと。本作でも重要な役割を果たしています。
 少々古い映画だが、今でも活躍中の豪華キャスト陣で、そのアンザンブルも見所か。少々癖が強い映画なので観る人を選びそうだが個人的には楽しめた。どういった人にお勧めしたら良いのかが、判断しづらいが、チョット挑戦してみようという人にクイルズをお勧めに挙げておこう

 監督はフィリップ・カウフマン。お勧めはテストパイロットと宇宙飛行士を対比して描いたライトスタッフ、そしてプラハの春を背景にした文芸作品存在の耐えられない軽さがお勧め








 
 

 


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映画 スポットライト 世紀のスクープ(2015) 性的虐待事件を追う

2023年10月05日 | 映画(さ行)
 日本で多くの男性アイドルグループを輩出してきたジャニーズ。しかし、今や故人になった前社長ジャーニー喜多川による所属タレントやデビュー前のジャニーズJr.に対する性的虐待が明るみになった数々の事件においてジャニーズは大揺れどころか存亡の危機に瀕して消滅してしまいそうだ。次々と明るみになるジャニーズ事務所の杜撰な会社経営は、芸能界だけでなく日本社会全体を揺るがしている。
 さて、このような未少年に対する性的虐待事件があまりにも大きく報道されているが、特に日本だけの問題ではない。実は世界中で昔から存在し、特に世界中のカトリック教会で神父が未成年者を性的虐待する事件が頻発していたのだが、そのことを暴き出す切っ掛けになった記者たちの苦闘を描いた映画が今回紹介するスポットライト 世紀のスクープ。本作を見るとジャニー喜多川による性加害事件と多くの共通点が見出される。その点において、本作は少しばかり前の映画になってしまうが、まさに今の日本にとって非常にタイムリーな映画と言えるだろう。

 実話を基にした非常におぞましい事件に対するジャーナリスト達の苦闘を描いたストーリーの紹介を。
 2001年、アメリカはマサーセッツ州のボストンにおいて最大の新聞数を発行するボストン・グループに新局長としてユダヤ人のバロン(リーヴ・シュレイバー)を迎え入れる。新任早々でバロンはとてつもない計画を実行するように社内の極秘捜査を行う担当部門である少数精鋭のチーム『スポットライト』にゲーガン事件を操作するように命じる。その事件は1971年にゲーガン神父が少年に対して性的被害を負わせたこと。ボストン・グループに記事にしていた事件だったのだが、事件の重大さの割に軽く扱っていたことにバロンは不満だったのだ。
 そしてロビー(マイケル・キートン)をリーダーとするスポットライトチームはゲーガン神父の1971年からの行動を徹底的追求するのだが、そこに浮かび上がってきたのは、驚くほど腐敗したカトリック教会の実像であったのだが・・・

 出るわ出るわのゲーガン神父による少年少女に対する性加害に対する数々。しかも、その様な性的虐待を行ったいたのはゲーガン神父だけではなく出るわ出るわのロクでもない神父たちのおびただしい数々。そして、教会幹部たちの隠蔽体質と腹立たしいその方法。しかも、教会だけでなく見て見ぬ振りををしている人間がボストンの偉いさんの中には多くいることを知らされる。そのような中でスポットライトの面々も妨害に遭ったりで、とてつもない労力を費やされることになる。
 そして、本作では性被害に遭ってしまった人達の苦悩も描かれている。この辺りは夢をもってジャニーズからデビューをしようと思った少年達が屈辱を味わって挫折してしまい、未だに悩まされることの辛さを知ることができる。
 アメリカのジャーナリズムの凄さと同時に、日本のジャーナリズムの浅ましさの比較までしてしまい、何とも複雑な気分にもさせられた。記者たちの仕事は大勢が揃って頓珍漢な質問を長々とすることではない。記事に書いて読んでもらうこと。もっと本作のジャーナリストのように独自で取材をして、メモを必死でとり、歩いて取材をしろ!と言いたくなる。
 他にも権力がいかに人間を誇大妄想させてしまうかを痛感するし、東山社長には本当に真摯に被害者の方々と向き合って欲しいと思う今日この頃である。そんな訳で今回は現在の日本に非常にタイムリーな映画スポットライトをお勧め映画に挙げておこう





 
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