褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 スモーク(1995) 嘘が人間関係を深めるストーリー

2024年12月21日 | 映画(さ行)
 この世の中は平気で嘘がまかり通ってしまっている。テレビのような印象操作をするような嘘もあれば、どこからの情報かもわからないようなデマを拡散するようなネットを使った嘘や、見栄や私利私欲にまみれた政治家の嘘などは何とも嘆かわしい。しかし、今回紹介する映画スモークに登場する人物達もたくさん嘘をついているが、とりとめのない嘘や、どうでも良いような嘘、人生の苦みを感じさせるような嘘等が多く出てくる。
 しかし、人間なんて本作に登場する人物だけでなく誰もが嘘をついて生きている。本作に登場する人物達も心の中に葛藤や苦悩を抱えているが、彼らが吐き出す嘘に嫌味を感じない。そして、そんな嘘を通して人間関係の繋がりの奥深さを知ることになる。

 タイトルのスモークが意味するのは煙草の煙のこと。嘘も現実も煙草の煙のごとく一瞬で消えてしまうようなストーリーの紹介を。
 ニューヨーク、ブルックリンで小さなタバコ屋を営むオーギー(ハーヴェイ・カイテル)は、毎日朝の8時になると同じ場所で10年以上もの間、写真を撮り続けている。そんなオーギーの店に馴染みの客たちがとりとめもない会話をしている。そこへ常連の客であり、オーギーの友達でもあるポール(ウィリアム・ハート)もやって来る。ボールは売れっ子の小説家だったのだが、数年前に妻が銃撃事故の巻き添えを喰らってしまってからスランプに陥っていたのだ。
 ポールがオーギーの店を出てからの帰り道で考え事をしていたら危うく車に轢かれそうになってしまう。そんな彼を間一髪で助けたのが、黒人の少年であるラシード(ハロルド・ペリノー・ジュニア)(ラシードと言うのは偽名)。そのことを切っ掛けにオーギー、ポール、ラシードの3人の交流が始まるのだが・・・

 黒人の少年であるラシードだが、やたら嘘をつきまくるし、結構なトラブルメーカー。だいたい名前からして嘘だったことがわかってくる。しかしながら義理堅いポールは何とかラシードを助けてやろうとするのだが、どう見てもポールが損してばかりのように俺には見えた。しかも、この少年はオーギーにもとんでもない迷惑をかけてしまう。しかしだ、ただの嫌な奴に思えるラシードにも苦悩があるのだ。
 そして、オーギーをいきなり訪ねてくる片目になっている元恋人の存在。これが結構な嘘をついてやって来るのだが、案外これも見ている最中は許せてしまう。オーギーと元恋人とのやり取りなんかは人情を感じさせてしまう。
 実はこのような嘘が絡むようなストーリーがショートストーリーのような形で紡がれていく。けっこうヤバそうな嘘から他愛もないような嘘、真実と嘘が見極めがたいようなのもあるのだが、その後の何気ない会話や行動で、あ~これは嘘なんだな、とわかるものまである。しかし、どの嘘もちょっとではあるが良い方向へ向いていくのが見ていて心地よくなる。
 煙草の煙の量と共に、少しばかりのユーモアを交えて淡々と進む印象があるが、最後にクライマックスが訪れる。ポールに大手の新聞から大きな仕事の依頼が来るのだが、スランプでアイデアが浮かばない彼がオーギーに相談するシーン。この時にオーギーがクリスマスに身に起こった過去の話をポールに語る場面がある。また、この話が真実なのか嘘なのか微妙にハッキリしない。そもそもこの事が本当だったとして、良い話だったのか、悪い話だったのか考えさせられる内容。しかし、ここで感動させられる演出がされる。真実と嘘なんか紙一重であり、善と悪の境界線も時には、スモークのようにあやふやなものだと気づかされた時、本作が凄い傑作だと理解できる。更にここで流れるトム・ウェイツの曲が本当に素晴らしい。今回はブルックリンを舞台にした義理人情が描かれる映画スモークを、クリスマスが近いということでお勧めに挙げておこう

 監督はウェイン・ワン。ド派手な映画は撮りませんが、じわ~と良さが込み上げてくるストーリーが得意。アメリカで暮らす中国人のコミュニティを描いたジョイ・ラック・クラブ、ラブコメのメイド・イン・マンハッタン千年の祈りがお勧め














 

 

 




 
 
 
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映画 深夜の告白(1944) フィルムノワール映画のはしり

2024年12月15日 | 映画(さ行)
 1930年代から1940年代初めにかけてハッピーエンドな作品ばかり制作されてきたハリウッド映画。見知らぬ男と女が出会って何時の間にやら仲が良くなって結ばれる映画が多かった。しかし、そんな映画も第二次世界大戦を経ると世の中の人に暗い影を落とすようになると廃れていき、やがて主流は犯罪映画になっていく。その中でも男が女性の野心に破滅していくタイプのサスペンス映画が多くなる。そのような女性を犯罪映画の分野においてファムファタールと呼び、犯罪映画そのものをフィルムノワールと呼ぶことになる。女優もカワイ子ちゃんだけで売る時代も終わり悪女役も登場するようになってくるのだが、今回紹介する映画はフィルムノワールのはしりであり、とてつもない悪女、ファムファタールが登場する古典的名作である深夜の告白。モノクロ映画ではあるのだが、犯罪の香りを漂わせるシャープな描写はフィルムノワールに欠かせない。
 ちなみに本作は「郵便配達は二度ベルをならす」の原作者であるジェームズ・M・ケインの小説「倍額保険(Double Indemnity)」を原作とする。ここで本作の原題にもなっている倍額保険の意味を説明しておこう。損害保険の一種なのだが、列車に乗っている最中での事故など稀なことであり、もしもそのような状況で事故死が起きた場合に通常の保険の倍額が保険会社から払われる保険のこと。この原題の意味を知って本作を見ると非常に理解しやすい作品だ。

 フィルムノワールのはしりであるだけでなく、その代表する映画のストーリーの紹介を。
 怪我を負った状態でフラフラになりながら保険会社に戻ってきたウォルター・ネフ(フレッド・マクマレイ)。彼は自ら犯した罪を録音機に向かって告白するシーンから始まり、場面はその数カ月前からの出来事にさかのぼる。
 やり手の保険業のセールスマンであるウォルターは顧客の実業家であるディートリクスン(トム・パワーズ)の自宅を訪れる。彼は留守だったのだが若妻であるフィリス(バーバラ・スタンウィック)に見とれてしまう。フィリスは内緒で夫の障害保険を掛けようと提案してくるのだが、きな臭いことを感じたウォルターはその場で断るのだが、ウォルターはどうしてもフィリスの美貌が忘れられない。するとフィリスの方からウォルターの住んでいるマンションを訪れてきて、彼らはアッサリ不倫関係になる。
 もはや離れがたい二人はディートリクスン氏が知らない内に倍額保険の手続きを済ませて、完全殺人犯罪の計画を立て、実行するのだが思わぬ綻びが生じることになり・・・

 保険金からみの殺人事件など小説や映画だけでなく現実にも起こっている。それだけに真新しさはないのだが、ファムファタールの美女によって、すっかり破滅させられていく様子に興味が惹かれる。倍額保険などと、殺人に及んでも更に欲がくらんでしまう馬鹿さが凄いし、その強欲さに惹きつけられる。
 そして、登場人物でウォルターの上司であるエドワード・G・ロビンソンが演じるキーズ保険調査員の頭脳が本作を際立たせている。この保険調査員が居なければイカサマの事故でも保険金を払ってしまい、そんな保険会社などは直ぐにでも潰れてしまう。しかし、キーズ調査員の推理小説の名探偵以上に勘が鋭いのが本作をミステリーとして非常に出来の良い作品に仕立てているし、全編に渡ってキースとウォルターの友情を感じさせるシーンが多く、ラストシーンは熱いものを感じさせる。
 そして、ちなみに本作の脚本を担当しているのがフィリップ・マーロウが活躍する探偵シリーズで有名な推理小説作家であるレイモンド・チャンドラー。所々で格好いい台詞が飛び出してくるが、それは彼の力によるところが大いにあるだろう。
 そして、フィリスを演じるバーバラ・スタンウィックの悪女っぷりが凄い。利用できるものは義理の娘やその彼氏も利用。旦那殺しと保険金に恐ろしいほどの執念を見せる。こんな女を愛してしまうだけでなく、愛されてしまうとは何たる不運。犯罪映画なんてものは悪女が強烈であればあるほど面白いことが本作を観ていたらよくわかる。
 1940年代のハリウッドの犯罪映画に興味が惹かれた人、悪女が登場する作品が好きな人、ビリー・ワイルダー監督と聞いて心が躍る人等に今回は映画深夜の告白をお勧めに挙げておこう

 監督は前述したとおりビリー・ワイルダー。僕が最も好きな映画監督です。本作と同じサスペンスならサンセット大通り、アル中の恐ろしさを描いた失われた週末、コメディとサスペンスの融合なら第十七捕虜収容所、完全なコメディならアパートの鍵貸します等、お勧め多数です









 

 





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映画 紳士協定(1947) 人種差別を描いています

2024年12月07日 | 映画(さ行)
 アメリカで人種差別といえば黒人に対する差別を思い浮かべる人が多いと思うが、実は白人同士でもある。特にユダヤ人に対しての人種差別の実像を描いたのが今回紹介する紳士協定。白人同士で見た目は違わないので何処を見て偏見が生まれるのかと思うが、実は名前で判断される時がある。ユダヤ人の名前に多いのが、最後に「~マン」とか「~バーグ」と付く名前。例えば俺が大好きな俳優であるポール・ニューマン、現役の俳優ではダスティン・ホフマン、そして有名映画監督のスティーヴン・スピルバーグもユダヤ系アメリカ人。本作が制作されたのが、まさに反ユダヤ主義が問題になっていた時期であり、偽名を使うユダヤ人も少なからずいた。しかし、今日のアメリカでは前述した有名人やユダヤ人自身の努力もあってユダヤ人に対する感情はマシになっているように思うのだが、世界を見渡すと未だにユダヤ人に対する差別感情が残っているようだ。

 早速だがユダヤ人に対する人種偏見を真っ向から描いたストーリーの紹介を。
 コラムニストであるフィル・グリーン(グレゴリー・ペック)は年老いた母と幼い息子のトニーを連れてカリフォルニアからニューヨークに引っ越す。ニューヨークの編集長ミニファイ(アルバート・デッカー)に招かれたフィルは、反ユダヤ主義についてのコラムを書くように依頼される。もうひとつ乗り気でないテーマだったのだが、息子のトニーからユダヤ人についての説明を求められ、またミニファイの姪であり婚約者となるキャシー(ドロシー・マクガイア)からの後押しもあり、反ユダヤ主義について書くことを決心する。
 そして、フィルは自らユダヤ人に成りすまし反ユダヤ主義について調査すると、あらゆる場面で偏見にさらされる場面に遭うことになる・・・

 本当はクリスチャンであるフィル・グリーンだが、どうやってユダヤ人に成りすますのか?彼はフィル・グリーンバーグと名前を変える。前述したように名前の最後にバーグを付け加えたのだ。そして、会社の中で自分はユダヤ人であると発表する。瞬く間にそのことは会社内で広まり、周囲の態度もよそよそしくなる。
 本作では随所にユダヤ人の偏見に晒される実態が度々出てくる。ユダヤ系の名前だったために就職が出来なかったり、アパートも借りられなかったり、ホテルにも泊めてもらえないし、息子のトニーはユダヤ人の血が流れているということで苛められる。フィルは実体験を通して反ユダヤ主義の実態を味わう羽目になってしまうのだが、彼はそれでもユダヤ人であることを通す。この頑なな態度は婚約者であるキャシーとの仲にも亀裂を生じさせる。キャシーはユダヤ人に対する偏見は無いのだが、犠牲を払ってまでユダヤ人に執着する必要を感じてないのだ。
 本作が凄いのは単にユダヤ人差別を描いているだけでなく、どうしたらユダヤ人差別を無くせるのかを描いているところ。口よりも行動が重要であることを知らされ、1人だけで100歩を歩くのではなく、100人が1歩を踏み出すことの重要さを本作の最後に教えてくれる。そして、フィルとユダヤ人であることを隠している秘書とのやり取りから民族の誇りがいかに大切であるかも知らされる。ちなみにタイトルが意味する紳士協定の意味ですが、悪いルールだと理解していても見て見ぬ振りをすること。まさに本作の最大のテーマを言い当てています。
 社会派な映画を見たい人、ユダヤ人だけでなく人種偏見について興味がある人、本当に世の中を良くしたいと思っている人等に今回は映画紳士協定をお勧めに挙げておこう

 監督は名匠エリア・カザン。ホームドラマの傑作ブルックリン横丁、ジェームズ・ディーン主演のエデンの東、マーロン・ブランド主演の波止場、伝記映画が好きな人なら同じくマーロン・ブランド主演の革命児サパタもお勧め







 
 

 

 
 
 
 
 
 

 
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映画 さらば冬のかもめ(1973) ロードムービーの傑作

2024年11月12日 | 映画(さ行)
 1960年代後半から70年代前半にかけてのハリウッドの映画はよくアメリカン・ニューシネマと呼ばれるが、今回紹介する映画さらば冬のかもめはまさにその年代にあたり、アメリカン・ニューシネマの傑作と呼べるだろう。そして本作は仲の良い組み合わせではなく、非常に訳ありの3人組のロードムービーの体裁をとっているところもアメリカン・ニューシネマらしさを感じさせる。アメリカン・ニューシネマに限らず、ロードムービーなんかも多く今まで撮られてきており、多くの傑作を輩出しているが、本作もその例に漏れない。
 ところどころではコメディタッチを感じさせるのだが、それよりも偉大なるアメリカが幻想だったことをロードムービーで描くことによって閉塞感みたいなものを感じさせる。

 古き良きアメリカの価値観が壊れたことを感じさせながらも、その中でもがき苦しむアメリカを見れるストーリーの紹介を。
 アメリカのバージニア州にあるノーフォーク海軍基地において、海軍の兵隊であるバタスキー(ジャック・ニコルソン)とマルホール(オーティス・ヤング)は、上司から新米兵士で18歳の少年であるメドウズ(ランディ・クエイド)をポーツマス海軍刑務所(ニューハンプシャー州)まで護送する任務を受ける。メドウズは40ドルの万引き未遂の罪で8年間の刑期を受けることになっていた。
 当初バタスキーとマルホールは5日間のミッション完遂の所をさっさと2日間で終わらそうと考え、残りの3日間を遊びまくろうと企んでいた。ところがメドウズを連れていく内に、次第に3人の仲は深くなっていく。まだ人生の楽しみを何一つ味わっていないメドウズのためにバタスキーとマルホールは色々と羽目を外してしまうのだが・・・

 万引きをしてしまう少年のメドウズだが、体はでかいがどこか抜けていて、反抗することを知らずに何でもハイハイと返事をしてしまうタイプの人間。たったの40ドルを万引きしようとしただけで刑期8年を言い渡されても素直に従ってしまう。そんな自分の殻に閉じこもり、怒りをもたないようなメドウズに対して腹を立てるのが、チョイワル風で気が短いバタスキー。バタスキーがなんとかしてメドウズを男にしてやろうと護送中にもかかわらず、色々といかがわしい所へ寄り道する件は結構楽しめる。
 そして木偶の坊のようであったメドウズは成長するのだが、その成長の結末があまりに悲しい結末を呼ぶ。そして全編を通して家族、モラル、夢、宗教、政治などが当時の本作が公開された1970年代前半のアメリカでは既に崩壊されてしまっていることを目の当たりにする。
 夢のかけらもなく、どことなく息苦しい映画だが、異なる性格の3人組によって織りなされるロードムービーは楽しさもあり、最後にはちょっとした友情の中に希望の光も見える。暗い中にほんの少しの明かりが灯されているような内容が好きな人に今回はさらば冬のかもめをお勧めに挙げておこう

 監督はハル・アシュビー。少年とおばあちゃんの奇妙な交流を描いたハロルドとモード 少年は虹を渡る、ピーター・セラーズ主演のチャンスがお勧め。






 
 
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映画 ジャージー・ボーイズ(2014) イーストウッド監督によるミュージカル

2024年07月14日 | 映画(さ行)
 最近は自身の都合によりブログの投稿を放置したままにしておりましたが、これからは週一ペースでアップしていこうと思っております。さて、当ブログを読んでいただいている方はもしかしたら気づいておられるかもしれないが、.実はミュージカル映画は殆ど載せていない。理由はいたってシンプルでミュージカル映画が嫌いだから。あのいきなり唐突に歌って踊りだすシーンを見ると個人的に白けてしまうことが多々。実は俺と同じような理由で結構ミュージカル映画が嫌いな人は居るのではないかと思っている。しかしながら、今回紹介するミュージカル映画であるジャージー・ボーイズは、そんな心配は無用。アメリカ音楽界をかつて一世風靡いたフォー・シーズンズのリードボーカルであるフランキー・ヴァリの伝記映画の趣もあり、非常に興味深く観ることができる。
 ちなみにフランキー・ヴァリだが現在は90歳。本作が公開された時は80歳になっている。彼の強烈な裏声を基調とした歌い方は個性的であり、まさか御大である本人に若い時を演じさせられるはずがないし、バレバレの録音も違和感を感じるので、映画化するには難しいポイントが色々とあったと思うのだが、そこは巨匠クリント・イーストウッド監督。そんなハードルを簡単にクリアしてみせるし、また色々と遊び心満載でミュージカル映画が苦手な人でも飽きさせないで最後の最後まで魅せてくれる。

 年齢差に関係なく誰でも聴いたことがあるようなヒット曲ナンバーとフランキー・ヴァリとそっくりの歌声が耳にすることができるストーリーの紹介を。
 ニュージャージーの田舎町に住んでいる若者であるトミー(ヴィンセント・ピアッツァ)とニック(マイケル・ロメンダ)はマフィアの手先となり、コソ泥を働いている。極貧の田舎町から抜け出すことを夢見ていたトミーは、天使の歌声を持つフランキー・ヴァリ(ジョン・ロイド・ヤング)を見出す。さらにトミーは友人のジョー(後の有名俳優)から作曲のできるボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)を紹介される。ここにグループ名『フォー・シーズンズ』を結成。彼らの運命は瞬く目に大きく変わりだし、ヒット曲を連発。しかし、その裏でグループを解散させるような大きな問題が起こっていたのだが・・・

 このニュージャージーの田舎町が凄い場所。トミーが観客に視線を向けて説明する。この町で生きる方法は3つある。一つは軍隊に入って戦死、二つ目はマフィアになって死ぬこと、そして三つめが有名人になってこの町を飛び出すこと。トミー達は余程の幸運に恵まれ有名人になってこの町を飛び出すことができたわけだ。しかしながら、運だけでは生きていけるほどこの世は甘くないということが本作を観ていたらよくわかる。そして、成功の裏には影があるというのも身に染みて涙が出そうになる。
 そして、面白いのがデビュー曲の『シェリー』を始めとして、曲の誕生秘話やあの名バイプレイヤー俳優はそうだったのか?なんてトリビアンな話にも惹きつけられる。楽しい歌声だけでなく、涙が出そなほど暗い話も出てくるが、そのような部分をダラダラと長く引っ張らないのが良い。ラストへ向けての爽やかな疾走感は素晴らしいの一言。大してミュージカルに興味がない人、フランキー・ヴァリって誰?と思っている人にも今回紹介するジャージー・ボーイズはお勧めできる

 監督はクリント・イーストウッド。ジャズ好きなだけあってミュージカルを撮らせても完璧なところを本作で見せつける。お勧めは多数なのだが、本作でも音楽に関わっている息子のカイル・イーストウッドと親子共演しているセンチメンタル・アドベンチャーをお勧めに挙げておこう。
 
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映画 シンシナティ・キッド(1965) 年季が違うぜ

2024年03月06日 | 映画(さ行)
 ギャンブル映画の中でもポーカーを扱った映画は多くあるが、今回紹介する映画シンシナティ・キッドはその中でも名作の部類に入るだろう。ポーカー(スタッド・ポーカー)での対決シーンも見どころだが、天才が凡人以下に叩きのめされるストーリー展開が良い。ギャンブルを生活の生業にすることの厳しさを本作から教えられる。

 さて、早速だがストーリーの紹介を。
 アメリカ南部のニューオリンズにおいて。通称シンシナティ・キッドと呼ばれるエリック(スティーヴ・マックウィーン)は地元では無敵のスタッド・ポーカーの名手。その強さはイカサマをしている疑いをかけられるほどだ。
 ある日のこと、ポーカーの世界ではザ・マンと呼ばれており30年間に及んでナンバーワンに君臨するランシー(エドワード・G・ロビンソン)がニューオリンズの地に降り立つ。そのことを聞きつけたエリックはギャンブラーとしての血が騒ぎ、ランシーに勝負を挑むのだ・・・

 エリックとランシーの激闘は大いなる見せ場だが、彼らの周囲の人間のキャラクター設定も興味深い。カネのやり繰りに困っていてイカサマを仕掛ける奴や、ポーカーが下手くそで自業自得で負けているのにヤクザみたいに脅迫してくる奴、そしてエロいフェロモンを出しまくって誘惑してくる美女など。特にエロい美女が勝負に集中させてくれないし、ギャンブラーにとっては女はご法度であることが本作を見ればよくわかる。
 そして、本作で印象に残る台詞が「年季が違うぜ」。エリックが冒頭で黒人の靴磨きの坊やからコイン投げの勝負を挑まれて勝った時の台詞だが、この台詞が最後にも効いてくる。ダメな時は何をやってもダメなんだということの教訓が得られる。
 そして、この世の中には疫病神みたいな女が存在するのと同時に、聖女のような女性がいることも本作では教示してくれる。単なるギャンブル映画に収まらない色々なテーマを内包しているのだ。
  スティーヴ・マックウィーンの勝負師としての表情が印象的だし、百戦錬磨のランシーを演じるエドワード・G・ロビンソンの貫録も印象的。そして、ポーカーの中でもスタッド・ポーカー(5枚のうち4枚まで見せておいて、最後の1枚を見せない)にしているのが、視覚的に抜群の効果を発揮している。そして、ジャズの街であるニューオリンズらしさも描かれているし、レイ・チャールズによる主題歌も良い。とにかく娯楽作品として楽しいし、どこか切なさの余韻も感じられる映画シンシナティ・キッドをお勧めに挙げておこう

 監督はノーマン・ジュイスン。今年の1月に亡くなっていたことを今まで知りませんでした。人種差別が色濃く残るアメリカ南部で白人警察と黒人刑事がタッグを組んで殺人事件に臨む夜の大捜査線、本作と同じくスティーヴ・マックウィーンが大富豪の泥棒を演じる華麗なる賭け、アル・パチーノが弁護士を演じるジャスティス、シェール、ニコラス・ケイジ共演のラブコメ月の輝く夜に、デンゼル・ワシントンが実在のボクサーを演じたザ・ハリケーン等、お勧めがたくさんです








 
 
 
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映画 ザ・タウン(2010) 強盗稼業です

2024年01月28日 | 映画(さ行)
 最近は二刀流という言葉がよく躍っているが、監督と俳優(主演)の両方をこなしてしまうベン・アフレックも二刀流と言えるだろう。しかしながら最近は監督業も不振だったり、今さらバットマンを演じたりで迷走している感じもあるが、再び監督業に気合いを入れて専念して欲しいと個人的には思う。
 そんな彼の監督・主演をこなした最高傑作となると今回紹介するクライムサスペンスの傑作ザ・タウンを挙げたい。今ではあんまり有名でもない気がするが個人的には何時までも語り継ぎたい映画であり、ザ・ヒートを思い出させる銃撃戦はテンションがアゲアゲだ。
 この映画がユニークなのはアメリカ、ボストンのチャールズタウンが舞台であること。ボストンと言えばメジャーリーグに少しでも興味がある人ならば、現在は吉田正尚、かつては松阪大輔、上原浩司といった日本人選手も在籍していたことで知られているが、今回の映画で見せるボストンはとんでもない危険地域。本作の中でも説明があるが、このチャールズタウンは広大なアメリカの中でも最大の犯罪地帯。なんせ家系代々が強盗を生業としていたり、犯罪利権が存在している。我々のような一般人にとっては絶対に近寄りたくない場所だ。

 さて、ベン・アフレックの故郷ボストンへの愛を感じさせるストーリーの紹介を。
 ボストン、チャールズタウンの銀行において。今日もダグ(ベン・アフレック)と弟分であるジェム(ジェレミー・レナ)と他に2人の家族同然の仲間と現金強奪を企む。今回も鮮やかな手口で大金を奪うことに成功。しかし、人質にとった女支店長であるクレア(レベッカ・ホール)が同じ町の住人だと知る。彼らはもしかしたらクレアに正体がバレてないか不安に陥り、ダグはクレアを追跡するのだが・・・

 綺麗なオネエさんをストーカーしてたら、いつの間にかお互いに恋に落ちてしまう。クライムサスペンスでありながら青春ドラマの要素も感じさせる。ダグは、もうこんなえげつない強盗稼業を辞めようと、タウン(チャールズタウンを地元の人々が愛着を込めて呼ぶ)をクレアと一緒に抜け出したいと願う。しかし、クレアに対して銀行を襲って怖い目に遭わしたのは自分だとはバレたくないし、代々家系が強盗稼業であることなど知られたくない。このもどかしい気持ちが男心を揺さぶる。
 しかし、そんなダグを簡単にタウンから抜け出せないようにしているのが、チャールズタウンを仕切る強盗斡旋者の存在。もうこれが最後の強盗の仕事と決意しながらも、斡旋者の奴らが『この仕事を断ったら付き合っている女を殺すぞ』と脅して強制的に大金強奪の仕事を持ち掛けてくる。そしてすぐに血が上りやすいジェムの存在。彼とは兄弟のように幼い頃から一緒に行動し、しかもジェムからは恩を受けている。そんな彼と簡単に別々の道を歩めるのか。更にはダグ達を追いかけるFBI捜査官のアダム(ジョン・ハム)による猛烈な追跡。ダグはこれらの障害を乗り越えてタウンを抜け出すことができるのか⁈
 もちろん本作は前述したように銃撃戦が素晴らしい。特にボストンのレッドソックスの野球の本拠地であるフェンウェイ・パークを舞台にした激しい銃撃戦はかなり引き込まれる。そして、レベッカ・ホールブレイク・ライヴリーといった美女達の存在も男どもにとっては嬉しいところだ。パワフルな映画が観たい人、クライムサスペンスが好きな人等に今回はザ・タウンをお勧めに挙げておこう

 監督は前述したようにベン・アフレック。彼が監督、主演した映画ではアルゴ、彼が監督に専念したゴーン・ベイビー・ゴーンがお勧め。






 


 

 




 
 








 

 



 

 
 
 

 





 

 

 
 
  
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映画 スポットライト 世紀のスクープ(2015) 性的虐待事件を追う

2023年10月05日 | 映画(さ行)
 日本で多くの男性アイドルグループを輩出してきたジャニーズ。しかし、今や故人になった前社長ジャーニー喜多川による所属タレントやデビュー前のジャニーズJr.に対する性的虐待が明るみになった数々の事件においてジャニーズは大揺れどころか存亡の危機に瀕して消滅してしまいそうだ。次々と明るみになるジャニーズ事務所の杜撰な会社経営は、芸能界だけでなく日本社会全体を揺るがしている。
 さて、このような未少年に対する性的虐待事件があまりにも大きく報道されているが、特に日本だけの問題ではない。実は世界中で昔から存在し、特に世界中のカトリック教会で神父が未成年者を性的虐待する事件が頻発していたのだが、そのことを暴き出す切っ掛けになった記者たちの苦闘を描いた映画が今回紹介するスポットライト 世紀のスクープ。本作を見るとジャニー喜多川による性加害事件と多くの共通点が見出される。その点において、本作は少しばかり前の映画になってしまうが、まさに今の日本にとって非常にタイムリーな映画と言えるだろう。

 実話を基にした非常におぞましい事件に対するジャーナリスト達の苦闘を描いたストーリーの紹介を。
 2001年、アメリカはマサーセッツ州のボストンにおいて最大の新聞数を発行するボストン・グループに新局長としてユダヤ人のバロン(リーヴ・シュレイバー)を迎え入れる。新任早々でバロンはとてつもない計画を実行するように社内の極秘捜査を行う担当部門である少数精鋭のチーム『スポットライト』にゲーガン事件を操作するように命じる。その事件は1971年にゲーガン神父が少年に対して性的被害を負わせたこと。ボストン・グループに記事にしていた事件だったのだが、事件の重大さの割に軽く扱っていたことにバロンは不満だったのだ。
 そしてロビー(マイケル・キートン)をリーダーとするスポットライトチームはゲーガン神父の1971年からの行動を徹底的追求するのだが、そこに浮かび上がってきたのは、驚くほど腐敗したカトリック教会の実像であったのだが・・・

 出るわ出るわのゲーガン神父による少年少女に対する性加害に対する数々。しかも、その様な性的虐待を行ったいたのはゲーガン神父だけではなく出るわ出るわのロクでもない神父たちのおびただしい数々。そして、教会幹部たちの隠蔽体質と腹立たしいその方法。しかも、教会だけでなく見て見ぬ振りををしている人間がボストンの偉いさんの中には多くいることを知らされる。そのような中でスポットライトの面々も妨害に遭ったりで、とてつもない労力を費やされることになる。
 そして、本作では性被害に遭ってしまった人達の苦悩も描かれている。この辺りは夢をもってジャニーズからデビューをしようと思った少年達が屈辱を味わって挫折してしまい、未だに悩まされることの辛さを知ることができる。
 アメリカのジャーナリズムの凄さと同時に、日本のジャーナリズムの浅ましさの比較までしてしまい、何とも複雑な気分にもさせられた。記者たちの仕事は大勢が揃って頓珍漢な質問を長々とすることではない。記事に書いて読んでもらうこと。もっと本作のジャーナリストのように独自で取材をして、メモを必死でとり、歩いて取材をしろ!と言いたくなる。
 他にも権力がいかに人間を誇大妄想させてしまうかを痛感するし、東山社長には本当に真摯に被害者の方々と向き合って欲しいと思う今日この頃である。そんな訳で今回は現在の日本に非常にタイムリーな映画スポットライトをお勧め映画に挙げておこう





 
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映画 シェイプ・オブ・ウォーター(2017) 大人向けのファンタジー映画の傑作

2023年09月06日 | 映画(さ行)
 少し前までマイノリティー(少数派)という言葉が社会に躍った。かつてはマイノリティに属する人間(例えばゲイ、黒人、障害者等)は大多数を占めるマジョリティー(多数派)から差別や偏見に晒されてきた。しかし、最近はマイノリティーに属する人でもようやくだが、社会的地位を築いてきたように最近は少しずつだが感じることがある。そんなマイノリティーに対する優しさを感じさせる映画が今回紹介するシェイプ・オブ・ウォーター。本作では人間と半魚人のあり得ない組み合わせの恋愛模様が見れるが、これが結構な感動もの。どうしてディズニーなどに観られるファンタジーがずっと人気があるのか少しばかりわかった気分になった。

 大人向けのダークファンタジーのストーリーを簡単に紹介を。
 米ソ冷戦下において。アメリカの機密機関で清掃員として働く女性イライザ(サリー・ホーキンス)は映画館の上にあるマンションで独り暮らし。声帯を負傷して発声ができない彼女には隣人の売れない画家のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)、そして同じ職場の同僚の黒人女性ゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)しか、付き合いがなく、毎日を同じことの繰り返しの単調な生活を送っていた。
 しかし、ある日のこと仕事中に、普段は傲慢な態度をとっている軍人であるストリックランド(マイケル・シャノン)が研究室から血まみれになって飛び出してくるのをイライザは目撃する。イライザはこっそり研究室に入ってみると、なんとそこには恐ろしい姿をした半魚人(ダグ・ジョーンズ)が居た・・・

 凶暴で気味の悪い半魚人だが、イライザが毎日こっそりと会いにくると次第に心を通わせていく。その内にあれほどグロテスクで不気味に見えた半魚人が段々と可愛く見えてくるから不思議な気分になった。半魚人もただ奇声を発するだけで、イライザも言葉を発せない。それでも心が通じ合うことに何だか嬉しくなってくる。
 半魚人が生体解剖されると知ったイライザは半魚人を脱出させようとする。しかし、イライザだけの力ではどうにもならない事は誰の目にも明らか。そんな時に彼女の願いの手助けをするのが、実はゲイであるジャイルズ、そして黒人女性のゼルダ。それともう1人怪しい奴も助けに入ることになるが、半魚人を助け出すのがマイノリティーに属する人間だということに希望を感じさせるではないか。まるでディズニー映画の名作と似ている気がしないでもないが、本作はかなり暴力、性描写が多いのでディズニー映画のように、子供と一緒に観ることは止めておいた方が良いとアドバイスしておこう。
 そして、アメリカの軍人をコレでもかと悪役に描き、マイノリティーに属する人間の活躍を描いており、これがトランプ大統領の時に制作されていることに本作の政治的立場が明確なのも個人的には興味が惹かれた。
 アメリカの政党で共和党よりも民主党が好きな人、マイノリティに対して優しい視線で描かれている映画が好きな人、ギレルモ・デル・トロ監督の映画が好きな人、ダークファンタジーが好きな人・・・等に今回はシェイプ・オブ・ウォーターをお勧めに挙げておこう

 監督は前述したようにギレルモ・デル・トロ。本作の半魚人の異形の創造物を登場させる辺りはこの監督の面目躍如。他にお勧めはアクション映画ではブレイド2パシフィック・リムヘルボーイ、本作と通じるダークファンタジーではパンズ・ラビリンスがお勧め





 
 
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映画 戦火のかなた(1946) 戦争の悲惨さがわかります

2023年08月26日 | 映画(さ行)
 第二次世界大戦の末期において、アメリカを中心とする連合軍は1943年7月10日にシチリア島に上陸してから1945年4月にイタリア全土をナチスドイツから解放する。連合軍はイタリアのバルチザンと協力してナチスドイツと戦ったのだが、これが2年近くも掛かっているのだから、相当激しい戦闘が繰り広げられていたに違いない。この時の状況をアメリカ軍、バルチザンからの目線で描いた映画が今回紹介する戦火のかなた。ちなみに本作は1946年に公開だからイタリアが解放されてから公開までに1年ぐらいしか経っていないことになる。確かに映像は瓦礫の山のシーンもあったりで戦争の生生しい雰囲気が出ている。この戦後の映像の機材を持ち出して素人の俳優を使ってロケ撮影を敢行しているところは、まさにネオリアリズモの作風を感じさせる。
 ちなみに本作は6章からなるオムニバス風の作品。前述したように戦争のド迫力シーンは無く、戦場で兵士が撃たれてバタバタ死んでいくようなシーンは殆ど無い。反戦映画だが、戦争とは命を奪うだけでなく人間としての感情を狂わしたり、道理がまかり通らないことも戦争のダメな理由に挙げなければならない。戦争で生き残っても永遠に消えないダメージを受けてしまうことを本作を観ればわかる。

 連合軍がシチリアに上陸してからの6話出てくるが一話すつ簡単にストーリーを述べておこう。
1.連合軍がシチリア島に上陸する。若きアメリカ人の斥候兵と早く戦争が終わって欲しいと願うイタリア人の少女は二人だけになった時に、言葉は少しだけ通じ友情が芽生えるが・・・。

2.ナポリにおいて。アメリカ人の黒人憲兵がイタリア人の少年に酔って寝ている最中に靴を盗まれてしまう。ある日のこと、黒人憲兵はその少年を見つけて靴を取り戻すために少年を引き連れて彼の家に向かうのだが・・・。

3..ローマでは酔ったアメリカ人兵士と拾った娼婦が一室に入って会話をする。兵士が寝そうになりながら『俺らがローマに来た時のイタリア女は本当に良かった』と6カ月前のことを語り出す。実はその時に出会った女が今、目の前にいる娼婦だったのだ。アメリカ人兵士が眠っている間に、娼婦は自分の家の住所をこっそり部屋の管理人に渡すのだが・・・。

4.フィレンツェの野戦病院で働いていた看護婦は、恋人であるバルチザンの闘士が怪我をしているとの噂を聞きつけ、恋人に会うために市街戦の真っ只中で撃ち合いをしている所へ行こうとするのだが・・・。

5.3人のアメリカ従軍僧が宿を借りに、カトリックの修道院を訪ねる。しかしながら3人のアメリカ人は1人はカトリックだが、後の2人はプロテスタントとユダヤ教。頑ななカトリックの神父たちと宗教の対立を起こしてしまい・・・。

6.いよいよ北イタリア。アメリカ兵士とバルチザンは四方八方をナチスドイツに囲まれてしまい、捕虜になってしまう。捕虜の運命は・・・。

 この6話だがどれも最後はハッピーエンドにならない。戦争の悲惨さを描きながら、ナチスドイツに対して敵意を表した内容になっている。しかし、戦争で潰されるのは命や建物だけでない。1において友情が崩れ去り、2においては子供達をスラム街に追い詰め、3においては一生忘れらえない出会いだったはずが、別れはあまりにも脆すぎたり、4においては恋愛関係をあっさりぶった切り、5においては戦争によって出会うことになるイタリアとアメリカの宗教家だが、本来の宗教は心の拠り所であるはずなのになぜか対立を煽ることになってしまったり、5においてはラストが強烈。こうもナチスドイツは腐っているのかと思わされた。
 戦争と言う異常な時代において一輪の花のような素晴らしい出来事もあったりするが、殆どはロクでもない出来事ばかり。どんな真っ当な人間も狂わしてしまう。本作から人間が持っている良心が見られなかったのが残念。しかし、繰り返すが本作の公開はイタリアが解放されてから1年での公開。そうなると撮影時のスタッフ達は戦争の生々しい経験がまだ身に染みていることだろう。本作のような映画を見ると戦争が終わりますようにと願いながら、自分の無力さを感じさせられるのが無念だ。今回は古い映画だが戦争の悲劇を色々と描くためにオムニバス的な構成になったが、観た人は色々と感じるだろう。ちょっと画面が暗いのが難点だが、戦争の生々しさを描いているという点で戦火のかなたを、お勧めに挙げておこう

 監督はネオリアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督。この前年に撮られた無防備都市、そしてロベレ将軍がお勧め


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映画 邪魔者は殺せ(1947) 瀕死になりながらの逃亡

2023年08月07日 | 映画(さ行)
 タイトルから想像すると、酷い内容の映画を想像してしまう。ちなみにタイトルの原題はOdd Man Out。意味は「残りもの、余りもの」「仲間はずれ」といったところ。個人的には原題の方もおかしいと思うのだが、もっとおかしいのが邦題の付け方。この映画のどこに邪魔者が居たのか?そして、殺せなんて命令している奴も出てこない。確かに主人公のバックボーンは決して褒められないが、なかなか最後は感動できるストーリーだし、人殺しをしているシーンはあるが、観ている間は主人公がそこまで悪い奴に見えない。むしろ、自分も怪我を負ってフラフラになりながら逃亡している姿に悲しみすら感じさせるストーリーが今回紹介する映画邪魔者は殺せ。そして本作が面白いのが単なる逃亡記録のような構成になっているのではなく、主人公が逃亡中に出会う最中に偶然にも居合わせた人々の様々な反応が人生を感じさせる。散々、悪事を働いているが、そのまま放って置けば死んでしまうような人間を目の当たりにした時、人間はどの様な行動を取ってしまうのか。高い賞金目当てに警察に突き出すか、それとも出来る限りの命を助けるために最善の努力をつくしてやるのか、それとも・・・

 内容だけでなく、映像テクニックにも感心させられるストーリーの紹介を。
 北アイルランドにおいて。ある部屋においてジョニー(ジェームズ・メイソン)を首領とする5人の男たちが組織の資金集めのために銀行強盗の計画を立てている。ジョニーは獄中に8カ月、脱獄して隠れて半年。1年以上もの間、外出していなかったジョニーを今回の強盗の実行部隊から外す意見もあったのだが、ジョニーはこの中ではリーダーだということもあり、頑なに降りることを拒んでいた。
 いよいよ銀行強盗を実行する。現金は簡単に奪えたが、逃げる段階でジョニーのブランクの長さが響く。ジョニーは銀行の職員に追いつかれてもみ合うことになるが、ジョニーは銀行員を射殺するのだが、銀行員の撃った弾を左肩に喰らってしまう。
 他の仲間が乗っている逃亡用の車にジョニーも乗ろうとするが、運転手が焦ってしまっているためにジョニーは殆ど車に捕まったままの状態で発車。猛スピードで走る車に乗り込めなかったジョニーは振り落とされてしまう。逃亡用の車に乗っていた仲間達が助けに行こうかとする間に、しばらく微動だにせずに倒れていたジョニーは急に立ち上がり、走って別方向へ逃げ出してしまい・・・

 北アイルランドを舞台にしてるのでこの組織はIRAだとすぐにわかる。時間にして16時から24時に至るまでの8時間のドラマが描かれているが、主人公は17時に負傷して、それから7時間も瀕死の状態で警察の目を避けながらの逃亡。しかも天気が雨が降り出し、終盤は雪が降り出すなど、地味なストーリーだがドラマチックな演出もなされている。
 7時間の逃亡劇といっても防空壕に隠れている時間や、倒れているところを心優しき人に拾われて家に運ばれたり、意識が薄らぐ中で辿り着いたところが酒場で閉店までビール付きで休憩させてもらったりで、ずっとフラフラになりながら血を出しながら歩いている訳ではない。しかしながら、次第に死が近づいていく様子が見てとれるし、彼を慕う綺麗な女性の存在に、愛は信仰を超えるほどの尊さがあるんだよな~、なんて思えたりする。
 本作が公開されたのが1947年ということを考えるとIRAの暴力革命に対する批判が込められているのが丸わかりだし、それでいて何処かテロリストに対する優しさを感じさせるのは何故だろう。音楽はドラマ性を高めるのに充分な役割を果たしているし、主人公の意識が薄らぐ中での幻を見るシーンの映像テクニックは非常に洗練されているし、他にも褒めたりない所がたくさんあるような気がする。
 サスペンス映画でありながら、観ていて色々な想いを起こさせるドラマ性がある。唯一の欠点はタイトル名だけ。非常に洗練された映画を観たいという人に今回は邪魔者は殺せをお勧め映画に挙げておこう

 監督はサスペンス映画の名匠であるキャロル・リード。映画史に遺る大傑作第三の男、これまたサスペンス映画の落ちた偶像がお勧め











 

 
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映画 ザ・ギフト(2015) 贈り物攻撃です

2023年07月18日 | 映画(さ行)
 7月7日は七夕の日、ではあるが他にギフトの日としても制定されている。俺は七夕の日は短冊に願い事を書くのに必死でプレゼントを贈ることなど全く頭に無かった。しかし、ギフトの日だったと聞いて俺の頭に浮かんできたのが、タイトル名通りズバリである、今回紹介する映画ザ・ギフト。正直なところ肝心の7月7日からだいぶ日が経ってしまったの感は否めないが。
 俺は面倒臭がりの人間だから、贈り物を考える時間が苦痛なのだが、貰う方なら何でもオッケー。それでも時々だが、まるで空気が読めていないような、ありがた迷惑な贈り物を貰う時もあったりした。さて、本作のストーリーがまさにそれ。最初は俺も貰って嬉しい白ワインだったのが、次第にエスカレートしていき最後にもらうプレゼントは・・・

 何だか嬉しくなるようなタイトル名だが、観終わった後にショックのどん底に叩きのめされるストーリーの紹介を。
 金銭的にも何の不安もない夫のサイモン(ジェイソン・ベイトマン)と妻のロビン(レベッカ・ホール)はシカゴに住んでいたのだが、とある理由でサイモンの故郷であったロサンゼルスに引っ越してきた。家はでかいガラス張りでそこから見える風景は美しく、家の入口には池があり、豪邸そのもの。近くの店で夫婦で買い物をしていると、かつてサイモンと高校の同級生だったゴードン(ジョエル・エドガートン)から声を掛けられる。お互いが25年振りの再会だったのだが、サイモンにとってゴードンとは特別仲が良かった訳ではなかったのでそれほどの感激がはなかった。しかし、それ以来ゴードンから最初こそ白ワインを贈り物として家に贈られたのは良かったのだが、次の日にはいきなり池に鯉が数匹自分たちが居ない間に贈られており、それだけで止まらず次第にゴードンのエスカレートしていく贈り物に夫婦はヤバい気配を感じるのだが・・・

 高校時代に仲が良かった訳でもないのに、どんどん贈り物を届けてきて、しかも決まって夫のサイモンが不在で、ロビンが1人で在宅の時に現れるゴードン。しかも、家が豪邸でガラス張りだから家の外から中がスケスケで見えている感じがするし、ロビンを演じるレベッカ・ホールだが身長が高くて抜群のスタイルをしていて超美人。これは如何にもヤバいことが起きそうだと観ていてドキドキしていたが、当の本人であるロビンは人が良過ぎるところがあり、平気でゴードンを家の中に居れてしまうし、サイモンがアイツは高校時代から少しばかりヤバい奴だったぞなんてアドバイスされても、人付き合いが苦手そうなゴードンに対して同情していて話し相手に進んでなりたがるなど、まるで聖母マリア様のような優しい心で接している。
 しかし、本作のテーマの一つとして因縁、謝罪、欺瞞、そして仕返しといったものが挙げられる。ゴードンが不気味そうな雰囲気を終始醸し出しているのと反対に、サイモンは良き旦那であり、出世はするし妻からすれば最高過ぎる夫。しかし、先ほど述べたテーマがあからさまになった時に、悲劇が訪れる。そして、ゴードンからの最後の贈り物が届いた時には夫婦ともども、観ている我々もショックに襲われる。いや、ショックだけで収まるようなレベルでは無いっか?!クライマックスへ行くまでの構成が抜群で、より一層サスペンス感を盛り上げるのが良い。
 サイコがかりなサスペンスを観たい人、サイモンの気持ちになって観ることができる人、豪邸に住みたい人・・・等に今回は映画ザ・ギフトをお勧めしておこう

 監督は本作で不気味なゴードンを演じるジョエル・エドガードン。本作で監督としての才能を見せつけていますが、まだ若いので今後の監督作品も期待できそうです。







 
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映画 質屋(1964) ひたすら空虚な主人公

2023年07月14日 | 映画(さ行)
 今の人々にとってホローコスト(ユダヤ人大虐殺)と言っても、ずい分と昔のような気がするだろう。しかし、本作が公開された1964年と言えば多くのユダヤ人にとってホローコストに対する恐怖を拭いされていない時代。今回紹介する映画質屋はユダヤ人大虐殺をテーマにし、ナチスによるホローコストを生き延びた主人公のお話し。家族や仲間が目の前でナチスに殺され、自らは生き残った罪悪感に苛まされながら質屋を営みながら生活している。しかし、彼はあの日以来すっかり感情を無くしてしまったようで訪れるお客さんに対して常にぶっきら棒で接し、事あるごとに脳裏に家族がナチスに殺されたり、ユダヤ人の強制収容所やそこに運ばれるギュウギュウ詰めの列車や、仲間を見殺しにしてしまった出来事などがフラッシュバックされ、あの時の恐怖が頭から離れないでいる。そんな彼が信じれるのはカネだけだったのだが・・・

 前半はひたすら陰気臭い質屋のオジサンの様子を見せられるが、後半は少しだけ盛り上がる?ストーリーの紹介を。
 ドイツ系ユダヤ人のソル・ナザーマン(ロッド・スタイガー)は郊外の住宅地で亡き妻の妹の家族と一緒に暮らしており、そこからニューヨークの貧民街で黒人のロドリゲス(ブロック・ピーターズ)の支援を受けて質屋を営んでいた。もう一人の店員はラテン系の少年で母親と2人暮らしのヘズス(ハイメ・サンチェス)。彼はソルとは逆によくしゃべり、将来は自分でも店を構える夢を持っていた。そして非常に物知りなソルから色々と学ぼうとしていた。しかしながら、物知りなソルと色々と哲学的な話をしたいために訪れるお客や、彼に好意を寄せる青年福祉局の夫人マリリン(ジェラルディン・フィッツジェラルド)のようなお客さんも訪れたりするのだが、その様な人達に対しても彼は心を決して開こうとしなかった。
 そんなある日のこと。質屋の経営は実のところ赤字経営。スポンサーであるロドリゲスが赤字の補填と店の改装のための5,000ドルを部下を通してソルに渡し、しっかりと金庫に保管する。しかし、ソルはヘズスの恋人であり娼婦のメイベル(セルマー・オリヴァー)が店を訪れたことを切っ掛けに、ロドリゲスが売春や賭博に手を染めるこの街の暗黒街のボスであることを知ってしまう。ソルはロドリゲスの所へ自ら乗り込んで行き、お前のカネなんか受け取れないと凄んでみせるのだが・・・

 ソルだが常に表情は暗く、殆ど喋らないし、見た目もオッサンそのもの。こんな人に親しく話しかけようとする人が居るわけないだろうと振り返った今も思ってしまう。この映画でソルとロドリゲスが口論しているシーンがあるが、ユダヤ人のことを「私達」と訳されているが、この時に急に猛烈と語り出すソルがユダヤ人の歴史を話してくれるし、そしてなぜユダヤ人は金儲けが上手なのか説明してくれる。この場面は今も巻き戻して見たいと思うぐらい俺的には興味が惹かれた。
 不愛想なソルだが、今でもユダヤ人の収容所で見殺しにしてしまった親友に対する負い目、自分だけが生き残ってしまった事に対する懺悔の想いからかもしれないが、親友の妻のテッシー(マルケータ・キンブレム)や一緒に暮らしていて病弱なお父さんの面倒を見続ける等、義理堅い面もある。しかし、そのような面倒が見られるのも誰のお陰なのかをじっくりと考えた時にソルが受けるショックの大きさの度合いが、観ている我々にも少々わかってしまう。今までカネしか信用できなかったソルの信念が脆くも崩れ去るのだが、これは辛い。俺も色々な飲み会でピンハネをされたのだが、そいつからカネを返してもらおうかと考えた時があったりしたが、そのおカネがもしかしたら市民の税金が紛れ込んでいるかもしれないと思うと、返してもらう気が失せた。
 すっかり人間もカネも信用できなくなってしまったソルだが、果たして彼の苦悩は晴れることがあるのか?キッツイ結末が待っているが、ほんの一瞬だが彼を癒すような希望の灯が点される。
 クインシー・ジョーンズの音楽はニューヨークの雰囲気にばっちりだし、モノクロとセピア調の画面の使い分けは見事だし、ストーリー展開は流石の一言。楽しい気分になりたい時に観る映画ではないが、人間のトラウマ、後悔、悲哀といった心の闇をえぐり出すような作品が好きな人に今回は映画質屋をお勧めに挙げておこう

 監督はシドニー・ルメット。社会派作品の名作を多く生み出した巨匠として映画界にその名は燦燦と輝き続ける。彼を有名にした十二人の怒れる男、原爆への恐怖を描いた未知への飛行、テレビ業界の裏側を描いたネットワーク、猛烈な軍隊批判をした・・・等などお勧め多数です。

 


 
 
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映画 ストーカー(1979) アンドレイ・タルコフスキー監督作品です

2023年07月11日 | 映画(さ行)
 タイトル名から犯罪映画を想像する人が多いと思うが、この映画が公開された当時は今で言うストーカーという言葉の意味では定着されていなかった。ちなみに今回紹介する映画ストーカーはソ連映画であり、アンドレイ・タルコフスキー監督作品。この監督の作品と聞いて心が躍らない人には正直なところお勧めし難いとアドバイスしておこう。
 彼の映画はよく難解だと言われるが、確かに本作もその部類にはいる。大まかなストーリーは、ある目的地へ3人が突き進む、って話。それだけ聞くとアドベンチャー映画っぽく聞こえて楽しめそうな期待を持たせるかもしれないが、ハッキリ言ってスリル、サスペンスを本作に求めると全くの肩透かしを食らってしまう。妙にテンポはとろいし、グダグダとした会話のシーンが多々あったり、盛り上がるようなシーンも無く、タルコフスキー監督作品にしては綺麗な自然の描写が全くない。しかも2時間半の上映時間と聞くと結構長いと思う人には忍耐力を要求される。

 ダメダメ映画かと思わさせておいて、なかなか深読みしがいのあるストーリーの紹介を。
 昔のことだが、某国の某地域において、その場所に隕石が落ちて、村全体が全滅する事態が発生。政府は軍隊をその場所へ派遣するのだが、そのまま軍隊は帰ってこなかった。それ以来、その場所はゾーンと呼ばれ、政府によって立ち入り禁止区域になってしまう。
 ある日の事、ストーカーと呼ばれる男(アレクサンドル・ガイダノフスキー)が妻の静止を振り切り早朝に出かけていく。ストーカーは違法であるゾーンへの侵入者であり、ゾーンへ行きたいという人を伴って連れて行く案内人である。ストーカーが言うにはゾーンには何でも願いが叶うと呼ばれる部屋があり、今日は教授と呼ばれる男(ニコライ・グリニコ)と作家と呼ばれる男(アナトリー・ソローニーツィン)を連れてゾーンへ行こうとしていた。
 立ち入り禁止区域で監視人からの猛烈な銃撃をかいくぐり、3人はゾーンへ到達する。そこは草原が広がっておりボロボロの軍用機や建築物があった。ストーカーの案内でいよいよ部屋へ行こうとするのだが、そこへ行くまでに様々な罠があり、ストーカーが言うには命を落としてしまう人も居たようだ。3人は仲間割れをしたり、また一緒になったりしながらも自らの望みを叶えるために部屋まで、あと一歩の所までやって来るのだが・・・

 この3人が危険な目をしてまでゾーンへ行こうとする理由は何か?ストーカーは現実世界に絶望してしまっている人を1人でも多く救うためにゾーンへの案内人として向かうのだが、彼は部屋には入ろうとしない。作家と呼ばれる男は、どうやら最近はスランプで書くことを苦痛に感じているためにインスピレーションを得るためにソーンへ向かう。そして、教授と呼ばれる男だが彼がゾーンへ向かう理由は部屋に入ろうとする直前にわかるのだが、これはネタバレを伏せておこう。さて、ゾーンは3人に対して、どのような影響を与えるのか、それとも◦••!
 前述したが退屈な進行の割に非常に哲学めいた台詞や抽象物が意味深。俺が勝手に頭の中で巡らせたことを書くと、隕石って原爆なのか、部屋って教会のこと、途中から現れて3人に付いてくる犬ってキリストのモチーフ?、ラストシーンでストーカーの娘が見せる超能力って人間の浅ましさを皮肉ってる?等。
 そして俺が最も感じた事は、人生に絶望を感じている人に対する癒し、救済。観る人によっては、そんなハッピーな内容だったっけ?となるのも不思議ではない。しかし、人生なんて誰しも困難や苦しいことがあるんだと思えると、俺なんかは急に生きる気力が湧いてきた。
 ハリウッドの娯楽映画に慣れきってしまった人には少々ハードルが高い気もするが、今回は映画ストーカーをお勧めに挙げておこう❗️

 監督は映像の詩人とも称されるアンドレイ•タルコフスキー。ストーリー性がしっかりあるという意味で僕の村は戦場だった、SF映画の金字塔惑星ソラリス、個人的に最も好きなノスタルジアをお勧めに挙げておこう❗️


 

 
 



 




 
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映画 地獄に堕ちた勇者ども(1969) 骨肉の争いが凄すぎ

2023年06月21日 | 映画(さ行)
 今に始まったことではないが、なかなか人の顔と名前が覚えられない。最近の映画ならば登場人物が多くても知っている人が殆どから、ある程度は大丈夫。しかし、俺が生まれる以前の映画で登場人物が多くなると、いくら俺が生まれる以前の当時は大スターだったと言われても、現在において知らないと、これは観ていて辛いものがある。そんな訳で今回紹介する映画地獄に堕ちた勇者どもだが、最初から気合を入れまくって観ないと、前半でストーリーから脱落してしまって何のこっちゃわからん、なんてなりかねない映画。最初の方で富豪一家がテーブルに座っているシーンがあるが、その時までにここに座っている登場人物の顔、名前、人間関係を徹底的に頭に入れておくつもりで観た方が良いだろう。
 しかしながら幸いなことにストーリーは至ってシンプル。第二次世界大戦前のドイツで隆盛を誇る鉄鋼所の跡目を狙っての権力争い。そこにあの大悪党のナチスがチャチャを入れてきて、非情な骨肉の争いが繰り広げられる。そして、なぜナチスがドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ全体に暗雲をもたらすほどの圧倒的なパワーを持つことになったのかを少しわかった気分になれる歴史映画の面もある。

 ストーリーは単純でも多くの登場人物、それぞれの思惑が複雑に絡み合う内容をできるだけ簡単に紹介しよう。
 1933年のドイツにおいて。ドイツで鉄鋼産業を中心に隆盛を誇っていたエッフェンベルグ家。ナチスが政権を担うことになってエッフェンベルグ家の当主であるヨアヒム男爵(アルブレヒト・シェーンハルス)は自らの誕生日の祝いの席で、これからはナチス寄りの立場を鮮明にし、自分の側近である副社長にナチスの突撃隊員でもあるコンスタンティン(ラインハルト・コルデホフ)を任命する。その数時間前に国会議事堂が爆破(ドイツ国会議事堂放火事件)され、反ナチス体制側だったヨアヒムの娘婿のヘルベルト(ウンベルト・オルシーニ)を一族から追い出すことになり、しかも彼は国会議事堂放火の罪で国外へ逃亡することになる。そんな時にヨアヒムが何者かにヘルベルトの拳銃によって射殺される事件が発生してしまい・・・

 ヨアヒム男爵を長とするエッフェンベルグ家の壮大な内輪揉めが発生。身内や会社の重役、そしてナチス親衛隊の偉いさんを交えての裏切り、騙し合い、殺し合いが繰り広げられる。そんなエッフェンベルグ家の中でも、特に変わり者なのがヨアヒムの孫に当たり、父親は先の大戦で死亡したマルティン(ヘルムート・バーガー)。最も政治、会社のことに興味がない人物なのだが、マルティンはヨアヒム家の直系であるために、何かと権力争いに利用される立場になってしまう。しかも、笑えるのが彼のキャラクター設定。女装好き、ロリコン、ゲイ、そして母親のゾフィー(イングリッド・チューリン)を強姦してしまうような変態野郎。弱みを握られてアッチやコッチから脅され、コロコロと立ち位置を変えるいい加減な人間として描かれているのだが、こんな奴が居るか~?なんて思えるぐらいの個性的過ぎる設定なのだが、これが観終わった後に考えると、実は何かと考えさせられる暗喩的な人間だと気づかされる。
 ナチスの中でも親衛隊と突撃隊があり、親衛隊による突撃隊を粛清する『長いナイフの夜』も描かれているが、この馬鹿騒ぎシーンは強烈なインパクト。現実はこの事件によってヒットラーによる独裁政治の行方は決定したのだが、この場面はナチズム批判を感じさせる名演出シーンだと言えるだろう。
 ドイツの退廃的ムードが気持ち悪く感じたりもするが、ナチスの狂気、それに抗うことが出来ない地獄の世の中を感じさせ、鉄鋼所から猛烈な勢いで湧き出る火炎が人間の欲望を象徴する。映画にひたすら楽しさを追求する人には向かないのは確かだが、ナチスの怖さを知りたい人、知らない人も多いと思うのだが第二次世界大戦前におけるナチスドイツを知りたい人、とことん人間の闇の部分を追求したい人、ドロドロの人間関係の映画が好きな人、そしてルキノ・ヴィスコンティ監督作品と聞いて心が躍る人に今回は地獄に堕ちた勇者どもをお勧め映画に挙げておこう。繰り返すが、最初から登場人物の顔と名前と人間関係を必死で頭に叩き込んで観るつもりでご鑑賞を

 監督は前述したルキノ・ヴィスコンティ。イタリア映画のみならず世界に名を遺した大映像作家。デビュー作品から最後まで名作を撮り続けた偉大なる巨匠。本作も含めて彼の作品は好き嫌いが分かれると思うが、個人的に俺が彼の作品で最も好きなのはアラン・ドロン主演の若者たちのすべて、他に遺作となったイノセント、イタリアの時代の変遷を老教授の心に染みこませた家族の肖像、女の情念を描いた夏の嵐はビスコンティ監督は敷居が高いと思っている人でも比較的観れると思います。他にサスペンス映画としてフィルムノワールの代表作品としてジェームズ・M・ケインの小説の映画化郵便配達は二度ベルを鳴らすは初期のヴィスコンティ監督作品としてお勧めです。

 

 
 
 




 






 




 
 

 

 
 
 


 
 



 

 

 
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