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褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 ダラス・バイヤーズクラブ(2013) エイズへの偏見

2025年01月29日 | 映画(た行)
 笑える話だが、かつてはエイズっていうのは同性愛者がなるものだと信じられていた。俺も本作が舞台となる1980年代はそのように信じていたし、海外の有名人がエイズに感染したと聞くと、この人は同性愛者だったんだと勝手に決めていた。または少し接触しただけで感染するとも思われていた。そんな偏見を描きつつ、エイズに罹ってしまった患者が余命30日と宣告されながらも生き延びるための戦いを描いた映画が今回紹介するダラス・バイヤーズクラブ。頭が固くて、癒着まみれの政治家たちが作った法律によって不幸を被っている人々がこの世の中に存在しているが、そのような人にも心が響く内容だ。

 エイズによる偏見に晒されながらも自ら運命を切り拓く男の実話のストーリー紹介を。
 1985年アメリカ南部のテキサス州ダラスにおいて。電気技師でありロデオのカウボーイであるロン(マシュー・マコノヒー)は体調を悪くして病院に運ばれるが、エイズに感染しており余命30日と宣告される。同性愛者がなると思っていた病気に自分が罹ったことに信じられないロンは、必死でエイズについて調べると性行為によっても罹ることを知ってしまう。
 しかし、アメリカではエイズに対する治療薬については後進国であり、ロンは病院を抜け出し治療薬を求めてメキシコへ行く。メキシコで治療薬を試してみると効果が抜群。しかしながら、その薬はアメリカでは残念なことに使用が許可されていない。だが彼は同性愛者でありエイズに感染しているレイヨン(ジャレッド・レト)の協力を得て、月400ドルの会員制であり、会員になるとエイズの治療薬を無料で引き換えることができるダラスバイヤーズ・クラブを立ち上げて、カネを儲けようと企むのだが・・・

 アメリカの病院と製薬会社が癒着して毒性の強い薬にこだわり続け、海外で副毒性も弱くて効果抜群の薬の使用を認めない態度に驚くし、人命を軽んじる態度に腹が立った。しかし、本作の主人公であるマシュー・マコノヒー演じるロンが、そのことを利用して金儲けを企むバイタリティーに感心した。それにしても、薬をかき集めるために世界を飛び回るとは、元気すぎるエイズ感染者だ。
 しかし、この男が凄いのは単に金儲けに走ることだけではない。命を縮めるような薬を病院とFDA(アメリカ食品医薬品局)が結託してエイズ感染者に推し進めることに対して、反旗を翻すこと。彼の心の中にもアメリカ中でエイズ感染者が報われないことに怒りを持ち続けていたのだ。
 考えてみれば、このような事象はアメリカだけでなく我が国ニッポンでもあるのではないだろうか。物価高騰の影響をモロに受けて生活に困っている国民が大半なのに、この国の偉いさん連中はそんなことはお構いなし。自分の利益ばかり考えて、見て見ぬ振りをしているかのような態度に腹が立つ。俺も本作の主人公を見習って、この世の中を狂わせている理不尽な構図について調べようと思わさせられた。
 そして、マシュー・マコノヒーの役作りにも触れておこう。エイズ感染者を演じるために大幅の体重減を敢行して、ガリガリの体形で本作に臨んでいる。俺みたいな2カ月で5キロも体重が増えてしまう人間には信じられないような役作りを行っている。そして、同性愛者でエイズに感染している役をジャレッド・レトが演じるが、これも大幅に減量しているし、難しい役を演じている。本作は俳優の凄さも感じられる作品だ。
 よって何かと偏見に晒されて生きにくく感じている人、ロクでもない法律によって苦しめられている人、病院に通っているが毎回ロクでもない薬ばかり処方されている人等には少しぐらいは慰められる映画ダラス・バイヤーズクラブをお勧めに挙げておこう

 監督はジャン=マルク・ヴァレ。最近映画を撮らないなあと思っていたら亡くなっていたんですね。ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ共演の映画雨の日は会えない、晴れた日は君を想うがお勧め

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映画 近松物語(1954) 男女の逃避行

2025年01月27日 | 映画(た行)
 今年は外国映画ばかり紹介してないで、日本の映画も当ブログで紹介しようかと思っている。1950年代の日本の映画の面白さに気付いたことがその理由。今まで日本の映画と言えば黒澤明監督作品ばかり見ていたが、他にも素晴らしい映画監督が日本にも居ることを気づかせてくれたのが、自分にとっては良い経験になった。今回紹介するのがフランスのヌーヴェルバーグの映画人にも評価が高い溝口健二監督の映画近松物語。タイトル通り近松門左衛門の人形浄瑠璃を下敷きにして、色々と脚色されているらしい。
 本作は江戸時代の主に京都を舞台にしているが、昔風の商人が話している関西弁が個人的にはツボ。極道の妻たちにおける関西弁は力が入り過ぎて違和感があるが、本作における少しばかり間の抜けたトーンは心地良い。

 台詞回しは楽しいが、男女の一途な想いを感じ取れるストーリーの紹介を。
 江戸時代の京都。大名からも一目置かれている商家において、使用人の茂吉(長谷川一夫)が奥方のおさん(香川京子)からカネの工面を何とかならないかとの相談を受ける。茂吉はおさんのためにひと肌脱ごうと店の金を着服しようとするが、思いなおし主人の以春(進藤英太郎)に頼み込むことにする。しかし、以春は金を貸すことは許さず、茂吉と妻のおさんの仲を疑うようになる。どうしようもなくなった茂吉とおさんは2人で逃げることになってしまい・・・

 この時代の習わしとして説明しておくと、男女の不義密通は京都の町を引きずり回されて死刑になってしまう。そして、この場合だとおさんと茂吉の不義密通がバレたら、おさんの旦那の以春の商家にまで影響を受けて取り壊しになってしまう時代。現代社会とは異なる背景が本作を面白くさせている。
 商人の以春は勢力が大きく威張り散らし、しかも女中には手を出しており、大名たちにもカネの影響を与えており、カネの事に関してはドケチ。おさんは使用人の茂吉ではなくて主人の以春にカネの工面を頼めば良いのだが、彼のドケチさは嫁に対しても変わらない。それが何事にも真面目で面倒見の良い茂吉に頼んでしまったから事件?が起きてしまったわけだ。そして、茂吉とおさんが不倫をしているのかと勘違いさせる場面がコントを見ているようで、俺は大爆笑した。本来はシリアスドラマなので笑ってしまうシーンではないのだが、まるでコントの王道を行くようなパターンだったので笑わざるを得なかった。
 そして、茂吉とおさんが2人きりになって心中しようとする場面が中盤で訪れる。その時に茂吉は『実は私は前々から、おさん様のことをお慕いしておりました』と告白してから、おさんが急に心変わりをして、おさんも茂吉のことを好きになって心中を止めるところは感動させると同時に、不謹慎ながらもまた笑けてきた。そこからは2人の愛の逃避行になってしまう。
 しかし、以春の強欲なプライドが凄い。とにかく2人を部下を使って捜索させるのだが、自分のお店が第一主義。おさんと茂吉を別れさせて、おさんだけを何事もなかったように連れてくるように命じるのだが、これは俺も噴き出した。極めて悲惨な状況に陥っているストーリー展開なのに笑いながら見ているのは俺ぐらいしか居ないのではないだろうか。だいたい、前述した社会背景からしてあまりにも現代と違い過ぎて笑えてしまう。これを今の時代に当てはめると、本当に毎日のように死刑が行われてしまうではないか。
 しかし、本作が凄いのが商家のセット。奉公人がたくさん居るのだが、それだけの人数を収容するだけのセット組は凄いと感じさせるし、またそれを映し出す流暢なカメラワークも凄い。昔の映画は本当にスタッフの真剣さが伝わってくる。これぞプロの仕事だと画面から伝わってくるのが本当に何度も言うが凄い。
 それにしても茂吉とおさんの恋愛は本物だ。しかしながら、そんな2人の関係を当時の社会が許さない。元はと言えばコントのような勘違いの騒動がとんでもない事件に発展してしまうのだが。しかし、ラストは意外にも幸せを感じさせるのだ。
 昔の封建社会による恋愛の不自由さ、男女の逃避行、カネに強欲な人間、人を陥れる人間、親子の情け、もう少し音声が良ければと思うのだが聞き心地の良い関西弁、巧みなセットなど見所が満載のコメディ、ではなくてシリアスな人間ドラマとして今回は名作近松物語をお勧めに挙げておこう

 監督は世界の溝口健二。先日投稿した西鶴一代女、そして人間の業の深さを感じさせられた雨月物語がお勧め、他にも面白い映画がたくさんあると思います

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映画 天井桟敷の人々(1945) 大作のメロドラマ

2025年01月13日 | 映画(た行)
 3時間半の超大作メロドラマを描いたのが今回紹介する映画天井桟敷の人々。フランス映画史に遺る名作であり、パリに生きる人々の恋愛を哀感たっぷりに描いている。本作の凄さに1945年に公開されていることが挙げられるだろう。当然撮影はフランス国内で行われており、まさにその頃はナチスドイツによる影響下でのできごと。よって本作は命懸けで制作されていたのだ。そういう意味ではレジスタンス映画だと言っても良いかもしれない。

 フランス映画らしい苦みを感じさせるストーリーの紹介を。
 19世紀前半のパリが舞台。犯罪通りと呼ばれる大通りでは大道芸人見たさで、人々がごった返している。その中には殆ど裸の格好で見世物にされている女芸人のガランス(アル・レッティ)の姿も見られる。彼女は口が達者な無名の俳優フレデリック(ピエール・ブラッスール)にナンパされるも軽くあしらい、舞台のシナリオを描いているが裏の顔は犯罪を繰りかえすラスネール(マルセル・エラン)からも言い寄られているが、これも軽くあしらっていた。
 無言劇場でパントマイムをしていたバチスト(ジャン=ルイ・バロー)だが、同じ劇場の舞台に立っているナタリー(マリア・ガザレス)から愛されていた。ひょんなことからバチストはガランスと知り合いになり、バチストは彼女にゾッコン。しかし、純粋なバチストはもう一押しができないでいた。
 バチスト、フレデリック、ガランスは同じ舞台に出ることになるのだが、そこに観客としてモントレー伯爵(ルイ・サルー)がやって来る。彼はガランスに一目惚れ。舞台裏に来てまでガランスにアピールするのだが、彼女は申し出を軽くあしらう。しかし、ガランスは住んでいるマンションでラスネールの犯罪の共犯者になりそうになるが、モントレー伯爵のカネの力で助けられる。
 そして時は流れて5年後、ガランスはモントレー伯爵と結婚しており、バチストはナタリーと結婚しており子供も出来ており、パントマイム芸はパリ中で大流行り。しかし、バチストはガランスの事を忘れられないでいた・・・

 アル・レッティ演じるガランスがモテまくる。本作に登場する主要男性陣は4人ともガランスに惚れてしまう。ガランスが男を誘惑する素振りは一切ないのだが、彼女の成熟した色気が男達を虜にする。しかし、ガランスが本当に愛していたのはバチストだけ。金持ちのモントレー伯爵と結婚していても、心は常にバチストを想い続けている。
 またナタリーの一途にバチストを愛する様子が非常に悲しいものを感じさせる。ガランスに向かって『バチストは必ず私を愛するようになるわ』なんて言ってのけるが、どこからそんな自信が湧いてくる?と見ている最中は思った。バチストとナタリーも結婚して子供まで産まれるのだが、ナタリーがガランスに勝てない結末が哀しい。
 結局は誰も報われない結末に終わってしまうのだが、このセンチメンタリズムが1930年代から1940年代にかけてのフランス映画の独壇場。これぞ詩的リアリズムを感じさせる。
 男女の嫉妬、プライド、複雑な心情が描かれているように酸いも甘いも尽くした大人の心に響く恋愛劇として本作は傑作だろう。そして、ジャン=ルイ・バローのパントマイムは素晴らしいの一言。これも本作の見所として挙げて良いだろう。
 18世紀前半のパリの雑多な人混み、劇場風景、決闘、大道芸など当時の風俗が見られるのも褒めたいところだろう。3時間半という長時間にビビッて本作を観ていない人は非常に勿体ない。名作とはどういうものかを教えてくれる天井桟敷の人々を今回はお勧めに挙げておこう

 監督はマルセル・カルネ。第二次世界大戦中は多くの監督がフランスからアメリカに渡ったりしたが、この人は本作のようにフランスで撮り続けた。ラストシーンが秀逸な北ホテル、ジェラール・フィリップ主演の愛人ジュリエット、サスペンス映画の傑作嘆きのテレーズがお勧め

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映画 たそがれ清兵衛(2002) 藤沢周平の原作

2025年01月08日 | 映画(た行)
 個人的にも大好きな小説家である藤沢周平の原作の映画化作品が今回紹介するたそがれ清兵衛。彼の作品と言えば時代劇であるが、下級に属する市井の人々の悲喜こもごもを描いている。そして、映画化に当たってもその雰囲気は山田洋次監督の手によって見事に描かれている。

 早速だがストーリーの紹介を。
 時代は幕末、庄内藩(今の山形県)において。平侍に過ぎない井口清兵衛(真田広之)は仕事の時間が終わると、上司や同僚の誘いを断って、さっさと帰宅していた。付き合いの悪い彼は陰で、たそがれ清兵衛とあだ名をつけられていた。井口は勿論、そんな陰口を叩かれているのは知っていた。しかし、彼は労咳で死んだ妻の薬代と葬式の費用が重なり、そしてボケた母と娘2人の世話をするのには、今の少ない俸禄では到底やっていけない。彼は節約と内職をこなすために真っすぐに家へ帰っていたのだ。
 しかし、藩の内部で権力争いが起こり粛清の嵐が起きる。その中には藩内で随一の剣豪の余吾善右衛門(田中 泯)も切腹の対象になっていたのだが、彼はその命令に反して家に立て籠ってしまっていて、誰も彼を倒すことができない。そんな余吾善右衛門を斬る藩の命令を下されたのが、井口清兵衛であったのだが・・・

 井口清兵衛というのが、ケチにならざるをえない程のものすごい貧乏。衣服がボロボロでもそのままだし、風呂にも何日も入っていないので匂いがしてしまうほど。せめて風呂ぐらいは入れ。侍に必須の持ち物である刀だが大刀の方は売り飛ばしてしまい、そして、少しでも生活をするために、侍ならば絶対にしないであろうと思われる畑仕事をしている。そして、売り飛ばした大刀の代わりに竹で作った刀を差している。もちろんそれでは人を斬れない。そんな貧乏生活をしている井口だが、それでも娘2人の成長を楽しみにしており、畑仕事にも精を出すようなところは非常に好感が持てるし、貧乏侍を描いた映画やドラマは見たことがないので興味深く見れた。
 それでも何だか冴えない侍なのだが、人間はやはり一つぐらいは特技がある。それは剣術。短い竹の刀で相手を斬り倒すのではなく、打ち倒すほどの強者。しかし、普段はそんなことはおくびにも出さない。この控え目な性格も好感が持てるし、普段はたそがれ清兵衛と馬鹿にしている者もそんな裏の素顔を知ってびっくりする様子が少し笑える。
 藤沢周平の愛読家が本作を観ると実はたそがれ清兵衛だけでなく竹光始末(この作品から竹が刀というアイデアが取られている)も脚色として加えられていることに気付く。両方とも短編で非常に味わい深い作品である。この機会に藤沢周平の短編小説は面白いということをアピールしておこう。
 時代劇映画らしく斬りあいのシーンもあり、真田広之宮沢りえの不器用な恋愛もあり、なんせ下級武士の生活の苦しさも描いているのが藤沢周平のファンからすると嬉しいところ。近回はたそがれ清兵衛をお勧めに挙げておこう

 監督は山田洋次。トラさんシリーズで有名。実は彼の作品は初めて観たのですがお勧めがあれば逆に教えてください

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原作です。











 
 


 

 
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映画 テオレマ(1968) 奇妙な映画です

2024年12月24日 | 映画(た行)
 イタリアの鬼才映画監督であるピエル・パオロ・パゾリーニだが、映画監督以外にも小説家、詩人等と色々な顔を持つ。53歳という若さで死んでいるのだが、生前と同様に死に方までスキャンダラス。この監督について詳しく知りたい人は自分で調べてもらおう。ちなみに俺は彼の作品はアポロンの地獄豚小屋アラビアンナイトを観ている。しかしながら、鬼才と呼ばれる映画監督の作品によくあることだが、個人的にはどれもつまらないものばかり。ちなみに本ブログのコンセプトは誰に対しても自信を持ってお勧めできる映画を褒めまくること。そんな時にようやくお勧めできる彼の映画に出会えたのが今回紹介するテオレマ。タイトルの意味はイタリア語で『定理』を意味する。
 
 パゾリーニ監督だが調べてもらえればわかるが、共産主義者。そんな彼の思想が出ているストーリーの紹介をしよう。
 工場経営者のブルジョワ家庭に、何気なくふら~っと青年(テレンス・スタンプ)が訪ねてくる。なぜかこの家庭に泊まることになった青年だが、彼はこの家庭の主人(マッシモ・ジロッティ)、その妻(シルヴァーナ・マンガーノ)、娘(アンヌ・ヴィアゼムスキー)、息子(アンドレ・ホセ・クルス)、家政婦(ラウラ・ベッティ)達といった住人を次々に虜にし、肉体関係まで結んでいく。
 ある日のこと、青年は唐突に家を出て行ってしまうのだが、その日を境にしてこの住人達は奇行に走り出す・・・

 テレンス・スタンプ演じる謎めいた青年が、老若男女問わず肉体関係を結んでいくが、直接的な描写はないのでその点では安心して見れる。何の不自由もなく(実は不満があったのかもしれないが)暮らしていたブルジョワ家庭を崩壊させていく、この青年は一体何者なのか?そのことを考えるだけでも非常に意味深だ。
 この青年が去ってから、主人は経営する工場を労働者に手放し、駅のど真ん中で素っ裸になったり、妻は次々と男漁りをするようになり、娘は急に手が硬直して意識がぶっ飛んだようになり、息子は家出をして抽象画に没頭するものの破滅していっているように見える。この辺りはブルジョワの身分の人間を皮肉っているように思える。
 そして、家政婦だが青年が出て行った後に直ぐにお暇をして田舎に帰る。そこで家政婦は空中に浮かんだり、子供の病気を一瞬で治したり奇跡を行う。この家政婦はキリストのメタファーとして描かれている。しかし、パゾリーニ監督は共産主義者ということから宗教(特にキリスト教)には信仰心がないと思われるが、この家政婦に対する描き方はどう捉えたら良いのか考えさせられる。
 他にもブルジョワ家庭に、二度ほど踊りながらやって来る郵便配達の男も印象的なのだが、この郵便配達の意味するところも悩ましい。
 そして、本作はやたら台詞が少ないので、説明なんか全くないのに等しい。それ故に観ている側は前述したように色々と考えさせられ悩まさせられるので知的な面で好奇心をくすぐられる。ノー天気な気分で映画を観たい人にはお勧めできないが、少々頭を使わさせられるような映画が好きな人に今回は映画テオレマをお勧めに挙げておこう
 この監督作品でお勧めがあれば、遠慮なく教えてください。











 

 
 
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映画 トゥルーマン・ショー(1998) 嘘構の世界で生きられるか⁈

2024年12月12日 | 映画(た行)
 もしかしたら俺が今生きている世界は誰かが意図している世界ではないのか?この世界は現実ではなく嘘構ではないのか?本当に俺の母親か?そんな不安に陥ってしまいそうになるのが今回紹介する映画トゥルーマン・ショー。主人公が知らぬ間に虚構の世界で生きることになってしまうアイデアが秀逸な作品だ。本作は表面上の作りはコメディだが、色々と考えさせられることが多い。例えば、人のプライバシーの侵害、人の自由を奪う社会の罪深さを考えさせられたりと言った真面目な問題が浮かび上がってくる。結構悲惨な目に遭っているのに常に笑顔を浮かべている主演のジム・キャリーのおかげで深刻にならずに観ることができる。

 笑いの中に重大なテーマが描かれているストーリーの紹介を。
 月明りは綺麗で、海が見える素晴らしい景色を持つ離島で暮らしている保険会社に勤めるトゥルーマン(ジム・キャリー)。彼は幼い頃に水難で父を亡くして、それ以来水恐怖症になっている、そして彼の夢はフィジー諸島へ旅行に行くこと。しかし、彼はある時、異変に気付く。妻メリル(ローラ・リニー)をはじめ、どうも周辺の知り合いの行動も、どこか違和感がある。
 そんな状況の中でトゥルーマンは初めて島を離れ、フィジー諸島へ行こうとするのだが・・・

 自分の動きに連れて、あわただしい周囲の動きはなんだ!驚く主人公だが、生まれて30年も経ってやっと気づいたのかよ、なんてツッコミたくなる。まあ、この違和感のネタバレは60分経った頃にハッキリとわかってしまうのだが、よく考えらたオープニングから名優エド・ハリスが詳しくネタバレをしていた。
 違和感丸出しなのはトゥルーマンの周囲の人々だけでなく、映像からして何だかおかしいと観ている我々にも感じさせる。画面の下に恐ろしいほどの数字で何日目なんて出てきたり、トゥルーマンを外の世界から見ているような人々が居たり、雨の降り方がおかしかったり。この映画の不思議な設定の狙いは、わかる人には60分経たなくてもわかってしまう。
 実は本作が凄いのが、ネタバレ全開の60分を過ぎてから。ここからトゥルーマン(この主人公の名前のセンスも素晴らしい)は驚くべき行動にでる。今まで虚構の暮らしをしていても何不自由なく過ごしていたのだが、彼の決心は凄い。まだ見ぬ世界へ飛び出し、爽やかで感動するラストシーンへ一気に突っ走る。俺が同じ境遇だったら虚構の世界を甘受していただろう。
 基調はコメディだが、その中にも前述したような諸問題を考えさせられる。それでいて、これだけ感動させる映画を撮れるのだから脚本と演出を大きく褒めるべきだろう。老若男女、古今東西問わず誰にでもお勧めできる映画として今回はトゥルーマン・ショウをお勧めに挙げておこう

 監督はピーター・ウィアー。ハリソン・フォード主演の刑事ジョンブック 目撃者、ロビン・ウィリアムズが破天荒な教師を演じるいまを生きる、フランス人のジェラール・ドパルデュー主演のグリーン・カード、ラッセル・クロウがイケイケの艦長を演じるマスター・アンド・コマンダーがお勧め










 

 
    


 
 
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映画 突然炎のごとく(1962) 奇妙な三角関係のお話

2024年11月14日 | 映画(た行)
 三角関係というと我が国の政治家のような不倫絡みのドロドロの展開を想像するかもしれないが、本作はそのような展開とはちょっと違う。男二人(もう一人絡んでくるが)と女一人の組み合わせ。しかしながら男二人が一人の女性を奪い合うという展開にはならない。この男女の三人は時には三位一体のごとく仲が良かったりするのだが、女性があまりにも自由気ままに振る舞うのに、男二人が振り回されている印象を受ける。この映画の公開当時はまだ男性社会が幅を利かせていた時代だと思うのだが、そんな社会に鬱憤のたまった女性達は本作のジャンヌ・モロー演じる女性の生き方に憧れを抱くかもしれない。
 
 女性の奔放さに振り回される男性のダメっぷりも描かれているストーリーの紹介を。
 ドイツ人(オーストリア人?)のジュール(オスカー・ウェルナー)とフランス人のジム(アンリ・セール)は共通の趣味を通して親友同士になる。そこへ現れたのがフランス人女性のカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)。3人はいつも一緒で一緒に海へ遊びに行ったりする。しかしながら、いきなり河に飛び込んだり、素っ頓狂な行動を繰り返すカトリーヌに戸惑いながらも、二人の青年は次第にカトリーヌに惹かれていくのだが、押しの強いのはジュールの方。やがてジュールとカトリーヌが結ばれるのだが、それでも3人は一緒に行動する。
 そんな時に第一次世界大戦が勃発。お互いに祖国から徴兵を受けて、ジュールとジムは別れてしまう。お互いに戦争を生き延び、祖国でジュールはカトリーヌと結婚し、娘が生まれる。そしてジムも祖国で恋人ができる。お互いの無事を祝してジムはジュールから招待を受けてジュールとカトリーヌの住むドイツへ行き、3人は再会を喜び合うのだが、ジュールとカトリーヌの夫婦仲はすっかり冷めており、ジュールの提案もありジムとカトリーヌが一緒に暮らすようになるのだが・・・

 カトリーヌの自由奔放さが凄い。結婚していても平気で愛人を作るわ、ジュールとジムの間を渡り歩くわで一人の男では満足できない。メンヘラ状態で気分の浮き沈みが激しすぎて普通の男なら手に負えないように思える。しかしながら、この男二人が結構なダメっぷりを発揮する。カトリーヌから「あなたが頼りなのよ!」と言われるだけで直ぐに付いて行ってしまう。特にジムはフランスに恋人がいるのについつい甘い言葉に乗ってしまうだらしなさ。まあ、我が国の政治家も不倫してしまうんだから、女性に頼られたらついつい手を出してしまう気持ちもわからんでもない。そういう意味では本作は男女の機微がうまく描かれているように思える。しかし、最後にカトリーヌが笑顔でトンデモな行動に出るところは俺もドン引き。やっぱり女性は恐ろしい。
 ストーリー以外にもサイレント映画風な動きが面白かったり、ノリの軽い音楽が心地良かったり、それほど暗さ感じない。少しばかり味わい深い恋愛映画を観たい人に今回は突然炎のごとくをお勧めに挙げておこう

 監督はフランスのヌーベルバーグを代表するフランソワ・トリュフォー。結構おすすめは多いのだが、今回は彼の長編デビュー作品である大人は判ってくれないをお勧めに挙げておこう


 
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映画 ダークナイト(2008) ジレンマに悩みまくる主人公 

2023年08月22日 | 映画(た行)
 バットマンシリーズの第2章の2作目。前作のバットマン ビギンズでは、どんなことがあっても人殺しをしてはいけないという当たり前のことを教えられ、どんな凶悪な人間に対しても鉄拳制裁はするが、けっして自らの手で殺すことはしなかった。それはバットマン自身のルールであり、正義のあり方でもあった。それは彼の崇高な精神だと言えるのだが、逆に弱点にもなりえる。その弱点を執拗に突いてくる凶悪な敵であるジョーカーとの死闘を描いたのが今回紹介する映画ダークナイト
 ゴッサムシティを犯罪から守るためにコウモリのコスプレをしながら犯罪者を叩きのめすが、そのことによって犯罪者は増えるばかりか、偽バットマンまで登場させてしまう始末。そもそもバットマンはゴッサムシティの市民を守るために行っているのだが、その行いは法の範疇を超えていて、バットマン自身が警察から追いかけられてしまう存在になっている。
 そんなバットマンの行動は新たなる強敵であるジョーカーを呼び起こし、しかも、バットマンの弱点を執拗に攻めて人殺しをゲームの如く楽しんでいる。本当は生身の人間で大金持ちの大富豪に過ぎない主人公ブルース・ウェインは、ゴッサムシティを守るためにコウモリ姿のコスプレに変身して偽りの姿であるバットマンとして犯罪者たちと戦うには体力の限界、そして強い奴が現れると更に強い奴が現れるというロジックに悩んだ末にブルース・ウェインが導きだした答えは如何なるものか。

 さて、とにかくヒーロー自身が悩みまくるストーリーの紹介を。
 前作でゴッサムシティを全滅の危機から救ったブルース・ウェインことバットマン(クリスチャン・ベイル)だが、相変わらず犯罪者は後を絶たずに、自らは寝る間も惜しんで、傷だらけになりながら犯罪者を叩きのめしては警察に出していた。
 しかし、ゴッサムシティに趣味が人殺しという常識では考えられないようなジョーカー(ヒース・レジャー)が現れる。犯罪にかけては恐ろしいほどの知能犯でるジョーカーは、「バットマンが素顔を晒さない限り殺害を繰り返す」とバットマンを挑発する。実際に宣言通り人殺しを巧みに実行していくジョーカーに対して、民衆の怒りは一向に姿を見せないバットマンに向けられる。その様子に悩んだバットマンはゴッサムシティの救世主になることを諦め、その代わりに悪を憎む熱血漢検事のバービー・デント(アーロン・エッカート)にゴッサムシティの運命を託すのだが・・・

 ゴッサムシティの腐敗の元凶であるマフィア退治に忙しいバットマンとゴッサム市警のゴードン刑事(ゲイリー・オールドマン)だが、そこへ動機なき犯罪を重ねるジョーカーと対峙してしまう。このジョーカーが非常に厄介なのが、自分が死ぬことに対しては恐れていないところ。バットマンと対峙しても「さあ、俺を殺せ、殺せ〜。」なんて挑発する。これがとにかく嫌な奴過ぎてムカつく。
 そんなジョーカーに対してバットマンは頭が固いからなのか、自分の信念が強すぎて、決してジョーカーを殺さない、と言うか殺せない。俺なんかは見ていて、さっさと殺せよ!と思ってたのだが、もしもジョーカーを殺したらバットマンの負けを意味する。この件は名作サスペンスの傑作セブンのブラッド・ピットを思い出した。まあ、強い者には強い者が必要であるという論理はアメリカという国を見ればわかる。
 そして、更に本作ではどんな高潔な人間でも一瞬にして悪の道へ叩き落とされることが可能なこと。善悪なんて表裏一体だということは色々な映画で描かれているが、本作は見事なまでに善人が悪へ突き落とされる過程を描いている。俺のことを知っている人は全員が正義感の塊だと思っているが、実は俺ってけっこう腹黒いのだと伝えておこう。
 しかし、バットマンとて黙っていない。ジョーカーみたいな狂ったような相手と戦うには法を守っていては戦えない。それをやっちゃ〜ダメだろう、なんてことにまで手を出してしまう。そして、ラストシーンでバットマンが選んだゴッサムシティに平和を持たらすための選択。これがインパクト抜群。俺がバットマンだったらこのような選択に辿り着けたかどうか?法律を遵守するのは当然のことだが、これまた良いところもあれば、悪いところもある。何事も勧善懲悪で済まされないことを本作を観ていて俺もバットマンと同じように悩まさせられた。
 できれば前作のバットマン ビギンズを観てから本作を観た方が良いとアドバイスをしておこう。アクションシーンはド派手ながら、アメコミが文学及び哲学の域にまで達していると言っても過言ではない映画として今回はダークナイトをお勧めに挙げておこう

監督は前作と同じクリストファー・ノーラン。お勧めはバットマン ビギンズを参照してください






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映画 超音ジェット機(1952) 飛行機の進歩を学べる?

2023年06月18日 | 映画(た行)
 産業革命により鉄道や蒸気船といった発達を起こし、交通の利便性に大きな変化を授けた。そんな産業革命の発祥の地であるイギリスで飛行機の進歩を描いた作品が今回紹介する超音ジェット機。ちなみに原題はThe Sound Barrier。直訳すれば『音速の壁』。時々、センスの欠片もない下手な邦題を目にすることがあるが、この邦題はなかなかイケてる。
 さて、『音速の壁』とは何ぞや?。本作の公開された年は1952年だが、それまで多くのパイロットや開発者達が早く飛行機を飛ばそうと躍起になっていた。しかし、どうしてもある音速を誰も超えることができないでいた。その限界値が『音速の壁』であり、その音速の壁によって多くのパイロットは犠牲になり、飛行機も無残な姿になっていた。その限界値がマッハ1。航空会社やパイロットがマッハ1へ到達しようと飽くなきチャレンジが描かれているのが本作の内容。それだけなら本作は単なる航空映画になってしまう。確かにそのような面を持っているのは確かだが、むしろ本作を観て心を奮えさせるのが文明の進歩における積み重ねが、さらりと描かれているところ。

 早速だが、過去だけでなく未来まで見通せそうなストーリーの紹介を。
 第二次世界大戦も終わりかけの頃、イギリス空軍のパイロットであったトニー(ナイジェル・パトリック)は航空会社を経営する大富豪ジョン・リッチフィールド(ラルフ・リチャードソン)の娘であるスーザン(アン・トッド)と結婚する。結婚後はトニーはジョンの会社のテストパイロットとして働くようになる。
 ジョンは息子であり、スーザンの弟であるクリストファーが嫌がるのを承知で飛行機の運転を学ばせ、テストパイロットに育てようとする。そして、自社開発の飛行機のテストパイロットとしてクリストファーを乗せるが、事故って死亡。実の息子を亡くしたにも関わらず、平然と飛行機開発に勤しむ父親に対してスーザンは怒りと悲しみに襲われ、夫であるトニーが飛行機を運転する度に心配することになる。
 いよいよ飛行機の速度のマッハ越えに憑りつかれているジョンだが、トニーとスーザンの新婚旅行中にもテスト飛行に失敗してしまい、パイロットの命を亡くしてしまう。飛行機の設計ではなく、テストパイロットの技術不足だと考えるジョンは、いよいよマッハ越え、すなわち『音速の壁』を突き破るためにテストパイロットとしてトニーを指名するのだが・・・

 息子の命を亡くしても、速く飛ばせる飛行機を作り出そうとする大富豪ジョンの欲望にドン引き。そりゃ~、娘のスーザンも家を出て行こうとするよね~、だって息子(ジョンの孫)までお祖父ちゃんのトチ狂った目的のために息子(ジョンと命名される)までテストパイロットにされちゃ~、毎日が心配で頭が変になりかねない。
 何でそんなに犠牲を払ってでも飛行機を速く飛べるようにしたいの?なんて質問したくなるが、実際にスーザンや研究者も俺が思うまでもなく、ジョンお祖父さんに尋ねる。その質問に対するジョンお祖父さんだが、スーザンだけでなく俺も納得できるような答えを聞かされなかった。
 しかし、本作が公開された1952年から70年を経た現在において飛行機の技術は目覚ましい進歩を遂げた。マッハ1で飛ばすのも困難を極めた時代も、最近公開されたトム・クルーズ主演のトップガン マーヴェリックではマッハ10に大きく進歩した。技術の進歩は飛行機だけでなく、あらゆる物において顕著に見られるのは多くの人が実感し、昔よりも便利になっていることに有難さを感じているだろう。
 そのように考えれば本作を観た後にぼんやりとだが理解できることがあるだろう。昔の人の知恵と勇気によって、現代を生きる人々はどれだけの恩恵を受けているかを?そして、それは未来においても変わらない。この世の中は便利になり過ぎた~!なんて、ぼやいている人もいるが、それは血と汗を流しながら働いてきた人に対して失礼極まりないこと。俺は先人に改めて感謝の意を表明したい。
 さて、本作だがスーザンの女性の心理を巧みに描いている。そして、本作に登場する英国人男子を観ていると彼らの凄さを感じることができる。いきなり「明日はお前がテストパイロットだ」なんて命令されても、嫌そうな顔を一つも見せずに「ラジャ~」と即答するところ。嫌なことや、少しでも面倒なことを頼まれると、すぐに断ってしまう俺はとことん反省させられた。
 昔の映画と言っても飛行機が飛び出すシーン、爆音も迫力があるし、ヨーロッパの方へ観光した気分に少しだけなれるのも良い。飛行機映画の基本形としてだけでなく、観る人に色々な物をうったえかける作品として今回は超音ジェット機をお勧めに挙げておこう

 監督は偉大なる名匠デヴィッド・リーン戦場にかける橋アラビアのロレンスドクトル・ジバゴなど、大画面で映える作品群で有名。他に逢引き旅情など、お勧めがたくさんあります





 

 

 
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映画 特攻大作戦(1967) 戦闘兵のキャラが面白い

2022年08月28日 | 映画(た行)
 戦争映画なんてものは履いて捨てるほどたくさんあるが、個人的に戦争映画に求めるのは生きるか死ぬかに迫られた人間の極限状態の描写。偽善的なヒーローが登場してたった一人で何人もの敵兵をバッタバッタと殺しまくるような映画は個人的にはもう見飽きた。さて、今回紹介する映画特攻大作戦だが、タイトルから想像できるようにまさしく戦争映画。そして、俺が求める人間のギリギリの極限状態に追い込まれた姿は描かれていない。この映画の特徴を挙げる前に原題を示しておくとThe Dirty Dozen。直訳すれば、『汚い12人の奴ら』といったところだが、この12人のキャラクター設定が笑える。主人公はこの12人を束ねるアメリカ兵の少佐リー・マーヴィン。笑える12人を戦闘マシーンとして鍛えて、敵の拠点を破壊しようと乗り込んでいく。女性は殆ど出てこないが、リー・マーヴィンを筆頭に登場するのは男くさい俳優ばかり。そして、こいつらが全身全霊をかけて戦う姿に俺のハートは燃えた。

 実は第二次世界大戦時を舞台に、ロクでもない奴らがナチスドイツの拠点をハラハラさせながら攻撃するストーリーの紹介を。
 少々変わり者であるアメリカ陸軍のライズマン少佐(リー・マーヴィン)がウォーデン将軍(アーグネスト・ボーグナイン)から呼び出され、ある任務を迫られる。それはアメリカ軍刑務所に収容されている囚人達の12人を選んでナチスドイツの重要拠点でありナチスドイツ兵幹部が多くいる宮殿如き建物をナチスドイツの幹部もろともぶっ壊すこと。
 アメリカ軍刑務所に戻ったライズマン少佐は早速囚人達の中から12人を選ぶ。しかし、その囚人達は間近に刑執行が迫っている死刑囚や終身刑などの罪悪人ばかり。しかし、作戦成功した暁には無罪放免されることが条件に挙げられている『大赦作戦』。生き残る可能性があり、無罪放免となるかもしれない作戦を拒否する者など居なかった。そして、ライズマン少佐は罪人達を戦闘員として鍛えることに苦労するうえに、しかも上層部からの邪魔も入り、ことは簡単に進まない。しかし、何とか12人の兵隊を鍛え上げ、ライズマン少佐と12人の兵士たちはドイツへ乗り込んでいく。念入りな作戦だったはずだったのだが、思わぬところから綻びが出てしまい・・・

 この映画が凄いのが死刑囚や終身刑といった重罪人たちを戦闘員にして、あやよくば戦闘で犠牲になってもらおうという所。なるほど、そうすれば罪人たちのせいで国民に重税を課すのを少しでも減らせる訳だ。しかし、死刑囚や重労働を課せられている重罪人をまとめて戦闘員に育てる役割を任されたら俺だったらどうしよう。この役割はリー・マーヴィンのような強面な人間にしかできない。俺みたいな柔和な表情をした優しい男では務まらない。
 訓練するシーンも面白いが、ドイツに乗り込んで戦闘が開始される前から、いきなりトラブってしまうところは笑えた。戦闘シーンに入ってからも面白いのだが、個性が強すぎる12人の中でも、テリー・サバラス演じる人種差別者、強姦魔、狂信者とダメダメな奴が選ばれているのが、ストーリーを盛り上げる。いくら重罪人の集まりでも、こいつだけは選んだらダメだろうなんて俺なんかは出てきた瞬間から思った。
 生き残る道が無いのを良いことに無罪放免をちらつかせて殆ど生きて帰れないような作戦をさせる腐ったアメリカ上層部には腹が立つし、ナチスドイツ兵の残酷さばかり知らされるが、アメリカの軍隊だって酷いことをしてるじゃないかと俺はこの映画を観て怒りを覚えた。あの爆破シーンを実行する場面は考えさせられるものがあった。
 しかし、何だかんだ言っても本作はエンタメ志向。個人的にはもう少し心に迫るような作品が好きだが、戦争映画にもエンタメを求める人には向いているだろう。そして脇役陣の重厚さが凄い。アーネスト・ボーグナインロバート・ライアンチャールズ・ブロンソンドナルド・サザーランドジョージ・ケネディテリー・サバラスと言った渋すぎる俳優陣。この武骨な面々を女性の人は観るのが苦しい映画かもしれないが、男性なら燃える映画。そして、この映画は後々の戦争映画に多くの影響を与えていることを本作を観ればわかるだろう。だいぶ古い映画だが今回は燃える映画として特攻大作戦をお勧めとして挙げておこう

 監督はロバート・アルドリッチ。戦う映画を撮り続けた巨匠。反戦映画の骨太の傑作攻撃、飛行機が砂漠に不時着してしまった飛べ!フェニックス、二大スターの対決を描いた西部劇ヴェラクルス、男のプライドを賭けた戦いが熱い北国の帝王バート・レイノルズ主演の刑務所の看守達に立ち向かうアメフトを描いたロンゲスト・ヤード、そしてこの監督には珍しい女性同士の戦いが怖い何がジェーンに起こったか?がお勧めです。

 
 
 
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映画 地下鉄のザジ(1960) 強烈なドタバタ喜劇

2022年01月28日 | 映画(た行)
 フランスのヌーヴェルバーグを代表する映画監督であるルイ・マル。多くの名作を遺した偉大なる監督であることは間違いないが、個人的に最もインパクトがあったのが、今回紹介する地下鉄のザジ。流石に何回も観ると大して笑えなくなるが、初めて観た時は抱腹絶倒にして、全てのシーンにおいて驚きの連続。今までの映画の既成概念をぶっ壊したと言われるヌーヴェルバーグの作品の中でも、とりわけ本作はヌーヴェルバーグの映画らしいエッセンスが詰まっているし、今観ても驚きの映像技法を感じさせてくれる。

 本作の主人公は、まだ10歳ぐらいの女の子のザジ。この女の子が初めてやって来たパリで、ただでさえ頓珍漢な大人達が多く出てくるが、その大人達を混乱させる様子が笑えるストーリーの紹介を。
 母親に連れてこられて初めてパリにやってきた少女ザジ(カトリーヌ・ドモンジョ)。母親は愛人と会うためにパリにやって来たのだが、その間のザジの世話をガブリエル伯父さん(フィリップ・ノワレ)に任せて、サッサと愛人と一緒に去っていく。
 ザジがパリに来て楽しみにしていたのが、地下鉄に乗る事。早速地下鉄に乗ろうと駅まで行こうとするのだが、ところが地下鉄はスト中。ザジはショックを隠し切れないままガブリエル伯父さんの家に連れていかれることになるが、彼女は伯父さんの家を抜け出してパリの街を縦横無尽に駆け回り、変わり者だらけの大人達を混乱させるのだが・・・

 ストーリーはザジが初めてやってきたパリでの行動を描いただけ。しかし、この映画の見所はたくさんある。とりわけまだ10歳ぐらいの女の子のザジのキャラクター設定が笑える。女の子なのだが、大人が答えられないような事を言ってくる。例えば『ホモって何?』『あなたはロリコン?』等、他にも俺が言ったら気味悪く思われるようなことをガンガン大人に向かって言う。言葉だけでなく行動もやりたい放題。それでいてなかなか憎めない女の子だ。
 勝手な行動が多いザジをオッサンが追いかけるシーンが2つあるのだが、この追いかけっこのシーンが2つとも爆笑もの。ジャンプカット、早回し、瞬間ワープ・・・等など、あらゆる映像テクニックを駆使して描いているが、これが驚きと笑いの連続。大人を馬鹿にしたザジの行動がとにかく笑わせる。
 いつ事故が起きても不思議ではないような車の交通量の多さの中でのシーンや、ちょっとしたパリの観光気分を味わえるエッフェル塔でのシーンなど一つ一つのシーンが笑えるし、しかも無駄にハチャメチャな展開になっていくのも楽しい。最後の方ではザジが一人だけ寝ている中で、他の出演者が一斉に集まって戦争さながらの大喧嘩が始まるが、これが初めて観た時はマジで笑えた。少しばかり深読みすると、全体的に大人達の行動をシニカルに描いているように思えたりする。
 たくさん笑わせてくれる大人達が出てくるが、個人的に印象に残っているのがガブリエル伯父さんの美人な奥さん。唯一マトモな大人の出演者だが、けっこう無表情なのがこの映画ではけっこう笑える。他にも音楽の使い方にも特徴があったり、ここで全部を紹介できないぐらい多く笑えたり、驚けるシーンがたくさん出てくる。とにかく一生に一度ぐらい観ておけ!ということおで今回は地下鉄のザジをお勧め映画に挙げておこう

 監督はジャン・リュック=ゴタール、フランソワ・トリュフォー達と並ぶヌーヴェルバーグを代表するルイ・マル監督。彼が弱冠25歳で撮ったデビュー作品であるサスペンス映画の傑作死刑台のエレベーター、自殺を決意した男がパリを彷徨う様子を描いた鬼火、ナチス占領下におけるパリを舞台に子供同士の友情に感動できるさよなら子供たちがお勧め。

 









 
 













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映画 手紙は憶えている(2015) ナチスへの復讐? 

2021年11月14日 | 映画(た行)
 欧米諸国にとって戦時中におけるナチスドイツの残虐行為は大きなトラウマとして残っているのは、現在に至っても多くのホロコースト(大量虐殺)を題材として扱っている映画が撮られ続けていることから理解できる。今回紹介する映画手紙は憶えているもその分野の作品で、しかも戦時中の恨みを果たそうとするナチス・ハンターを描いている。そのナチス・ハンターを演じるのが今年の2月に91歳で亡くなった名優クリストファー・プラマー。本作の公開時で既に85歳の老人だったのだが、更にインパクトを持たせるために90歳という年齢設定になっている。

 さて90歳になる老人は果たして、自分の家族をアウシュビッツ収容所で殺害したナチスの兵士を見つけ出して、復讐を果たすことができるのか?ストーリーの前半だけ少しばかり紹介をしよう。
 ニューヨークの介護施設で暮らしている90歳になるゼヴ(クリストファー・プラマー)だが、1週間前に長年連れ添った最愛の妻ルースを亡くしていた。しかし、ゼヴはすっかり認知症が激しく進んでおり、ルースが亡くなっていることを忘れてしまっている始末である。
 ある日のこと、同じ施設で暮らしている友人で車椅子生活を余儀なくされているマックス(マーティン・ランドー)から一通の手紙を渡される。実はゼヴとマックスの2人は戦時中にアウシュビッツ収容所に強制収容されていた過去があり、2人とも家族を殺されていたという共通点があった。
 さて、手紙の内容だが2人の家族を殺してアメリカに逃亡し、身分を偽って生きているルディ・コランダー、本名オットー・ヴァリッシュというナチスの兵士を見つけて殺すこと。そして物忘れが激しいゼヴのために詳しいアドバイスが手紙に記されていた。ルディ・コランダーという候補者は4名まで絞られており、ゼヴは親友のマックスとの約束を果たすため、そして自らの家族を惨殺したルディ・コランダーことオットー・ヴァリッシュに鉄槌を下すために、施設をこっそり抜け出して復讐の旅にでるのだが・・・

 御年90歳の老人だが、体力の無さに加えて、物忘れが激しいので、見ていてハラハラドキドキさせる。頼れるのは親友のマックスから預かった手紙に書かれたアドバイスのみ。実際に旅の途中で恐ろしいことにでくわしてオシッコを漏らしてしまうシーンもある。こりゃ~、いくらなんでも無謀すぎるチャレンジだと誰もが思うはず。しかし、未だにのうのうと生きているナチスの残党を許せない怒りが老人を復讐への道を突っ走らせる。
 まあナチスを描いた映画なんかは多くあるし、ナチスハンターを描いた内容の映画にしても結構見受けることがある。しかし、本作もそのような前例を踏襲しているように思わせているような作りになっているのだが、実はなかなか味わい深いサスペンス映画だということに気付かされる作品。ちなみに原題は日本人でもよく知っている映画の単語である Remember。映画を観終えた後、この原題が意味することを理解させられ非常な驚きを得られることになるのだ。ナチスドイツに対する興味や知識が無くても楽しめる映画。出演者の平均年齢が異常に高いので若いギャルやイケメンを期待することは全くの無理だが、サスペンスタッチの映画が好きな人には映画手紙は憶えているを今回のお勧め映画として挙げておこう

 監督はカナダ人のアトム・エゴヤン。けっこう当たり外れがあるタイプの映画監督だが、お勧めというか個人的には気に入ってる作品として、まだ10代半ばのサラ・ポーリーが出演しているスウィート ヒアアフターを挙げておこう。
 
 
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映画 天国は待ってくれる(1943) 女好きの男の一生が笑える

2021年01月28日 | 映画(た行)
 本当に天国と地獄があるのならば、俺は果たしてどっちに行くのだろうか?残念ながら今のところ、地獄に送られてしまうことしか想像できない。これから徳を積んだとしても、もう手遅れのような気がする。そんな俺と同じように後悔だらけの人生を送ってしまったと嘆いている人に希望を与えてくれる映画が天国は待ってくれる。1943年という第二次世界大戦の最中に作られた映画だが、白黒画面じゃなくて綺麗なテクニカラーだし、古さを感じさせない。テンポの良いストーリー展開とユーモア溢れる会話は非常に洗練されており名匠エルンスト・ルビッチ監督によるテクニックを感じることができる。

 少しばかり度が過ぎた女好きの人生を過ごしてしまった男性が行き着く先は天国か地獄か、それではストーリーをできるだけ簡単に。
 冒頭からいきなり死後の世界から始まる。ヘンリー・ヴァン・クリーヴ(ドン・アメチー)は地獄への受付けにやって来る。そこには閻魔大王(レアード・クリーガー)が居て、死者に対して天国か地獄かの行き先を決めるのだが、ヘンリーは自分でもこれは酷いことばかりしてきたと悟っていたので、いちいち裁決されるのを待つまでもなく地獄の受付けにやってきたのだ。そんなヘンリーに興味を持った閻魔大王は、とりあえずヘンリーが進んで地獄の受付けにやってきた理由を聞いてやると、ヘンリーが自らの人生を回顧するのだが、出てくるのは女性遍歴の数々。流石にこれは間違いなく地獄へ行かされるのかと思いきや・・・

 ヘンリーと閻魔大王の地獄の受付け場所のセットがなかなか新鮮さを感じる。さぞかし恐ろしい場所かと思ってたら、広々とした会社の事務所みたいな感じ。しかも閻魔大王の格好がビジネススーツと言うのがけっこうシュールに感じられて怖さはゼロなのが少し笑える。ドボケた味わいを持ち合わせているヘンリーの風情も重なり、2人の会話はけっこう楽しい。
 主にヘンリーの生まれてから死ぬまでの回顧録が展開されるのだが、少年時代からお祖父さん(チャールズ・コバーン)に甘やかされて、放蕩息子ぶりを発揮してくれる。結婚は略奪婚だし、浮気癖は妻のマーサ(ジーン・ティアーニ)が死ぬまで治らない。妻の亡き後も女遊びは止まらず息子にまで注意されるほど。そして死ぬ瞬間での出来事も笑わせる。
 現実においては、女癖の悪い男のすることはドン引きさせるようなことばかりだが、ところが本作を観ていると気色悪さを感じさせないどころか、まるでお伽噺のようなファンタジーな世界を感じられる。超一流の映画監督の手に掛かると、ロクでもない男のはずが伊達男に見えてしまうから不思議だ。
 しかし、女好きの男を演じるドン・アメチーだが、この人の声のトーンが渋くて、見た目もダンディ。そして洒落たことを言うので、そりゃ~モテる。俺もこんな男を目指そうと心の底から思った。
 そして、閻魔大王の判決の粋な計らいが非常に良い。自分の人生の良し悪しなんか自身で判断なんかできないし、どれだけ他人から感謝されるかによって価値が決まるのだ。俺もこれからは目一杯に周囲の人を楽しませてあげられるように努めよう。そして天国を目指すのだ。
 正直なところ女性がこの映画を観たら腹立つかもしれない。しかし自責の念に駆られて自分自身を、追い詰めてしまっている人がこの世の中は多い。そんな人にとって本作は、きっと笑いと心の安らぎを与えてくれると思う。

 監督は前述したエルンスト・ルビッチ。ハリウッド黄金期を支えた偉大なる監督。共産主義を笑いで皮肉ったニノチカ、正義感溢れるキャラクターが似合うジェームズ・スチュアート主演の桃色の街角、当時ナチスにボロボロにされていたポーランド国民への応援賛歌的な意味を込めた生きるべきか、死ぬべきかがお勧めです。
 
 

 

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映画 テキサスの五人の仲間(1966) ギャンブル映画の傑作

2021年01月12日 | 映画(た行)
 この世の中ギャンブルが好きな男が多い。俺の近くでも休日になると競馬やパチンコに熱心な旦那連中が居るが、奥様方はそのことについて大変嘆いている。コロナも重なり、ますます家計が苦しくなる家庭が多いが、そんなご時世にぜひとも紹介したい映画が今回紹介するテキサスの五人の仲間。我ながらダメっぷり満載の競馬予想を公開していながら、本作のような映画を紹介するとは自分でも少なからず気が引けるのだが、これを観ればギャンブルで負け続きの旦那さん連中は自分の嫁さんの見る目が変わるはずだ!って本当かよ。

 それではネタバレなしでストーリーの紹介を。
 アメリカ西部のテキサス州において。西部きっての5人の金持ちによる、年に1回盛大に行われるポーカーの大勝負がホテルの奥の一室で行われている。外野では誰が勝つのかワイワイ騒いでいる。そこへ旅をしているメレディス(ヘンリー・フォンダ)という男とその妻メリー(ジョアン・ウッドワード)、そしてまだ幼い息子ジャッキーが休憩のために立ち寄る。
 メレディスはポーカーの大勝負が行われていることを知り、見学したいと言い出す。しかし、メリーは必至で反対する。実はメレディスはとんでもないギャンブル好きで、過去にそのことが原因で痛い目に遭っているようだ。しかしながら、メリーは用事があったので、息子のジャッキーを監視役として見学を許し彼女は外出する。やっぱりと言うべきか、メレディスが我慢できたのはホンの一寸だけ。無類のギャンブル好きが災いして、息子の監視を振り切りポーカーに参加してしまう。残念なことに5人の金持ちにカモられ、しかも一家で貯めたカネを全て使い込んでしまう。
 そんな最悪のタイミングで帰ってきたメリーはびっくり仰天。それでもメレディスは今までの人生で最高の手札が来たことに人生最大のチャンスが巡って来たとメリーに言い張り、借金をしてまで勝負を続けようとするのだが、何とメレディスは持病の心臓マヒに襲われ別室へ退場。このままでは家族で路頭に迷うことになってしまうため、意を決したメリーが夫に代わって勝負に臨もうとするのだが、実は彼女はポーカーのルールを全く知らなくて・・・

 こういう映画を観ると家族を支えるのは夫ではなくて、奥さんの方だということがよく理解できる。ダメパパのおかげで不幸のどん底に叩き落とされそうになっているだけに、誰もが奥さんに声援を送りたくなるはずだ。そもそも賭けるお金がもう無いのに、どうする?なんて思ってたら、そんな物を担保にするのかと驚いた。
 ヘンリー・フォンダ演じるメレディスのギャンブル好きも凄いが、5人の金持ちの面々のギャンブル狂振りも凄い。今日のポーカーの大勝負のために娘の結婚式を放り出して参加している奴が居たり、公判中なのに裁判を放り出して参加している弁護士が居たりで、5人のキャラクター設定が凄い。そして、こいつらのメレディスに対して容赦しないドSっぷりが金の亡者の浅ましさを感じさせる。きっと悪い大人達を目の前で見ていたジャッキー少年は将来は立派な大人になるだろう。
 キャストは演技で見せるし、特にヘンリー・フォンダなんかは、アホかと思わせながらもギャンブルになると我を忘れてしまうタイプの男を説得力抜群で演じてくれる。そして、一発逆転に賭ける最後の手役は何だったのかを最後までしっかりと目に焼き付けて欲しいとアドバイスをしておこう。ウェスタン風ではあるが西部劇が好き嫌いに関わらず楽しめるし、ギャンブル依存症の人にはそこから抜け出す切っ掛けになるかもしれない。そして、この映画の結末は気持ち良いし、邦題の意味を観終えた後から考える楽しさが本作にはある。そしてギャンブルを背景にした映画に外れは無いと改めて俺自身も確認できた。これだから映画は楽しいと思わせるテキサスの五人の仲間を今回はお勧めに挙げておこう
 
 
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映画 地下室のメロディー(1963) 全編に渡って流れる音楽が良いです

2020年05月26日 | 映画(た行)
 当時のフランスの二大新旧大スターであるジャン・ギャバンアラン・ドロンが共演した大金強奪を描いたクライムサスペンス映画の傑作が今回紹介する地下室のメロディー。冒頭からラストまで幾度と流れる(テーマ音楽←聴きたい人はググってください)が渋くて、格好良い名曲だ。
 当然のことながら音楽が良いだけの映画ではない。ハリウッドのようなド派手な銃撃戦や爆発シーンなんか全くなく、全編に渡って静謐に進行する。カジノから大金を強奪するシーンにしても、少しばかりの緊張感があるだけで大きな見所ではない。しかし、映画史上の名シーンに値するクライマックスが最後の最後にやって来る。
 
 人生の黄昏を迎えつつも残りの人生を大富豪として暮らそうと画策する老ギャングであるジャン・ギャバン、もういい年をしていながら不良で仕事もせずに母親からカネをせびっている青年のアラン・ドロン。このロクでもない親子ぐらい年の差が離れた2人のダメ男たちが人生の一発逆転を賭けてカジノから大金を奪おうとするストーリーの紹介を出来るだけ簡単に。
 5年ばかりの刑期を終えて家へ帰宅した老ギャングのシャルル(ジャン・ギャバン)は、待ちわびていた嫁さんのアドバイスも聞かずに再度大金強奪を企む。それは南フランスのカンヌのカジノから大金を強奪すること。自分だけでは成功できないために、かつて刑務所で一緒だった自分よりも30歳ぐらい若い青年フランシス(アラン・ドロン)と彼の義兄ルイ(モーリス・ビロー)を誘い込む。念入りに計画、準備を進めて実行するのだが・・・

 ジャン・ギャバンの貫録、アラン・ドロンのイケメンだがオッチョコチョイ。こんな2人のキャラ設定が衝撃的な結末へ導く。大金強奪のシーンはそれほどスリルも感じないのだが、ダイハードやミッションインポッシブル等の大ヒットアクション映画に影響を与えているシーンを見るとチョット楽しい。最後のクライマックスシーンは2人の台詞はないのだが、ジックリ時間を掛けて描かれている。それにしてもジャン・ギャバンという俳優はただ座っているだけのシーンでも妙に存在感がある。,
ジャン・ギャバン、アラン・ドロンのどちらかでも名前の聞いたことがある人、フランス映画のサスペンス映画を観たい人、カネばかりを追い求めている人、映画音楽が好きな人等などに今回は地下室のメロディーをお勧めしておこう。

監督はアンリ・ヴェルヌイユ。本作と同じくジャン・ギャバンを主演に迎えたヘッドライトがお勧めです。


 
 
 


 

 
 
 
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