花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

情報インフラの特徴を味方にした番組

2011-10-25 02:09:34 | Weblog

かなり昔、、、NHKに「佐々木昭一郎さんというディレクターがいられました。
大学時代、、、たまたまその型の母上と私の母が友人であったことから
1か月続く進級試験の時に、
大学に近いということから下宿させてもらったことがありました。

食事の時の部屋から見えるお兄さんの机は圧巻でした。

うず高く積み上げた書籍の山は
今にも雪崩が起きそうな様子でしたが、
お母様という方は
、昭一郎さんの作品には関心があるようでしたが
お部屋の中で、書籍が雪崩を起こそうが、無関心で
息子さんのプライベートな集中力を尊重するのか、
干渉しないようでした。

「ネ!あの子、、、イタリア賞もらったのよ!」
「なんですか?イタリア賞って?」

ラジオで町の音を録音して、音で描いた時代の風景というような作品を
聞かせてくれました。

ラジオという音の世界の特徴を味方にした。心憎い手法の作品でした。

作家でもない、タレントでもない、「音」に語らせているのです。

町の雑踏は、雑踏の中で録音されたままの騒音。
若者のデリケートな青春の心の揺らぎは
喫茶店の中の飛び交うディスカッションをそのまま録音している。
歩道で急ブレーキをかける自転車の音も交じっている。

つまり、、、ラジオという「音の味方」を巧みに使って
音で写生、音で現代詩、音で時刻を、情景を、情緒を。

音を立体の多次元のクレヨンのように、
かすれたタッチに使い、哀愁を伝えてくる。

その後、音の風景で詩等も書いていた。

人生で出会った音の魔術を使う人だった。

今、、、TVに思う!

TVは色も味方、音も味方
、この武器を使えば世界は日本の友人になるでしょう。

なのに、、、味や、匂いや 感触が命となる「食べ物」の番組で
「料理」の報告番組が多いのでしょうか?

フィギャースケートの
陶酔する音楽の中で美しき肉体の芸術や
体操の極限を見ているとき

衣装が邪魔していたり
男のアナの邪魔な解説や個人的感想を説明されるとき
TVの「色」「音楽」「写真効果」「スピード」「光」「視点」と
カメラワークの絶妙な一瞬を、壊してしまう時がよくある。

荒川さんのナレーションはその点、
演技者であり次の瞬間はもうないという
一瞬の時間の美を創り上げた金メダリストだけあって
発言の「間」が邪魔にならない瞬間を心得て説明してくださる。

「体操もそうですが、息をのんで沈黙の中、、、珠玉の瞬間が魅力である。」
「しゃべくりが邪魔な一瞬がある。」

しかし、、、料理番組は「説明の番組の域を出ない。」

この味は「このような曲の感じです。」と
曲でも流してくれた方が「味」は伝わる。

タレントが「めちゃ!おいしい!」と演技するたびに
日本の味が消えてゆくような気がする。

着物だって、着る着物と、魅せる着物と、
着物に惚れて愛用して楽しく好きで着る着物と

金持ちの「メアキ千人、メクラ千人」をターゲットに
プリントしたり、
生地の糸の堅いものや、太いもの
模様の堅いフィーリングのする
化学繊維の糸の刺繍の帯は
画面ではよく伝わってこない。

それを逆手に取った
芸術的なシルエットや、
色や造形で
TVを味方にして、
目をくぎ付けにする衣装担当のおばさんもいたりする。

日本は資源がありません。

電波は貴重な日本の資産だと思うのですよ。

韓流の王朝時代のセットなど
TVを味方に日本の茶の間を占拠しています。

ただし、おんなじ俳優、女優さんが
似たような作品を放映するので
効果は下がってしまうと思ったりしている。

日本は考え直さないと、、、

ひばりさんほどの人になれば
個人のアピールでも
ドーム満杯に魅力を伝えてきますが、

ころころ変わるキャスターが、
番組の顔になるようでは
韓流の「映像テクニック」に完敗しますよね。

茶の間の視聴者の欲するレベルを
韓流は研究していますよね。

今、、、個人が画面でアピールすることや
味も匂いも伝わらない料理番組で
何かを「味方にして」

料理材料の、、、たとえば、、
「ジャガイモの歴史」
「品種改良の苦労のプロセス」
「日本の地域の土壌とジャガイモの味」

等、、、たとえて言うなら

「料理が美味いか、珍しいか」という華の世界から一歩進めて

世界の食材の入手の苦労とか、

金に頭を下げないで
料理に頭を下げて「味」の水面下のドラマを追えば

戦後の屋台の焼き鳥屋の果たした役目が

喪失感の中で、、、絶大な心の支えになって
孤独感を乗り越えさせたりしたのではと思ったりする。

成都に行ったとき、
ザットサンの通る黄土の道に
そのまま干した食材を使って
料理したものが出てきた。

泥や、砂や小石の入ったスープには
殻のついたままの「竜眼肉」が入っていた。

薬膳だと思ってありがたく食した。

細菌観念のない地域の旅で
下痢をする食べ物や、

小さい時から食べなれないと
あれるぎーに似た湿疹ができるものや、

日本でも、そばのアレルギーがあるが

いろいろなそばの種類で同じなのかとか

TVの機能の味方にした番組を
追究してゆかないと、

民間の視聴者は
「飽き飽きしたという大波小波でわがままです。」

TVマンは一掃されてしまうような
危険を感じるのは、私だけなのかしら?

特定の視聴者層に媚びるのではなく
日本の歴史上のお膳なら
味は伝わらなくても
アピールする魅力もありますよね。

味をどう伝えるか!
期待してます!
あ!、、、と驚く視点で
魅せてください。