わずかに11人の方だけが、一年間も更新しなかったサイトに来てくださって。
知らない広告だらけになっている「花鳥風月」を今日見まして、、、、、
いきていたんだなーって!
感慨無量です。
私が、自分のことだけしか考えてはいけない、リハビリーの毎日は、孤独な修行でしたよ。
医師の娘に生まれた日から、父も家庭には透明人間でした。
医師だけとは結婚しない!父兄会にも、学芸会にも、運動会にも、入学式にも、卒業式にも
父は、来なかった。患者さんに追い掛け回されていた。
さみしかった。兄も、弟も、それでも医師になった。
私も、医学部を受けた。幸いにも、現役で合格した。
「母は言いました。『やがて嫁に、無料であげなければならないのに、女医にする余裕は
我が家にはありません!、浪人中の兄や弟は、あなたみたいに、嫁に行くという
逃げ場はないのですよ!。』
早稲田を出て、お嬢様短大の教授をしていたおじさんが、有名進学高校の内申書だけで
僕の勤めている短大は「特待で、合格だよ」と、茶々を入れた。
弟のことを考えると、親父さんの健康状態を考えると、女医なんて。。。。
死ぬほどなりたいわけではないし。
それよりも、女性であることをキープしながら、医療を側面から応援して、
いつも兄弟と会話になるのは薬学だと思いました。
正解でした!
私が大学に入って、19歳の時、父は、最後の患者さんの手術を終えて、
麻酔が冷めるまで、起きているから、、、と連絡を最後に
早朝、仕事の続きの休息の延長で、、、本人は死んだこともわからないまま。。。
たぶん、明日の手術のイメージトレイニングをしながら、
長き眠りについた。
弟は運よく、ほんとに!!!運よく、やっている問題が出題されて、
難関の千葉大に受かった。
嬉しくて、弟の合格手続きに、姉の外野である私は、大はしゃぎでついて行った。
おめでとう!、
本来なら、医師の息子はゆとりがあるはず。
しかし、弟はすでに父がいない。
七年間の大学をどうやってクリヤーするか?
人間一文無しの中からでも、夢を追い始めると、一緒に巻き込まれて
夢を見てくれる、家族も友もいるもんだ!
弟が医師になって、国立がんセンターの黎明期に、東芝の技術陣と
老化に寝泊まりしながら、家庭を振り返ることもなく、
自分が医師になった理由を見つけたと言わんばかりの打ち込みようで、
市川平三郎先生について行った。
口を開けば、「患者さんのリスクの少ない画像診断が、実現する、いや!!!
僕らの手で実現させるのだ。!
彼は無休の何年かのち、擦り切れた背広で、
金が限界を超えるほどなくなった。
夢はこれまでか。。。。
稼げる病院に勤めて、患者さんを診ても、患者さんの根本の痛みをとらねば
僕が医者になった意味はないんだよ。。。。。
ボヤキが始まったころ、奇跡が起きて、彼はスタッフとして
月給がもらえる男になったのでした。
何もしてあげれなかった姉ですが、
弟が、自立して、食べてゆけるスタッフになれたことは、感激でした。
それから、何年かたって、がんセンターの検査を受けて、
赤ちゃんの頭ほどのムチンの満たされた卵巣腫瘍を、弟に指摘され、
医師の家内として、こんなになるまで、なぜほっといた!
その場の机から、外科医の夫の勤めている病院の手術室に直送された。
長い間、何キロもの腫瘍を抱えていた骨盤内臓器は、当然下垂していた。
下垂しているのに、忙しすぎて、子供を造った以外は、擦れ違いで働いた夫婦は
世にいう「セックスレス夫婦」でもあることが、余儀なくされていた。
特に定員に満たない創世記の巨大病院の外科医の夫は、住処は病院であったから
孤独な育児、孤独な妻と、感じる暇のない、マルチタレントの
都合のいい女と完全に間違われる実態の結婚生活だった。
家に帰っても、くたびれて爆睡している姿が正月にも普通だった。
タイヤ交換も、屋根の雪下ろしも、平らな我が家の防水作業も
5年に一度、シーラーというシリコンを塗り、上から、ウレタンの防水塗料を塗るのも
私のイベントだった。
東京に出て行った息子の家賃の足しにと考えたわけではないが、
巨大病院の外科医は、日曜休日は怪我をしないでくださいと、患者さんに頼めない。
いつもいない主人は、存在していれば、存在が家族を守っていると考えたから、
門番から社長までが守備範囲のような、、、働き蜂の裏方が、実は、一見カッコノいい医師の
楽屋裏であった。
いけばなが好きだった少女時代。。。。甘かった。
そうしてバタバタ働いているうち、
ある日、、、子宮が落ちてきた。
ある日、、、あんまり働く私を、神は男にしてくれて、
男と同じ勲章をくれたのかと思った!(^^!
ふざけている場合ではない。
今回も、なぜそんなにほーっておいた!
即手術室に直行!
当然、、、落ちてきた子宮を切り取って、さっぱりと
男感覚で生きてゆくのかと思ったら、
違っていた!
実に、子供を3人も生んでなければ、羞恥心で受けられないかもしれないが、
そこは、大の男を出産した母ちゃんの私は、先生に丸投げした。
実に、火箸のようなものをお尻側から差し込み子宮ごとネットで引き揚げて
落ちてこないように固定するのでした。
半年間は、ネットの力で子宮を支えるが、
じわじわと、ネットに、自前の筋肉が這ってネットを筋肉で包み込み
完成するまで、骨盤底筋肉のリハビリ運動が毎日100回。
半年後に、私は5年ぶりに、シーラーとペンキを持って屋根に上がった。
ペンキを塗りながら、四つん這いになって
骨盤底筋肉を鍛える運動の時間であった。
近所の人は、、、屋根に上がって、恒例のペンキを塗っていると思っているのでしょう。
「落ちないでねー」「大丈夫!、煙突に命綱結んでるからー」と。
二階の窓と、屋根のため口会話をしながら。。。
実に、執念の骨盤底筋肉運動をリハビリーしていたのでした。
この夏は、屋根も、ベランダも、土台も、雪囲いも、
執念のリハビリー運動の、相棒として、隠れ蓑になってくれた。
一年が過ぎるころを迎えて、
ほとんど、落ちてくることもなくなった子供たちの故郷の子宮がある限り、
ババではなく、、、母なのだから、
子供とは子宮に住む妖精なのだと思ったりする。
今度、落ちてきたら、
母は死んでも立ち直れるほど、
子供は独立し、
母以上の、若き嫁に包まれて生きてゆくのだと思うと、
身の回りの雑貨、不必要なもの、切り取り、
スリムになって、子宮以外は残ってない母になったとき
55歳の若き父と、81歳まで現役ピアニストだった母が
迎えに来たよ!。。。
それまで、息子たちを取り巻く社会が、
ストレスのない、よい日本になることを祈りながら、
無一文になって、年金のお金も使い果たした14年の
奇妙な出来事を、誰にも言えず、
社会の病魔を治すのは、医師ではなく
警察力かもしれないと
おれおれ詐欺を、哀しい日本の出来事と憂います。
一生懸命育てた子が、人の命を救わんと闘う医師たちの
命がけの舞台裏の家族にまで迫るとき
救いに来るウルトラマンには燃料費がかかるのですよね。
大和魂、仁義 仁術、誠意、福沢諭吉は、、、お金だけの世界になって
真面目に生きる魂は、認められない時代にはいったのでしょうか?
政治は難しくて語れませんが、
あの、、、素敵にハンサムな阿部さんが、
戦争を避けて通れない人ではないと思うのですが、
暮れの選挙は、、、歩き始めた日本を、見守ってほしいものですね
一年分支離滅裂に、出しました。
ごめんなさい!親しい人だけのプログですから、許してね。
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医師の娘に生まれた日から、父も家庭には透明人間でした。
医師だけとは結婚しない!父兄会にも、学芸会にも、運動会にも、入学式にも、卒業式にも
父は、来なかった。患者さんに追い掛け回されていた。
さみしかった。兄も、弟も、それでも医師になった。
私も、医学部を受けた。幸いにも、現役で合格した。
「母は言いました。『やがて嫁に、無料であげなければならないのに、女医にする余裕は
我が家にはありません!、浪人中の兄や弟は、あなたみたいに、嫁に行くという
逃げ場はないのですよ!。』
早稲田を出て、お嬢様短大の教授をしていたおじさんが、有名進学高校の内申書だけで
僕の勤めている短大は「特待で、合格だよ」と、茶々を入れた。
弟のことを考えると、親父さんの健康状態を考えると、女医なんて。。。。
死ぬほどなりたいわけではないし。
それよりも、女性であることをキープしながら、医療を側面から応援して、
いつも兄弟と会話になるのは薬学だと思いました。
正解でした!
私が大学に入って、19歳の時、父は、最後の患者さんの手術を終えて、
麻酔が冷めるまで、起きているから、、、と連絡を最後に
早朝、仕事の続きの休息の延長で、、、本人は死んだこともわからないまま。。。
たぶん、明日の手術のイメージトレイニングをしながら、
長き眠りについた。
弟は運よく、ほんとに!!!運よく、やっている問題が出題されて、
難関の千葉大に受かった。
嬉しくて、弟の合格手続きに、姉の外野である私は、大はしゃぎでついて行った。
おめでとう!、
本来なら、医師の息子はゆとりがあるはず。
しかし、弟はすでに父がいない。
七年間の大学をどうやってクリヤーするか?
人間一文無しの中からでも、夢を追い始めると、一緒に巻き込まれて
夢を見てくれる、家族も友もいるもんだ!
弟が医師になって、国立がんセンターの黎明期に、東芝の技術陣と
老化に寝泊まりしながら、家庭を振り返ることもなく、
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市川平三郎先生について行った。
口を開けば、「患者さんのリスクの少ない画像診断が、実現する、いや!!!
僕らの手で実現させるのだ。!
彼は無休の何年かのち、擦り切れた背広で、
金が限界を超えるほどなくなった。
夢はこれまでか。。。。
稼げる病院に勤めて、患者さんを診ても、患者さんの根本の痛みをとらねば
僕が医者になった意味はないんだよ。。。。。
ボヤキが始まったころ、奇跡が起きて、彼はスタッフとして
月給がもらえる男になったのでした。
何もしてあげれなかった姉ですが、
弟が、自立して、食べてゆけるスタッフになれたことは、感激でした。
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赤ちゃんの頭ほどのムチンの満たされた卵巣腫瘍を、弟に指摘され、
医師の家内として、こんなになるまで、なぜほっといた!
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家に帰っても、くたびれて爆睡している姿が正月にも普通だった。
タイヤ交換も、屋根の雪下ろしも、平らな我が家の防水作業も
5年に一度、シーラーというシリコンを塗り、上から、ウレタンの防水塗料を塗るのも
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巨大病院の外科医は、日曜休日は怪我をしないでくださいと、患者さんに頼めない。
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ある日、、、子宮が落ちてきた。
ある日、、、あんまり働く私を、神は男にしてくれて、
男と同じ勲章をくれたのかと思った!(^^!
ふざけている場合ではない。
今回も、なぜそんなにほーっておいた!
即手術室に直行!
当然、、、落ちてきた子宮を切り取って、さっぱりと
男感覚で生きてゆくのかと思ったら、
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実に、子供を3人も生んでなければ、羞恥心で受けられないかもしれないが、
そこは、大の男を出産した母ちゃんの私は、先生に丸投げした。
実に、火箸のようなものをお尻側から差し込み子宮ごとネットで引き揚げて
落ちてこないように固定するのでした。
半年間は、ネットの力で子宮を支えるが、
じわじわと、ネットに、自前の筋肉が這ってネットを筋肉で包み込み
完成するまで、骨盤底筋肉のリハビリ運動が毎日100回。
半年後に、私は5年ぶりに、シーラーとペンキを持って屋根に上がった。
ペンキを塗りながら、四つん這いになって
骨盤底筋肉を鍛える運動の時間であった。
近所の人は、、、屋根に上がって、恒例のペンキを塗っていると思っているのでしょう。
「落ちないでねー」「大丈夫!、煙突に命綱結んでるからー」と。
二階の窓と、屋根のため口会話をしながら。。。
実に、執念の骨盤底筋肉運動をリハビリーしていたのでした。
この夏は、屋根も、ベランダも、土台も、雪囲いも、
執念のリハビリー運動の、相棒として、隠れ蓑になってくれた。
一年が過ぎるころを迎えて、
ほとんど、落ちてくることもなくなった子供たちの故郷の子宮がある限り、
ババではなく、、、母なのだから、
子供とは子宮に住む妖精なのだと思ったりする。
今度、落ちてきたら、
母は死んでも立ち直れるほど、
子供は独立し、
母以上の、若き嫁に包まれて生きてゆくのだと思うと、
身の回りの雑貨、不必要なもの、切り取り、
スリムになって、子宮以外は残ってない母になったとき
55歳の若き父と、81歳まで現役ピアニストだった母が
迎えに来たよ!。。。
それまで、息子たちを取り巻く社会が、
ストレスのない、よい日本になることを祈りながら、
無一文になって、年金のお金も使い果たした14年の
奇妙な出来事を、誰にも言えず、
社会の病魔を治すのは、医師ではなく
警察力かもしれないと
おれおれ詐欺を、哀しい日本の出来事と憂います。
一生懸命育てた子が、人の命を救わんと闘う医師たちの
命がけの舞台裏の家族にまで迫るとき
救いに来るウルトラマンには燃料費がかかるのですよね。
大和魂、仁義 仁術、誠意、福沢諭吉は、、、お金だけの世界になって
真面目に生きる魂は、認められない時代にはいったのでしょうか?
政治は難しくて語れませんが、
あの、、、素敵にハンサムな阿部さんが、
戦争を避けて通れない人ではないと思うのですが、
暮れの選挙は、、、歩き始めた日本を、見守ってほしいものですね
一年分支離滅裂に、出しました。
ごめんなさい!親しい人だけのプログですから、許してね。