主婦の仕事は終わりがない、、、
暑い夏の日差しは、、、布団を干して
洗濯物を干して
夕方まで、TVを見ることが多い。
コマーシャルタイムの長い「相棒」は
観終わるころには、ボタンのとれたシャツが出来上がる。
コマシャルタイムのない「NHK]は
相棒の直前一時間が、痴呆防止のリハビリ―で
学生時代に還って、思い出しながら、
「地学」や「化学」「物理」を拝聴する。
大学時代の夏休みを返上して、
教職実習で化学や物理の講義に奔走して
薬学単位の他に100単位以上の取得に汗だくになっていた。
自分の知識が理工学部に偏ってしまうと、
大学院まで行ってスペシャリストになる道しかなくなると
短絡しがちな不安もあった。
すでに、父が早逝した今は、社会からニーズのある自分になって。
この、男性社会を、
独身でどうのように、、、乗りり切るか?!
自分なりに、理論武装をしていました。
心は決して、、、豊かではありませんでした。
杉並区の中学の科学の時間、
パスカルの気圧の講義をするのに、
父の遺品であった「500ミリリットルの注射器と
薬学で使う分銅を使って、
生徒に順々に
分銅を「注射器のピストンにくっつけたボール紙」に
乗せてもらった。
赤く染めた注射器の中の水が
分銅によって動きながらも
パスカルの原理を
視覚から見てもらえたことが自己満足であった。
試験は、ほとんどの生徒が正解で、
授業は、教科書を説明するより
道具をそろえてあげて、
「自分でやってみて、何かに気が付くまで遊ばせる方法が
無理なく、知らずに、、、
教えられるのではなくて、考えるカラスになると思っていた。
自分で発見する感動が、
試験も正解に導くと思った経験である。
祖父も、母も、おじさん夫婦も先生であった。
先生、、、って何なんだ?
「すぐに、、、ダメの方向の説教になる、、、?」
知っておくこと、教職をとって免許を取るまでに
祖父や、母や、おじさん夫婦の言葉が理解できて、
私も、、、話に入れるだろうと、、、甘く考えていた。
教職実習を終了するころまでに、
教案を、毎回提出して、
実習の担当教官に見せて、
この通り授業をしてもよいという許可のハンコをいただくシステムだった。
「実験に関しては、劇薬や強い「酸」や「アルカリ」や
爆発するもの、火が付くものでない限り、OK の認め印を下さった。
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つまり、学校での授業には
「講義を許されるもの」「実験も許されない実験」がある。
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祖父も、母も、おじさん夫婦も、、、
理屈っぽくて、堅苦しくて、ルールが何にもまして先行するのは
もしかしたら、職員室のルールをまず守ってから
物事の本題に入り、講義の目的を果たさねばならないという
自分が自分自身で在ることの前に、
「教案」を掻くという、、、ちょっと待った!が、
いつも行動する目に有ったという人生だったのかもしれません。
皆、、、常識があって、いわゆる正しいこと、正しくないことに分類される。
スタンダードな無難な価値観も、、、おっしゃることは筋がとおり
ご無理ご最もで、
「清く正しく美しく、勧善懲悪黄門様」でした。
全ての物事の孝導を起こす前には(**
つまり、、、、正しいこと(^^、、、
正しくないこと(--!に、、、、、大きく分類されたのです。
「頭(づ)が高い、、、下りおろう、、!」の一言で
こっそり買ってきたミニスカートは、正しくないという分類に入りました。
説教されて取り上げられた、
ポリで創られていた、、、
ナンチャッテ森英恵さんのイミテーションものの
チョウチョと花のワンピースを
バイトしたお金で買ってきて、ウキウキしていたのに、、、。
大学祭のダンスタイムに着てゆこうとしていた時、
同じ日大生だった兄貴が
「生地が安っぽいから、義姉に選びなおしてもらえ!
代金は僕が払ってやるから、、、」
ストップをかけられた。
同じ日大と言っても、
兄きは医学部であり、
患者さんの手前もあって、本物志向はわかる気がする、、、が、、、
学生の私には、介入されたくない思いが先に立った。
安かろうが、、、生地がシルクでなくて、ポリであろうと
大学祭の一瞬が、
周りの色の保護色になれば良いのだから、
派手なワンピースだけに、
青春の一コマの一瞬の華でいいではないか?
「品が無い。」と、母や、おじさん夫婦の援軍を連れてこられて
母にそのワンピースは取り上げられてしまった。
先生と呼ばれる集団の中で、
私じゃないヨネ、、、、と、、、言いたくなる鏡に映ったお嬢様。
母好みの床上30センチ、
プリンセスラインのワンピースが届けられた。
妃殿下なら、、、お召しになってもお似合いだと
心から、母のセンスの高さは認めていますが、、、
こちとら、、、
日大理工学部の学際ですからね、、、
もっとハジケテ!もっと派手派手な華があって、
ジルバとか、ルンバとか、ツイストとか、クイックとか、
キューバルンバとか、、、大騒ぎしたいのですから、、、。
ワルツで大輪の花のように会場を回りながら踊る服を持ってこられても
浮いてしまうと、、、思った。
自由に使えるお小遣いはくれない、、、。
アルバイトのお金は、使ってしまった。
学校祭には体育の時間に着るトレパンと、
黒いTシャツに
500円のハワイのレイのような仮装衣装の小道具で
とりあえず、ツイストなど、
かぶさったり、かぶせられたリするほど
壱メートルの男女間の立ち位置が
ハジケテ、盛り上がっていたっけ!
これも、青春の若さであったと
衣装はトレパンでも、
心はリッチな、軽いノリの楽しいひと時で有った。
ストレスを開放して、体を思いっきり動かせるトレパンは
最高に動きやすくて、すっきりしていて、
私には「自分の時間」をすごさせてくれました。
豊かな心で、
自分発で
青春のひと時を発散させてくれた自由な校風。
志賀高原の近くにも
丸太をふんだんに使った山荘が有った。
スキーの季節には、
お茶大の友人も誘って山荘のクリスマスに参加した。
お茶大の友人ばかりが、、、モテモテで
ESSの同僚からは
「君の友達って、、、最高だよ!まぶしいよ!」
友達は、自分より、、、
背が低くて、地味で、眼鏡をかけていて
ビヤダル系の
キュート系を同行することが大切だと
そのとき、つくづく、、、思った。
山荘や、
キャンパスを使わせてくれた
日大に感謝しています。
学門は求める生徒には門戸が開かれていたし、、、
創業130年の間には
戦争もあり、日本全体の貧困もあり
入学したとき、
「日大は社会の縮図だと思えた、、、」
あの日のことを
私は、、、忘れない。
いろいろな学生が居て、たくさんの施設が使えて、
先生は「日本のエース」の国際人で
勉強するも、、、しないも、、、自由であったが
進級試験に合格しないと、
落第生をたっぷり抱えられる教室が有った。
肩ひじ張らずに、自分の求める教育が与えられた、、、日大。
頑張る人、、遊んでばかりの人、、、天才とバカボン。
包容力のある社会の縮図のように、
自分なりに頑張れば、、、居場所が有った。
これからも、「日大卒」のスキルがあれば、
心が豊かに、人生が送れそうです。