花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

人生後半の栄養を考えるとき

2020-09-11 08:34:28 | Weblog

コロナ国難はあと1年は油断が出来ない

以前は6時半にマーケットに向かうと

 

予定が買い物列車は脱線して

                                        、ペタペタが目前で張られる誘惑に負けていた。

今は、早朝開店と同時、または、閉店間際に

                                                    がら―んとなってる売り場で、足早に買い物を済ませる。

半額の誘惑は無い時間なので、どうしても、

                                                      自宅の料理の時間が増えている。

以前は、、、お米は洗うのが楽しくて、、、

                                                無洗米は息子に送る時ぐらいしか買わなかった。

コロナ国難以来、、、

                              自分の手洗いはするが、コメは洗わなくなった。

主人の飲み物は牛乳。

                          私の飲み物は,、、発酵牛乳もの。

以前は月給日には、町村牛乳を2本買って、豪華な気分を味わっていた。

今は、早朝のコンビニで北海道牛乳を手早く買ってくる、

若い店員さんが多いので、

                                    マスクをダブルに袋状にして、間に保冷剤を入れ、

洗って多少けば立ってしまったマスクに

                                                     幅広テープを立体に合わせて貼り付け

フェイスマスクよろしく、レジの間だけ、、、オーバーマスクをする。

若者の店員さんの前に並ぶ。

                                  神経質だとは思わない。

帰宅した玄関では真夏からの買い物時専用のオーバーブラウスを脱いで

                    玄関は噴霧消毒の滅菌室となっている。

上着は玄関にひっかけたまま、、、靴下を脱いで、

               洗面所に直行して、買い物してきた品々をパッケージごと全部水洗いして

水圧で流し去り、「洗濯籠を良く消毒」して水切りかごに使っている。

主人の仕事は医師。

万一、、、私が原因で、主人にコロナが感染すると、、、外科のチームは20人以上であるから

病院は動かなくなると思うと、緊張は緩めない。

日大時代に教わった微生物学や、生化学の

          DNAやリン酸化の理論もひっくりめくり思い出しながら

去年、道新が主催していた、北大アカデミーのプリントから、

           教授の名前を入力すると、遺伝子や、核酸や、ウイルスの論文が出てくるから

其処からサーフィンしてゆくと、教授の指導された国際的な先生と大御所にたどり着く。

その先生の名前を入力すると、

ネイチュアとか、オックスフォードとか理科学研究所とか研究部門にサーフィンで来るから、

コロナの、予防注射の研究のあれこれも詳細に、出てくる。

息子達よ、、、孫たちよ、、、爺と婆は、、、目下巣ごもり中ですが

裏の古屋の離れ屋で、一日の家何時間は集中しています。

君たちは、ネットを使って、

       日本をコロナの国難から救い出す知恵を、、、、発揮してください。

コロナ国難のおかげで、、、

         栄養バランスは極めて、、難しい買い物の中、知恵と戦いであるよね、、、

鍋物は余った材料は佃煮になるまで煮て、

               酒とみりんを入れて保存食にすると

新たな鍋物に入れる大匙いっぱいの栄養の佃煮スープが目下、、、栄養のバランスの半分は荷なってくれる。

ミニトマトは、目下旬だけに安い!

丸い焼きのりの入っていた透明容器に合わせて、キッチンペーパーを折りたたんで角を丸くカットすると

「ミニトマトのマンション」の床が

          キッチンペーパーの白いクッションとなって

ミニトマトの円いポリ容器のマンションンごと冷蔵庫に入れて、

おやつタイムに、、、

          その、、、最上階の熟れたトマトから食べてご機嫌です。

一階部分の青めの残ったミニトマトは、

一階ににたどり着く頃は一週間過ぎてはいるが、、、食べごろいなっている。

低体温麻酔状態の、キッチンペーパーの傘ね布団の中でトマトは時間を止めて、眠ってくれる。

主人に弁当を押し付けては

         「あと、、一年だからね!、、、

               外食に行って、若者からコロナをもらわないでね!」

孫は、時々来ては玄関から入れてもらえないので、、、

「ね~~~ェ、僕は汚くないよ、、、手を洗ってるし、うがいもしてるし、、、」

眉を八時にして、べそをかいているが、、、主人曰く。

               

「大学卒業式までは、、、何としても生きて、卒業おめでとうを言うからな(^^」

孫はご機嫌を直して、玄関でUーターンして帰っていった。

 

以前は、孫バカの    祖父母は、    食べきれないくらい、、、

「これ、、、美味いぞ!、、、これもどうだ?」

食べてばかりの 休日だった。

        

皆栄養はどうなっているんだろう。

 

私は、、、森永の赤ちゃんの用のミルクと、ミニトマトで、気分は栄養満点気分!

昭和生まれは、森永と、明治に育てられた。

76歳と言えども、、、階段は走って上がれる。

炎天下に、布団干しも、まくら干しも、ベランダの熱戦に負けていない。

どうか、、、coronaよ、、、このまま去って行ってください。

                    これは、万華鏡ですよ!念のため!

自分だけでは済まない、裾広がりの国難に、

                  通り抜けるのは、、、「不動心!」

政治音痴の私にも。政治のイデオロギーは難解でわかりませんが

 

日本侍の、、、えだのさん、、、、彼は侍だと思った。

彼らの人格は認めるが、、、以前の政権交代の時

生涯、、、国立がんセンターの黎明期から人生をかけてきた弟が

50周年を前に、生涯をかけた50年間のがんの早期発見に懸けた人生のデーターを

   ファイルしたまま、夢に懸けた人生を笑顔で話していた。

50年前に、へき地の医師が中央で診断したフイルムが届く構想を話していた。

私は弟であると同時に、検診を受けた主治医として頼っていた部分もあった。

検査の後、しばしば、50年間のファイルをまとめて、甥っ子たちの年代にも役立てる物を考えていた。

政権交代で、民主党が政権を獲得した。

たぶん、、、ウキぺデアに出ているから、、、

仙石さんが、、、学者の人生をひっくり返してしまったのだろう。

国立がんセンター50周年記念のホームページには

母がお世話になった病院長も、市川先生の御顔も無くて

山形からおいでの、医師が理事長のHPだった。

その後は、愛知県の先生方で埋め尽くされて、知っている先生の御顔が無かった。

札幌では、、、、自由民主党時代の医師には

何かと緊張が続く日々であったのを思い出す。

 

政権が変わると、、、なんでこうなるのか解りませんが、

定年を迎えて、最後の50年のまとめの時代に、弟は、がんセンターを出た。

新顔の若い愛知から来たという若手に、

「ここは先生の来るところではありませんよ、、、」と

軽くあしらわれたと、、、苦笑いしながら、、、

穏やかで、太っ腹で、国際感覚のある弟は、、、

人生は、、、喜劇だよね、、、

僕の事を知らないがんセンターの若手に、、、

              門前で、、、軽く扱われて、、、

そのあとで、、、上層部の人が、、、電話で「失礼しました、、、お待ちしています、、、」

先生の事を、知らないスタッフばかりでして、、、と。苦笑した。

50年かかって、老化で寝泊まりしながら、寝る時間も欲しくって、、

ガンの早期発見、がんの撲滅目指して、戦ってきた日々が過ぎて、、、

若手に、、門前払いされる人事異動って、、、医学の歴史は雄弁に、未来を予測するのだけれどね、、、

パソコンのヴァージョンアップの感覚の政治介入だから

医学の基礎の知識のない政治家は、介入することで、権力にこだわったのだろうかね?

学門の、緻密な世界に、政治権力が入り、、、

国際的な評価を得ていた団塊の世代を一掃するという政治の介入は

学門をあまり深く理解しない舵取りであり、

50年の、医師たちの緻密な努力が、最終段階で

未来にメーセージを送れないという政治権力の派閥の実績崩しでは無かろうか?

   野党にも、侍魂のような素晴らしいアグレッシブな人は居るが、

政治の介入は、50年の積み上げたデーターを権力の置き換えで、

      素人から見れば、同じ組織に見えても、

           全く別の年代が人工知能と取っ組み合うばかりの

                    科学の盲点を補う

                      人間の50年間がんを見続けた

                        神の域のひらめく未来へのメッセージが

                           デジタル化された視覚の域の緻密さに置き換えられるとき

熟練が故に解る一言を、、、言いたくなるから、、、

     がんセンターの若手に来訪を頼まれても

          彼らのペースは乱すまいと思うから

                指導も、発言もしないまま、、、

                   自分たちのやってきた50年が、現場の若手にも

                     一朝一夕では出来ないものだと解り始めたのが

                        先ごろで有り、、、お声がかかるらしいが

                呼ばれてゆくのは好いが、、、指導したくなるレベルだが、、、一切発言しないで

                        がんセンターを後にするとき、

                    柏の病院の、青写真を持って、

                          深夜まで、創意工夫のターミナルの意見を交わした頃が

                                  懐かしいと言っていた。

がんセンターで、ペット検診を受けたり、巨大な腫瘍の手術をするきっかけを、弟の診断で決心したり

患者だったこともあり、、、検査室長だった弟の仕事部屋に、新進気鋭の放射線科の息子と立ち寄った。

壁から壁まで、依頼された読影のフイルムが土手のように部屋を横切っていた。

その中には、ノーベル賞級の大学の先生がたが、、、妻の検診の読影の最終の意見を聞きたいと

依頼してきたフィルムが、、、話の間に、机の上に見つけたが、、、あえて、紫蘭振りしたことを忘れられない。

義姉だからって、、、こんなに貴重な時間を使わしてしまい、赤子の頭までなる様な腫瘍に気が付かないで

働いていた自分が、明らかに、ミクロの読影をしている高度の診断からは、はみ出した邪魔な患者だったはずである。

弟には「お姉ちゃんは、、、医師の妻としては失格だよ!、こんなに大きくなるまで、腫瘍に気が付かないなんて、、、!」

その場から、主人に電話されて、翌日のオペが決まった。

すぐに札幌に飛んで、病院に入院したことが、、、実にもう、、、十数年前の事になる。

弟は、子供の頃より、

姉よりははるかに知能が上で、賢かった、

小学生の頃は、県庁に勤務している同郷の弁護士の事を作文に書いて

      その作文を読んだ本人の弁護士の先生が

           ハルバル、、、汽車に乗って、弟に逢いに来た。

    確か,、、いのぐち先生と言ったっけ???

         私が出会った立派だな~~~と、緊張した後

           親しみを感じた、、、忘れられない「先生」と呼ばれていた人でした。

弟は、、、弟なのに太っ腹で、3歳になった時には

         小学生の男の子たちに、

           青い色の木のトラックにまたがって、

               指揮棒を振っていた。

   疎開地でも、有名な知能の子供だった。

        小学校に入る前には、山に住んでいる蜘蛛を集めては

                家の外壁に這わせて、研究よろしく、種類を全部言えた。

「あれが,、、イナグモ。。。これが尻太のジョログモ、、、柳の根っこの「土蜘蛛」、、、

そして、木の棒の両端から這わせて、、、負けたくもが巻かれて落ちる。

糸をとってやっても、、、一度負けた雲は逃げることを覚えるから、

戦士から外すのだと、、、ちびっこの頭とは思えない事を,、、姉の私に教えてくれたことがあった。

がんセンターでの、仕事は、外国の雑誌にも掲載されて、

私は、孤独な北海道の主婦暮らしの中で、

掲載雑誌を取り寄せては、、、弟の書いた数ページを読んで、

              頑張ってるね!!!、、、お父さんもきっと、読んでるよ、、、。

弟が、マスコミや、単行本(がん回廊の朝)(明日への挑戦)などに掲載された時は

掃除洗濯の孤独な主婦暮らしのイライラを吹き飛ばしてくれた。

                世間への貢献は、大したものだと、、、姉であることが、、、恥ずかしい。

何にもできないで、、、一生が終わろうとしているとき、、、

 

               生きるって、、、こんなに差が有っていいものなのかと、、、反省するが。。。

                

    独身で、薬剤師を貫き、30代で、医学部の助教授になっている彼女や

                       大学病院で医学博士号を取得して

                           中央検査室長をしていた高校大学と、学友だった独身の彼女!

              大学薬理教室で、成長ホルモンをもらいに行って

                        血糖値に関係するデーターが出てKぷふんしたあの頃の彼女

       リン所y病院薬剤師の再交渉に耀いて、学友の意気を高めてまぶしい、、、

私は、、、北海道で、、、孤独な主婦をやっただけ、、、

                コロナで、、、このまま死んでたまるものか!

                   老後の80歳から、、、弘法大師や、芭蕉や、、、トウちゃこの行った観光地を

杖をつき乍らでも、、、再び老いの充実を取り戻すまでは

                 コロナに負けてたまるもんか!!!!!

       独身の友人は、人生の達成感を味わって、

                 自然体で、corona対策をしているようですが

                     

                               コロナでは死ぬわけにはゆきません。

     当分、、、主人が逃げ回る様な、神経質な潔癖生活を続けますが、、、

                  今!!!負けるわけにはゆかないのです。

  弟も、、、お姉ちゃん、、、corona収束したら、、、また、、、

                  僕の孫に会いに来てやってね、、、

                     熟睡できそうな、、、良いホテルをとっておくからね!

電話で話しながら、、、千葉では飛び切り美味しい豊水の梨を送ってくれた。

         うれしかった!、、、

             今度は新橋の,、、新興クリニックと聞いたが、、、

                       検診に行ける日が来ることを!。

大學の同級生からは、従業員の命を救ってもらった、、、仕事に復帰していると

    なぜか???弟にではなくて、、、姉の私に、、、果物を送ってきてくれる。

 

           

ハーバードでも、、、そこのチーフに

「肝、胆、膵、、、、私の先生ですと紹介されて、、、脊の小さな日本人の弟は、チーフの紹介のおかげで

ハーバード時代、廊下ですれ違う巨人たちから、、、挨拶されたと、、、聞いた(^^」

義姉であることがこんなにも、学会のよもやま話が身近に感じるなんて

、北海道の孤独な空間を 世界につながてくれた。

内科医の兄貴は、ハーバード時代の弟の学会に、

日本から参加して、

アメリカで会えた兄弟に、特別のケーキでも食べたような顔をして、、、

      主婦のお前さんには、、、夢のまた夢の、、、男兄弟の出会いだよ!

            女はオトナシク、、、子育てでもして

                旦那の事を心配していればいいんだから、、、

                    気楽な稼業だよね!!!

                       言わんばかりの、、、得意そうな満足顔だった。

                              学問に魂を奪われる医師は、、、お金が無い!

         日本は研究者には厳しいからね!

                兄は、、、自宅も開業も売って、夫婦で施設に入った、、、80歳はとっくに越した。

       祇園精舎の金の音、、、栄枯盛衰、、、世の習い、、、

         栄も無かった北海道の主婦暮らし、、、友も親戚も、、、知人もいない、、、

           日常の生活に関係のある50年来のオイル屋さんも、、、代が変わった。

    日本が在る!、、、天皇陛下がいらっしゃる!

               磯田さんの歴史の話が面白い、、、

                  NHKのスペシャルや

                      登山家の、人間的な成長が、、、我が子を見るように頼もしい。

      日本侍のような、、、枝野さんが,、、かって、、、がんセンターを政治介入したような

               仙石さんのような人でないことだけを祈りながら

                  政治家に理解されない、、、日本の医療人は

                        コロナ患者さんを診るたびに赤字になっている。

                           

       医者に行ってお金を払うなんて,、、と思っている患者さんの中には

           一タブレット300万円以上する薬を国から支給されていることは、、、知らない!

               医師の税金は三分の一は国税。

                  感染の事を考えてのタクシー移動量は月に10万円

                     検診日の一部は病院持ちの3000円×検針日

         近所の人は理解していないから、、、見送った私に言う

            いいわね、、お宅は、、、coronaで、食事も変えない人が居るっていうのに

                タクシー通勤ですものね、、、

        私は答えようがない、、、友達にも、、、なりたくない、、、

            家の前には生涯右折は出来ない位置に車が止まっている。

                 文句ひとつ言わずに迂回している、、、私。

                   此処は札幌市の田舎、、、

                       小さなことをこだわっていては、、、生きては行けない。

  目下、、、corona村八分、、、ってとこかも????

ネットで、弟の検索をしながら、、、

         外国の雑誌の「ジャーマ」などに

                  何ページにもわたって、、、記事を書いていた、、、

                        インターナショナルな活動に

                           可愛かった高校時代を重ねながら、

                                     国立一期校に受かった事が、

                                              父の早逝にも負けずに、、、

                    日本と世界との知人が出来たのだと、、、眩しかった。

                     

枝野さんは、、、国立の授業料や、私立の援助金を配慮した政治をとって

人材を育ててくれればいいと願っています。

       自由民主党のエースの阿部さんが病気を押しての世界外交で培った日本のポジションを

             野党が、壊さないことを祈りながら、

                 地方充実は大切だが、、、日本が亡びては、、、

                            イスラエルの歴史にぞっとします。

              一枚岩になって、、、不動心で、、、己の栄光と権力はさておき

        日本の未来の人材を育てることが

              世界に生き残る日本の資源ではないでしょうか?

                         主婦の私は、、、主人ばっかり社会貢献しているのに

                 子育てしただけの主婦は

                        コロナが去った第三の人生の為にも、、、生きてゆく。

                    

                    日本の医学は国際評価されているんです!

                              がんセンターの出来た昭和の中頃、

                                     父は興奮して言っていた。

日本は臨床と、研究がわかれていて、

両輪で走る新しい医療時代の始まりだ!と、、、

 

                   研究肌の父も、大学院半ばで、戦地に行ったことから

                           戦陣外科、臨床オールマイティの義務の中で

                                     研究をしたかったのだそうだ。

                               その夢がかなう国立がんセンターの市川平三郎先生に

                                      出逢った弟は

                   千葉大の外科の医局の許しのもとに国立がんセンターに勤務したのは

                       昭和の40年の半ば過ぎた時代だった、

                政治家になられるような方は別の才能があるようですが

                          弟たちの目指した国立がんセンターは、日本の医療の

                    がん早期発見の船出だった。研究と臨床の両輪スタートだった。

                  その成果と実力は、がんの早期発見に懸けた医師のみぞ知る苦労だと思います。。

                              医師は一代、、、

               子供だってその学問と経験の医学の遺産は受け取れない、、、一代限り!

                          民主党が政権をとった束の間に

                       がんセンターの人事は

                          変わり、、、知っていた先生方の顔が見えなくなった

                  

                          日本の新しい夢に生きた50年間の実績やデーターは

                   50周年記念で総まとめになるだろうと思っていた

                        戦後のがん治療への記録が、大幅に、先生方の転勤で消えてしまった。

                      発表の機会をうしなってしまったのだろう、、、。

                      束の間の政権交代で、、、こういう事だけはしないでもらいたい。

                  中曽根首相も、歴代の首相の健康の一端をがんの検診は荷なっていました。

                         一言も文句を言わないで、流れに沿って去ってしまった弟は

                                  膨大な未整理の50年間のデーターの発表の機会を失っても

               文句ひとつ言わずに、、、ひょうひょうと、次の仕事場で社会貢献している。

                          父が、、、疎開地で、息子の伝えたことは

                                     何だったのだろう、

                          

             医療に生きて医師をすることだけが自分だから、、、と言っているのが聞こえてきそうです。

                        魅力的な昭和から平成の時代の歴史を、、、

                          ヨーロッパで観た病院の博物館のように

                                  日本も、

                       病院の伝えられてきた歴史を残すべきだと思うのです。

    時間の足りない先生方とは別に、主婦は、周りの苦情を無視すれば、

               海外の学会に参加することは出来た。

                 ヨーロッパの病院は、

                  修道院や、教会に行倒れた人々が引き取られ

                   尼僧にケアされたのが病院の始まりだっという

                   伝説の病院にも行ってきました。

                    各病院には医療の時代とともに進展した経過が

                     ミュジアムになって残っていた。

                フランスでは素晴らしいミュージアムの案内のアルバムが発行されていて

                  日本から、ゼミに参加した私たちに、館長がサイン入りの本を下さった。

                    札幌に帰ってきてから、医薬史学会に参加して

                     発表をするつもりでまとめたが、

                    薬剤師会の会長が学会長となり、函館医師会長の奥様が演者に選ばれて

                    幕末の日本と、外国人との身近な歴史に演題が決まり

                    私のヨーロッパの医薬史学会傘下の旅は

                    参加するには、足りないことが多すぎて発表は出来なかった。

                    貴重な資料は薬剤師会の月刊誌に

                    「旅行記にような文」として、登校しておいたのはもう30年近く前の話です。

                      、後輩がいつの日か、

                     病院や、薬学史の発展を身近な興味の対象にしてくれることを

                     願っている。

                   そうした実績が、日本の医療への政治の介入の仕方にも

                    専門家が大事にしてきたことを、理解して保存してくれるはずだと思いながら

                     医療の世界に「命」を見つめた医師の夢が、

                              短期間の政権交代の間に

                      政治介入でぶち壊しになる様な人事介入や、

                                  組織そのものの法人化など

                    その挙句には、、、またもとの国立に戻すとか。。。

                                政治家に

                    専門以外の行動の短絡が有っては、、、

                        失った物が何だったかさえ解ってくれないと思った。

                   コロナの中、、、列島改造も、、、お茶の間は、、、反対したい。

                     「不動心」で、、、医療の今までの組織作りの不備を改善して

                        医療パニックだけは何とかしてほしいと願っています。

                   そして、、、外国との関係を、正常に保ってほしいと思っている。   

         多くのジャンルの、、、龍馬を暗殺する輩が、、、ドサクサの中で出ないようにするのが

          ゆるぎない日本の政府の力なのかもしれません。

                   医療は、、、政治家には絶対に見えない、、、と思うのですよね。

                    保健所の今回のパニック状態のシステムも、

                      考え物ですよね、、、御気の毒ですよね。 

                經驗の学門だから、、、医師にしか見えない世界だと思うのですよね。

                            振り返れば、、、

 

           民主党が政権をとった短期間、、、独立法人になり、、、また国立に戻ったはざまで

             50年の貴重なファイルは、発表の機会が無いまま、、、

                 がんセンターは愛知県出身の者と入れ替わっていた。

                          弟が出席したという

                  「医寮ヨーロッパG7」などの写真を見せてもらったときに、

                     ど真ん中に映っている弟に、、、外国人が取り巻いていた。

                    日本のがん医療が、、、国際的に評価されているのでしょうね、、、たぶん。。

                 日本に「CTを知る人」が居なかった時代に

                     がんセンターの廊下に、、、東芝の技師や核専門家と寝泊まりしながら

                 ヘリカルCTまでも

                       初期からかかわり続けた弟の50年史は、、、私は眩しい思いで

                           市川先生が札幌の学会で発表された時

                              会場の前の方で立体映像のcollarになった人体内部を

                                 驚きで観覧していました。

ウエルカム医療博物館で、CTの旧い機械がイギリス製であった事も思い出しながら、、、

がんセンターの患者であると同時に、国際的な受付に驚きながら、日本の医療の誇りを感じながら

忙しい、、弟にお世話になった一患者でもありました。

                母のアルバムから、、、弟の写真を見つけました。

父はイギリス医学を学んだ高木先生の教えを受けた慈恵会医大の卒業です。

彼は軍艦一隻を実験室とイメージして脚気の原因がビタミンであることを突き止めた。

私は英国の病院巡りをしながら、高木先生の足跡をたどった。

又、、、父が喜んでいたペニシリンの発見のアオカビのシャーレが、

      セントメリーの病院のロビーに展示されていた。

そのわきには、エリザベス女王の写真と記事が有った。

     

日本も、がんセンターの50周年記念の歴史を、創生期から頑張った医師を中心に

               後世の為に残すべきだと思った。

日本の医学と科学と多くのジャンルの黎明期から、デジタル社会、IT医療への

大いなるシルクロードにも似た

医学の発展の道が、

がんセンターの50年には詰まっていると思った。

政権交代で、、、一瞬にして、、、

努力の50年間は歴史を語る人が居れ変わっていた。

仙石さんを、私は、、、なんで????

こんな政治が介入されたのか、、、残念です。

                枝野さんの人格は高く評価しているから、、、

                   学問に生涯をささげた医師の心の居場所を、

                       土足で荒らしまわり、政治の力で、、、

                          貴重な50年集大成をぶち壊すような

                   医学の敬虔な謙虚の場に、、、2番ではいけないのです、、

                     政治家の医師ではない女性の視点で予算を削られ、、、

                、、、踏んだり蹴ったりの政権交代劇のクレパスが有った過去の事を

                     繰り返さないと、、、約束してほしいと思います。

                    新しい政権と、自由民主党が一枚岩になって、、、

                           不動心!!!

                       コロナの国難を、、、外交的な手腕ともども、、、

                     野党には理解できない、、、終戦のポツダム宣言の、、、玉虫色が、、、

                     日本だけで、正義を通しても、国際的なレベルの物をつぶして歩くのは、

                  政治介入ではなくて、円卓を囲んで、、、医師たちの無言の努力

                        無言の従順に、、、つぶてを投げるのは止めてほしいと

                               思っています。

 

 

 

                  国内で政権交代しても、、、かって、、、

                 民主党は世界に相手にされていませんでした。

                地道な歴代の外交無くして、、、日本の平和は考えられません。

                新しい政党は、、今までの生活をぶっ潰すのではなくて、、、

             一枚岩となって、世界から、地球を壊してしまう核戦争を辞めさせてください。

                      

                 政党争いになったすき間に、、、

                  ミサイルが飛んでこないことを祈っています。

                    孫子の時代の平和な日本を作って下さい。


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