正直なところ、
毎日が心配です。
息子は今日で、38歳になりました。
人間として、
基本的に、
健康生活を維持するには
どのようなサポートが
出来るのか、
日夜、、、悩んでいます。
尊敬していましたが
親しかった、某教授も
ストレスと、激務で、
惜しまれながら、、、若くして突然なくなりました。
時間貧乏な先生方は
生きるか死ぬかの命を対象に、日夜勉強しています。
そのせいか、、、これからどんどん役に立てると思われる
40代、50代の医師たちが、
ばたばたと
倒れれいます。
息子は尊敬する先輩の医師を慕って
地方の、大きな病院に赴任しました。
そこには、パックスはありません。
患者さんを診察しながら
データーとして入力し
明日は、よりよい実績で、病気の診断に向かうはずですが、
パックスが無いため
手書きのスピードで
事務をこなしているような状況名でしょうね。
主人の勤めている病院では
パックスが入っています。
それでも、医師の先生方は
少ないスタッフで
多くの患者さんを診て
さらに電子カルテの入力
データーの整理
日進月歩の医療レベルに遅れないように
早朝から、カンフアレンス、
後輩への気使い
きっと、医師の身内にならなければ
医師をすることの「激務」は想像できないでしょうね、、、
私の父は「外科医」でした。
そして55歳の若さで死んでしまいました。
過労死、、、です。
命を前にした仕事だけに、
力の似通ったスタッフがいたり
尊敬する先輩や
世に言う「助教授」「講師」クラスの
指導の下では
体はきつくても
頼れたり、相談できるというだけで
ストレスは、過剰にはならないのではないかと推測されます。
大学病院で博士論文が出来上がった頃
大学で博士号をいただく前に
軍医として、
大陸の医科大学の教官として赴任命令によって
従軍して「戦陣外科」をしてきたという父は
当地で博士となり、「髭の医師」として
大きな手術を評価された新聞記事が
顔写真入りの、十数枚の切抜きの新聞記事を
母は、私に見せてくれたのは
父が55歳で、患者さんの手術を終わらせた後
眠るように、死んでしまった数ヵ月後でした。
戦乱の中、外科用の鋏だけ持って
新聞記事にくるんで、日本についたのは
敗戦が確実になった昭和20年に近い秋でした。
爆撃から逃げて、、、逃げて、、、疎開地で
総ての科の診療も、手術もこなし
戦後、故郷の東京へ戻り
第二の人生の「開業」に踏み切ってから
わずか10年で、父は55歳で
過労死でした。
今息子は、父よりずっと楽なはずだと思っていましたのに、
あのときの、、、過労死した父のスタイルとそっくりになってきました。
疲れて、、、疲れて、、、運動もすることも無く
ひたすら、仕事のために「いすに座っているのです。」
飛行機の中の座席にいるようなものなのでしょうか?
心配で、、、心配で、、、電話をすると、、、
「心配なら、1分でも多く寝かせてくれ、、、」
ブロイラーのように閉じこもって
卵を産む代わりに、
一人でコツコツと
パックスのないデーター処理の中で
論文を書ける状況ではないし、
せっかく医師になっても
医師の競争相手は、親の代から
条件のそろった、優秀な先生方であるから、
指導者の居なくなった病院で孤軍奮闘しながらも
体はストレスで、過労死寸前のストレス体形になってきた。
、、、ここよりは、
よい条件で引き抜かれていった
指導者を、ここに来るまで、居なくなってしまうことは
予想は、出来無かったのが本音だと推察する。
上司が、『ほかへ勤め替え』してしまった。
「一人で診断しなければならないことが多くって、、、緊張で、孤独で、、、」
先生、、、戻ってきてくれないかな。。。
三顧の礼を尽くして
教授として、
指導者として戻ってくださいと、、、大学が許してくれるなら
僕が使いでお迎えに行ってもいいよ!
ぼやきながら、、、べそかきながら、、、
僕には、学びたいことがいっぱいあった優秀な先生が
居なくなってしまった。
とても、つらそうでした。
戻ってくれるようなら、教授として
大学が、あの先生の凄腕に惚れて
現状に
気がついてくれたら、、、、どんなにいいだろう。
働きながら、先輩の技術を取得できるわけだから、
「孤独な診断のストレスは消えて、
明日に夢を持って、学びながら、博士論文かけるのだが、、、。
パックスが無いのと、指導者を失ったのとで
異常なほどの、ストレス体形になってしまった。
もともとは、好男子のスリムなスタイルの息子に
戻れるのではないかと、思いました。
開業も、「孤独な命との戦いのストレス」
がありますが
結婚相手は当分見つからないでしょう、
卒業生を愛している暇も、スタッフも、絶対欠如の
医師の世界は、
心無い風評被害のために
お金持ちと思われているから
オリンピックのアスリートのような
絶大な応援が得られないのも、現代の医療状況だ。
息子よ、、、結婚などはもう、、、どうでもいいから、
一日も早く、ストレスを抜け出して、
スリムなぁら谷なってください。
今のままでは、
メタボ、、、ですよ、
今日も、素晴らしい、充実期のお年の若い先生が
過労で亡くなりました。
どうか、、、上手にストレスを回避して
素の、好男子の、スリムな君に戻れるように、
足間サージ器と、ダイエット筋トレの鏡を送りましたからね!
ピアニストの母は、会場の中でも
わかってくれる「一人の聴衆のために弾く」
常々言っていましたが、
去ってしまった先生の医学の凄腕の独奏を
僕は聞きほれるように、まなんでいたのに、、、
嘆きながらも、
きっと大学は
教授クラスの凄腕の師匠をよこしてくれると。
外野のママは、、、祈っています。
どんなに苦しくても、
ママのお父さんのように
早く死ぬような
健康管理のない生活だけは、
国家の損害だから、、、何とか休養して
健康な体型に戻ってください。
生きた心地がしません、、、
このストレスは
孤独で一人で診療することが
いかに、、、ストレスか、、、
神様、、、息子を護ってください。
もう少し頑張れば、、、
診断にも上司との連帯の診療が出来ると信じています。
せっかく、、、親も、懇親の力で応援しますから
せっかく医師になった、、、
「的確な診断力」で患者さんの命を延命できるという
医療の世界の(金の卵)に匹敵する力を持った彼を
ガチョウだとしたら、
むちゃくちゃな環境に甘んじることは
ハラを裂いて、未熟な卵を出してしまい
ガチョウを史に至らしめるのと
同じよう名、目先の為に
延々と金の卵を産み続ける
若き医師をつぶしてしまうことになると
とても、、、母は、、、不安です。
」