OCNに繋がらず、上手くいったと思いきや、切断され、渋々断念した。千字程の字数が、一体何処に消えたのか行方不明。何時もなら、書き込んでおいて、後日修正が効くのが、何故か1字も残っていない。天に昇ったか、地に潜ったかである。
旧暦のお正月が近い。朔日には、蛇の神さまが奉ってある神社に、蛇避けの札と砂をもらいに行く。この砂が、独特の臭いがしていて、毒蛇でさえ苦しくなって、草葉から這い出す。そこを捕まえるのだ。咬まれては命に拘るから、断りを言って捕まえる。
子どもの頃には、庭先というか、割り木をしている場所には、必ずとぐろを巻いていた。夕方の涼しくなった時間を見計らって出て来る。蛇の習性ではあるが、よく咬まれなかったものと思う。祖母が毎年お参りし、玄関の柱には御札が貼られていた。
そこまで行くのに、当時はひどく時間がかかった。自宅からバス停に、バスに乗り駅まで出て、そこから国鉄に乗り換えて大きな駅まで。在来線を地方の汽車に換えると、小さな駅で降りるのだ。神社は目の前であった。歩けないほどの人混みであった。
百姓をするからには、毒蛇にもしょっちゅうだ。怖いなどとは言っておれぬが、できれば咬まれないのがいい。田の畦にも、竹串に刺した御札が立てられ、風にはためいていた。荒神様といって、その行事が旧正月に行われるのかは知らない。
昔の百姓は、二毛作をやっていた。冬の間は、筵を編んだり、竹籠を作ったり、草鞋や縄綯いなどの作業しかなく、山に登っての焚物くらい。その間の田畑の手入れは、怠るものではないが、日脚が長くなり、東風の吹く、水の温む日を心待ちにしていたのだ。
旧暦の元旦、二日、三日が唯一の骨休め。今年の豊作を神に祈り感謝する、先ずは初めの一歩になる。自然と共存していくには、人間の譲るところと、自然からの恵みを戴く、折半があった筈だ。祖母の生きていた時代には無言の一線があった。
北向きのここは、暑いし寒い。枇杷苗を植えてみた。涼風が行き来しだした。クーラーはむろんのこと、扇風機も要らない。