仕事とを公とすれば、家のことは私である。そうして、その区別をするのは、心のスイッチの切り替え方だが、機械的にすることの難しさを思わぬでもない。或いは、居ない人の陰口を云ったり、わからないように疎外したり、あげれば限がない。
個人的には、悪口は控えており、そのためには勤務中は、仕事に徹するようにしている。悪口を云わないようには、書籍に親しむことにしている。話の話題も、書籍のことを引き出す。人間は、得てして悪口が好きだし、他人の噂には事欠かない。
持って生まれた容姿は、そう簡単には変わらない。如かして、己の心がけや、書物に親しむことで、随分と変化もする。実際、電話は基より、携帯電話も必要ない。日数はかかっても、例え不便でも、手紙がある。繰り返して読めるのがいいのだ。
文明社会、便利な情報社会には、利点も多いが悩みも増える。新しいことへの知識も、若ければ習得するが、一定の年齢を超えると、気力や体力が思う様にはついていかぬ。書籍には、多少の改善はあるだろうが、押並べて変化のないのもいい。
また、同じ本でありながら、読みたくなった心情と、その時の情況や状態で、様々に心にもたらす影響が違う。その都度、新しい発見がある。本の素晴しさは、生きる歓びにも繋がる。あと少しで、レ・ミゼラブルを読めるが、この深い感動は宇宙のようだ。
時代について行けないと、PCを習得したが、便利なことと煩わしさは同等だ。一瞬で、遠くとも繋がるし、行き来もできるが、有害・無害に関わらず、情報が流れていく。何処の誰に閲覧されているのか不明だから、恐いと言えばそれまでだ。
明日は、天気であれば、実家の墓掃除に行こう。お彼岸が近い。両親の墓参りに、きれいにしておきたい。父や母は亡くなったが、その魂は留まっている。親は、何にも変え難い。生前よりも、今身近に感じる。毎朝のお茶湯は欠かさない。
花芽があちこちに見える。枇杷葉の白い花は、可憐で優雅でもある。心を落ち着かせ、浄化させ、満たしてくれる。