午前中、ややもすると天気が崩れ、気温も低い。着込んではいるが寒いので、ストーブを点ける。布団は干すのを見送り、洗濯物を出すだけにする。後鳥羽伝説を、昨夜の内に読みきったので、高千穂伝説に入る。何れも、歴史の詳しさに引き込まれる。
浅見光彦が主役のテレビは、その殆んどが再放送でだが、沢村一樹主演の箸墓伝説を観た限りだ。以前、天河伝説では誰であったか?その時には、薪能という、日本の伝統芸能に釘付けになったから、他のことには疎い。図書館で調べるよりよく解る。
尤も、それらは膨大な資料であり、そこからポイントを要約するには、大変な作業が伴うことだろう。事は殺人事件だから、厭が応にも怖さが伴う。然し、事件の背景を探求して行く過程が、妙に心を捉まえて、謎解きに感心する。生きるとはそういうことか。
学生の頃は、単に歴史の年表を覚え、試験に備えるだけで、詳しいことには関心が薄かった。然し、物語には必ず、何等かの時代背景がある。未来と言えども、存在するのだ。決して、いい加減な想定では読者の満足は得られない。でも美女が必要?
テレビでも映画でも、何度観ても心が揺さぶられるのは、松本清張作品だ。主役になった人によっては、原作との比較が著しい。砂の器では、主人公が川原で、砂で作る物は、波に流されてしまうが、何度も何度も繰り返す。ハンセン病を知ったのも作中。
物語の意外性にも惹かれるが、じっくりと読める内容も好い。作家の力量にも因ろうが、読者の真髄に、いつの間にか入り込む物が佳い。同じ作家の書く物にも、妙に嫌悪する作品もありで、その手の類には手が引っ込む。まあ、あまり範囲を広げないこと。
最近の児童物には、短編が多く、いささかげんなりする。書き手は大人なんだから、もっとじっくり書いて欲しいものだ。出版社の意向が、単に売れるだけの物だけで、採算が合わなければ、出版できない状況かもしれない。それにしては読み応えのない。
満月に、闇に潜む諸々の生き物たちが、姿を現してきそうだ。時刻も、未だ遅くて、草木も眠る丑三つ刻。