雷は、春雷と言って春の訪れを告げるし、暴風雨に至っては、夏のことであろう。四季が滅茶苦茶で、季節感もへったくれも吹っ飛ぶ。古来雷が鳴る筈もなく、安倍晴明が生きていたら、さぞや慌てふためいたことだろう。天変地異とはこのことかと、否政界の不穏な動きが、天に連動しているのかも知れない。正にそういう雰囲気でもある。
昨日と変わって、何と言う暖かさであろう。今朝は、水仕事も辛くない気温に、指先が動く。節分も近くなり、立春を迎えるので、自然でもあろうが。先日には、荒神さまでの往復に、梅が開花していた。日溜まりであったのも然りだが、今年の春は身近に感じる。と言うことは、前倒しの傾向になると予測しておきたい。何事にも慌てずで。
寒中の用事も、庭木に糠を入れたり、塩を混ぜたりとしたので、今年の作出来を頼みにしたい。木村秋則さんちの林檎も、余りにも有名になり過ぎて、ストライキを起こしたものか、昨年は生らなかったそうだ。自然栽培の中には、自然の力のあり方が好く解るので、読んでいて心に落ちる。水分摂取もだが、氷で冷ますのは良くないのです。
そう言えば、祖母が作っておいてくれた白湯の、寒露で美味しかった味が懐かしい。井戸水は、冬には温かく、夏には冷たいのだ。それを薬缶に容れて、焜炉で沸かす。冷ました物が何故あんなに美味しかったのか?当たり前のようでいて、心の籠った味でもあったのだと、今更ながらに想える。丁寧に時間をかける遣り方が、次第に廃れる。
寒中に作った枇杷葉茶が、腐りもせず、一年経っても飲めるのは、置き場所にも因ろうが、どうしてかの疑問にも、自然が答えてくれるもの。熱の加減にも縁るかも知れぬが、これ程に不思議なことも無い。数字で弾き出したり、化学的な根拠があるのでもなく、自然の摂理には学ぶところが大きい。添加物も防腐剤も入れてない状態である。
最近、枇杷葉茶の威力を見せつけられたのは、以前には煙草を吸い、不摂生の生活をしていた方が、顔色も良くなり、素顔でも綺麗に見えてきたこと。顔のくすみが取れ、血色が良くなって来た証だろう。詰りは、血管の掃除を枇杷葉茶がしているので、明らかに正常になったためでもある。半年以上の結果にびっくり。今後は更に脱皮を!
パソコンを開けると、僕も・・・と足にさばりつく。小さいので登れない。抱っこをせがみ、膝に乗る。
昨日と変わって、何と言う暖かさであろう。今朝は、水仕事も辛くない気温に、指先が動く。節分も近くなり、立春を迎えるので、自然でもあろうが。先日には、荒神さまでの往復に、梅が開花していた。日溜まりであったのも然りだが、今年の春は身近に感じる。と言うことは、前倒しの傾向になると予測しておきたい。何事にも慌てずで。
寒中の用事も、庭木に糠を入れたり、塩を混ぜたりとしたので、今年の作出来を頼みにしたい。木村秋則さんちの林檎も、余りにも有名になり過ぎて、ストライキを起こしたものか、昨年は生らなかったそうだ。自然栽培の中には、自然の力のあり方が好く解るので、読んでいて心に落ちる。水分摂取もだが、氷で冷ますのは良くないのです。
そう言えば、祖母が作っておいてくれた白湯の、寒露で美味しかった味が懐かしい。井戸水は、冬には温かく、夏には冷たいのだ。それを薬缶に容れて、焜炉で沸かす。冷ました物が何故あんなに美味しかったのか?当たり前のようでいて、心の籠った味でもあったのだと、今更ながらに想える。丁寧に時間をかける遣り方が、次第に廃れる。
寒中に作った枇杷葉茶が、腐りもせず、一年経っても飲めるのは、置き場所にも因ろうが、どうしてかの疑問にも、自然が答えてくれるもの。熱の加減にも縁るかも知れぬが、これ程に不思議なことも無い。数字で弾き出したり、化学的な根拠があるのでもなく、自然の摂理には学ぶところが大きい。添加物も防腐剤も入れてない状態である。
最近、枇杷葉茶の威力を見せつけられたのは、以前には煙草を吸い、不摂生の生活をしていた方が、顔色も良くなり、素顔でも綺麗に見えてきたこと。顔のくすみが取れ、血色が良くなって来た証だろう。詰りは、血管の掃除を枇杷葉茶がしているので、明らかに正常になったためでもある。半年以上の結果にびっくり。今後は更に脱皮を!
パソコンを開けると、僕も・・・と足にさばりつく。小さいので登れない。抱っこをせがみ、膝に乗る。