枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

季節の深まる中に

2023年10月09日 | Weblog
 昨夕から雨神の訪れがあり気持ちは和らぎうれしく、今朝の曇りに庭は潤う。雨音がする位だったのも有難く、水遣りには到底及ばない自然の力は何と歓ばしい。移植した枇杷苗や、クリスマスローズはしゃんとしてきた。新芽が見えてなのが、殊更にうれしく微笑みが零れる。植物の命には驚きも隠せないと覚る。

 先日、玄関からフェンスの周りを片付けている。普段は気に留めない植物が、何時の間にか飛来して生え繁る。今年は、風船蔓や蓼が可憐な様を風に揺らせる。露草は夏中を楽しませてくれ、未だ咲く。ポリゴナムをフェンスの外に蔓延らすのは、土止めを目的にしている。土竜が居るので、大きな穴も出現して。

 鉢物の寒さ対策と、室内取り込み中ところがすばるの悪戯対象に喰われる始末。無論のこと、紐で絡めて中空に吊るが悉く失敗する。陽の当たる方へと、吊り下げるのも格好なのかもしれない。朝の掃除時、やられたと臍を噛むが後の祭りなのだ。外に置いて囲う方法も無くはないが、温度差に凍えて枯れてしまう。

 冬の間は、図書館に避難させようかとも思うが大量にある。風呂場・台所の出窓・居間の出窓とトイレの棚に置いて、他は就寝部屋とPCの机に置き吊り下げている。入れ切らない鉢も未だ外に、次第に寒さは来るし悩みは尽きない。片付けているのか?広げてかは、遣っている本人にも皆無で判断は難しく怪談とも。

 庭の徘徊時、枇杷葉の葉先に小さな膨らみを見つけた。銀木星の花も咲きそうになっていて、季節の深まりに想いを馳せる。健康であることへの感謝と日々が過ごせることの感慨には、自らを赦す祈りも欠かせず。他人と比べるのではなく、真実を生き勇気にと誘い与えて下さる森羅万象に委ね安寧の歓びとしたい。
コメント (2)
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