昨年の淡路枇杷の種が発芽して、3ヶ月では15cmほどだったのが、冬越しに糠と塩とで、春先から一気に大きくなった。
鉢も直径が30cmはある物に植えているが、あっという間に丈が伸びた。
見れば葉も優に40cmは超えているのだ。
濡れ縁の側に置いたのは、夏の時期に簾代わりである。
風の通りもよかろうと・・・。しかし、虫の集う場所にもなった。
葉が広がらないで、巻いていくのには、蟻が卵を産みつけたり、それを蜘蛛が餌にしていたりと、自然の営みが繰り出されていく。
てんとうむしがバラに飛んでいく。
狭い庭の何処に住めるのだろうとは、人間の考えで、彼らにとってはなんということはない。
家そのものがないんだもの。
日がな一日何をするともなしに、見ているのが楽しくなる。
人間であることが何も意味のないことに思える。
資格というのはなんだろう?単に学校に行っていれば、その証なのかしら?
それが生きることとは違うと思うが、学ぶということは、自然から教えてもらえることで、これは本人がその気にならなければできないことだと思える。
社会の仕組みがこれとは違うから生きにくい。
無資格であれば、何もしてはいけない、というが生まれながらに、その力を与えられているものもいよう。
枇杷がそうなのだろうな。
あらゆる生き物が、そこによってくるには、本能の導きに他ならない,そんな気がした。
sonnna
鉢も直径が30cmはある物に植えているが、あっという間に丈が伸びた。
見れば葉も優に40cmは超えているのだ。
濡れ縁の側に置いたのは、夏の時期に簾代わりである。
風の通りもよかろうと・・・。しかし、虫の集う場所にもなった。
葉が広がらないで、巻いていくのには、蟻が卵を産みつけたり、それを蜘蛛が餌にしていたりと、自然の営みが繰り出されていく。
てんとうむしがバラに飛んでいく。
狭い庭の何処に住めるのだろうとは、人間の考えで、彼らにとってはなんということはない。
家そのものがないんだもの。
日がな一日何をするともなしに、見ているのが楽しくなる。
人間であることが何も意味のないことに思える。
資格というのはなんだろう?単に学校に行っていれば、その証なのかしら?
それが生きることとは違うと思うが、学ぶということは、自然から教えてもらえることで、これは本人がその気にならなければできないことだと思える。
社会の仕組みがこれとは違うから生きにくい。
無資格であれば、何もしてはいけない、というが生まれながらに、その力を与えられているものもいよう。
枇杷がそうなのだろうな。
あらゆる生き物が、そこによってくるには、本能の導きに他ならない,そんな気がした。
sonnna
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