
母が亡くなり、父も逝ってしまった現在、二人は何処を彷徨っているのだろうか。それとも弥勒菩薩の示す道標へと、向かっているのだろうか。彼岸は、近くにあって、その道順は遙かであると聴く。心安らかに到達できる処であろうか。果ては平安か地獄の何れであろうか・・・
芥川龍之介の、『蜘蛛の糸・地獄変』を読み返してみよう。そこには、小さなことであろうが、きっと見落としていることが、あるかもしれない。それとも更に思いを深める確信が、ありはしないだろうか。ともあれ、作家蓮の尤も注目度の高い賞には違いないのだから。
朝夕に涼しくなり、鹿の鳴き声が黄昏に響く。満月の夜、月の光を浴びるために。新しい命を育むために。魔法の力を借りて、新しい自分になるために。彼岸浄土への、遙かなる道標に、向かえるように。更なる祈りをこめながら。
大熊座が、西に傾いてきた。けれども決して、地平線へは沈まない。大神ゼウスの愛を受けたばかりにカリストは、妻のヘラの嫉妬に、どうあっても水浴びができないのだ。庭の夕顔が、月の光に浮かび上がる。枇杷葉の葉に、燦々と降り注ぐ。花芽がたくさんできますように。
ミニバラが、枇杷の木陰に咲いていた。涼やかな涼を運んできた、夏の一時。
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