閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

続・古いアルバム8

2021-09-07 11:53:10 | アルバム

1960年頃 スナップ

1960年頃にはまだ交通信号が殆ど無かった。

交通課の巡査が大通りの交差点で交通整理をしているのが当たり前の時代だった。

高度成長時代に入り、車が普及、その排気ガスで町中が霧の中にいるような感じになっていた。

所謂スモッグだ。

健康被害が出始めたのはこの頃からだったと思う。

新宿東口広場付近。

画面上の右の方に行くと新宿大ガードに出る。

画面右手には見えないが二幸と云う百貨店があった。

左に見える看板は高野フルーツ店だ。

高級果物専門店だった。

現在も健在だと思うが・・・

まだボンネットバスが走っている。

場所ははっきりとした記憶が無いが、多分渋谷駅近くだと思う。

右から3台目のバスはトロリーバスだ。

トロリーバスは、バスのボデーに都電のようなポールが屋根に付き、そこから電気を取り入れて走る電車とバスの合いの子のような乗り物だ。

都内には結構走っていた。

これは、この頃の神社の境内やお祭りなどに出ていた運命鑑定と称する人相見と云われるものだ。

人相も手相も見ると云ったもので、結構人が入っていた。

大分前になるが「新宿の母」なる女性の手相見が良く当たるとかで、有名になった事がある。

お彼岸に忙しいお寺の尼さん。

車がまだ庶民の手には届きにくい時代、何処までもてくてくと歩くしかなかった。

 

当時の田園風景。

あぜ道に小型三輪トラックが見える。

アメリカ進駐軍が道路に三本のタイヤの跡があるのを見て不思議がったと云う話がある。

物資の運搬用にはもっぱら三輪トラックが使われていた。

これは何か?「らう屋」とか「らお屋」とか呼ばれていた三輪自転車だ。

これはキセルの掃除や雁首や吸い口の交換などをする商売だ。

木炭で火を焚く煙突が付いている。

こんな車を彼方此方で見かけたものだ。

当時はまだ刻みタバコの愛用者が多かったのだろう。

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続・古いアルバム7

2021-09-05 10:16:26 | アルバム

1963年浅草 三社祭

三社祭は浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つだ。
浅草神社には一宮、二宮、三宮の神輿が有り、祭り当日、浅草寺境内に繰り出す。

人人で埋め尽くされた浅草寺境内に三つの宮の神輿が繰り出す。

浅草寺本堂にも鈴なりの人出で立錐の余地なし。

子供神輿も繰り出される。

この祭りには全身にタトゥーを入れた人が大勢参加している。

その見事な彫り物には目を見張るものが有る。

流石に伝統ある祭り、江戸情緒を残す謂れがここにもあるような気がする。

外国の観光客もこの勇壮な行事をカメラに収めようと大勢訪れる。

この祭りも現在はコロナのために中止になっている。

この撮影には苦労した。

人波で自由に動く事が出来ず最も良い撮影ポジションを見つけながら移動するのが大変だった。

しかも出来るだけ高い位置から撮影したく、三脚に付けたカメラを高く持ち上げ、ファインダは見る事無く、感でフレーミングを決め、シャッターを切っている。

現在ならばカメラ後部の液晶モニターを見ながらフレーミングを決め、楽に撮影出来ると思う。

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続・古いアルバム6

2021-09-03 09:48:21 | アルバム

1970年頃の浅草寺正月

今も昔も浅草寺は東京の観光名所ナンバーワンと云えるお寺だ。

写真は1970年頃の正月風景風景。

雷門付近の人出は正月とあって初詣の人で賑わっている。

雷門を入った中の山門?立錐の余地もない位の人出だ。

本殿前の線香を上げる大香炉の周りは人で埋まり、押される事でゆっくりと手を合わせることも出来ない。

当時の女性たちは和服姿が多かった。現在ははジーパンにダウンと云う姿が圧倒的の多い。何か正月気分でないような感じだ。老骨にとっては昔の正月が懐かしい。

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続・古いアルバム5

2021-09-01 10:29:19 | アルバム

1970年頃の上野動物園

ジャイアントパンダが上野動物園に初めてお目見えしたのが1972年だった。

名前はランラン・カンカンの二頭だった。

大変な人気で、連日動物園には長蛇の列が出来たものだ。

写真はその約2年ほど前の上野動物園。

象は動物園では人気ナンバーワンだった。

戦時中1943年、象や猛獣たちが殺処分された事が有った。

象の殺処分は可哀そうだと飼育係が一日も長く生かしたく、餌を与えずに餓死させる方法を選んだ。

その時、象たちが覚えている芸を飼育係りに見せれば餌がもらえると繰り返し芸を見せながら、仲間同士を支えあい、死んでいったと云う悲しい物語が残っている。

戦後再び動物園に象や猛獣たちが戻って来た。

 

精悍な表情の豹。

何処と無く愛嬌のある北極熊。

ツキノワグマは日本の生息する動物の王様。

最近では人里に頻繁に現れるようになり、農作物や、果物の被害が増えている。

クロサイ。細長い顔?口の上に角が突き出ているが何処と無く間の抜けた感じがする。

鰐だ。

表情はいかにも獰猛。

大きな口に白い牙、見るからに恐ろし気な表情だ。

河馬。水面に顔だけ出している。鈍重そうに見える河馬だが陸上で走る速さは結構早いらしい。

これらの鳥の名は失念したが、顔と云うか嘴に特徴がある。

子供たちを連れての動物園、楽しい思い出になっている。

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