今はこうなっております、道頓堀「くいだおれ」。
案の定、7月8日の店じまいの日間近になると、連日押すな押すなの
盛況ぶりで、味をしめて、また続けるのではないかという観測説まで
ある。最後に食べに行っても良いなと思ったが、あまりの混雑さに
さすがに腰が引けました。
それにしても、大阪人ってのはこんなに軽佻浮薄を絵に描いたような
民だったのか。まぁそういうところは多分にあるけどねー。
「惜しい、残念ですー」
「もっと続けてほしかった」という連中がいたが、
アンタらがコンスタントに来てれば、閉めることなどなかったろうに。
仕舞いに歌を歌った上田某は
「大阪の食文化を担った店が終わるというのはとても残念です」
そんなようなことをインタビューで。
ここで常に食べているようなこと言ってたけど、ホントに食べていたか?
ボクには大阪の食文化を担っているように思ったことは
一度としてありません。よく言うよ、と思わされました。
戦後の一時期、満腹が最大のご馳走だった時代、
道頓堀に食堂百貨というビルがいくつも立ち並んだ・・・それだけの話。
NHKは仕入れに中央市場にまでついて行き、鮪をアカンアカンと
突き返す仕入れ担当まで密着していたが、
結局は価格に見合うだけの味を提供できていなかったということ
ではないのでしょうか。
引く手あまたということですが、あの食いだおれ太郎。
一度としてカワイイなどと感じたことなく、子供心に怖いものでした。
なんせ豚の丸焼きが回ってたんですから。昔あそこに。
それだけ平和というか、ニュースがないのですね、大阪ってとこは。
平松市長や、橋下知事が出てきて、人形と一緒に万歳しなくて
ホッとしております。
大学時代マドンナだった柿木さんはさすがでございました。
あの女将自身が人形ではなかったかという気さえしてきます。
まるで夫なるものの姿がフューチャーされなかったのですが、
ひょっとしたら、あの太郎という人形は実の亭主で、
本当に別府辺りで「おい、ようやく喋れるわい」
「60年よう黙ってきてくれました」と、夫婦しみじみ一杯やっているかも
しれません。傀儡師と人形の夫婦。不気味、恐怖、ミステリーです。
あとは・・・大阪資本の大人の店の出店を願うばかりです。