もう二週間以上が経過してしまいましたね。 今朝の新聞にも広島の話題が社会面に記載されていました。季節は初夏。 高校野球が甲子園で始まり、真夏日の、、、広島に原爆を落とされた、あの日、核廃絶に祈りをささげる日がやってきます。 平和公園にあるここでもインド系の外国人一家が写真を撮ったり、英語版の案内に耳を傾けていました。
そして、あの有名な献花台。
「あやまちは くりかえしません」
主語が誰なのか、ここには書かれていません。日本語だからこそできる曖昧さです。
この点については よく議論が展開されるところでです。
今、ここで個人的な意見は言いません。
しかし、資料館を訪れ、原爆が落とされた経緯を歴史的資料を観ながら一回りした人なら誰でも、ある確信に辿り着くと思います。たとえ、左翼と呼ばれる偏った考え方の教科書で、「戦争を早く終わらせる為にアメリカによって原爆が落とされた。 こうして日本人は反省し、原爆投下によって戦争終結となった」と習っていたとしても…。
少なくとも、小学校の社会科の教科書には、当時、こういうニュアンスで書かれてあったし、私も、そうなのだと子供心に理解しました。担任教師も、こういう風に教えてくれたので、(先生本人も、そういっていました。ほんの数年前に) 当時の小学生にとっては、(私と同世代) 原爆が落ちで戦争が終わった、悪い国、日本も平和になった、アメリカありがとう、、、でした。 当時、我が家は最悪なことに、朝日新聞を取り続けていたし、中学生になった私が良く読んでいた記事は、例の「教科書問題」でした。 当時の文部省が 「日本が中国へ侵略した」という記述を「進出した」と書き直させただとか、何とか…。 中学生の私の記憶ですが、朝日では連日、この問題を取り上げていたので、すっかり自分の国も嫌いになりかけていた、そんな中学生でした。 教育の力、マスコミ、特に朝日新聞の影響力って、そのくらい思春期の私には大きかったのです。平成になって、「朝日のでっちあげ記事だった」と分かった訳ですが…。 純粋な小学生、中学生程、教育、新聞といったものを そのままに信じてしまいます。 何だかオカシイ、と感じたのは、「戦争中はすべて日本が悪かった」という私に、ブルネイ出身のタッシムさんが 「日本のお陰でマレーシア、インドネシア、と次々に独立できた、と親達はみんな喜んでいた。日本人の兵隊さんを尊敬している」と熱く語っていたとき。 フィリピン出身のラミールやアートとの出逢いがあったあと。戦前の日本人、日本という国のファンが東南アジアに多いことに驚きを隠せませんでした。(華僑を除く)
でも、今は違います。 若い世代はすっかりアメリカが世界へ向けて発信する情報や娯楽映画の中に含まれるさりげないメッセージの影響を受けています。 私がラミール達と出会ってから、さらに10年以上が経過したのち・・・
「パールハーバー」というハリウッド映画を観て、「日本は病院を攻撃したのか、ひどい話だ」 「日本は戦前、ジャングルだったが、アメリカのお陰で先進国になれた」と威張るアジアの友に絶句してしまったり…。
「ジャングル? もし、日本が当時、貴方が言うような本当に何もないジャングルだったら、日本も単純に植民地化されていたんじゃないの? 当時のアジアで独立を保っていたのは、タイ国と日本だけよ。 貴方が大好きなインドですら、イギリスの植民地だった訳で、清だって、そうよ!」
「Shin???」
「チャイナのことよ。本当は清は漢民族の国じゃなかったから、今の中国とは違うんだけどね」
最後は7対1(私だけ日本人)で、必死に「誤った歴史観」を議論したShoyebと私。
日本に住んでいたアサチャンですら、映画、「パールハーバー」を すべて実話だった、とすっかり信じ込んでいる。
歴史は事実なのだから、ひとつであるべき、と主張する彼らに、「では、イラクに関する情報は? 米国側の報道と、イスラム側との報道が全く同じだと思う? 英語もアラビア語も両方理解できる貴方達なら、分かるでしょ?」
かつて、社会学専攻の学生だった私が大学院の講義の為に用意した資料まで引っ張り出してきて、説明したのでした。 その資料とは…
「マス・コミュニケーション」報道の仕方: 黒人と警察がにらみ合うシーン…オリジナル写真を横長にし、周囲の木々を削除することで、より双方がぶつかっていることを強調させる「見せ方」
真実は一つでも、マスメディアが 「強調したいこと」を より 「強調する手段」を写真等を使用して際立出せる訳で、こういうことを頭の片隅に置いて記事を読まなければ、すべてを鵜呑みに出来るのは 純な小・中学生まで、にしたいもの。
「教育」と「マスコミ」の子供達に与える影響力というものに、報道する側も教える側も、もっと責任を持つべきでもありますよね…。
個人的意見は書かない、といいながら、結局は書いてしまいました…。 でも、十代の頃は、戦争を体験した親達を持つ、自分より10歳くらい年上の海外の人の 「日本はアジア独立に貢献した立派な国。何故、そんなに悲観するのか?」 という人達と、その後、私と同世代か、年下の人達の、「ハリウッド映画版、歴史認識」を持つ世代との議論と…。
色々経験できた私は、幸運だったと思います。国際語である英語は、今後、今以上に必要になってくるでしょう。 スーパーの店員も、ガソリンスタンドの店員も、数ヶ国語 話せることが普通のヨーロッパ人のように、次の世紀は日本もなってくるのでしょうね?
そしてー。 「戦前の日本はジャングルだった!」 と最初はバカにしたように、その後、殺気だって「戦前の日本はすべてが悪い」、と言ったShoyebは 数時間に及ぶ、私との議論の後、 「すずが言うように、自分はアメリカ人が書いた本を読んだだけ、映画を観て知っているかのように思っただけだったかも。 もっと歴史を勉強したいし、日本に実際に行ってみたい」 と言いました。
すべての歴史小説、映画にも共通することかもしれませんが、歴史は幾通りでも解釈できるし、小説や映画なら、なおさらのこと。
あの頃は、私も最後の方は泣きながらの攻防だったけれど、今では良い思い出。
そのShoyebにも勧めました。 いつか、広島資料館へ行ってみて。 10年前に議論したこと、きっと思いだすよ。 ここに歴史資料が保管されているよ! アインシュタインが米国、ルーズベルト大統領にあてた手紙も展示されているよ。戦争終結に、原爆が使用されたなんて方便だと分かるよ…と。
当時、ドイツが原子爆弾を開発中では? というアインシュタインは、ルーズベルトに宛てて、原子爆弾の必要性について手紙を書いています。 自分が原子爆弾を開発するための資金が米国政府から欲しい…と。
その手紙が資料館に展示されていました。私は英語と和訳の両方を読んできました。この男は狂っている、と思いました。ルーズベルトもチャーチルも狂っていたのかもしれませんが…。欧米人の人だかりができていたのは、まさしく、ここの「原爆投下に至った経緯」の資料が集められた場所でした。私はここで30分くらいかけて展示資料をすべて読みましたが、欧米人は悲壮感溢れる表情で熱心に読んでいる。 その後ろを、ちらっと観るだけで通り過ぎる日本人。 ここだけは誰にも「ちらっ見」だけで素通りしてほしくない、と心から思いました。非核を叫ぶ広島の被爆者団体の人達が、米国の大学で講演を行っていますが、「原爆投下は必要だった」と自らを正当化しようとする米国人も、この資料を読めば、そんなことは言えない筈です。(言っている人もいますが…)
広島にはウラン、長崎にはプルトリウム、それぞれに違う原子爆弾を投下したのは、原子爆弾の威力を「広島・長崎」で人体実験し、「原子爆弾によって戦争を終結できた」とすることが米国人の世論を味方にし、アインシュタインを初めてとする一部の科学者達にとって、今後の「原子爆弾の開発とソ連に対抗する為には必要とされたから」
広島に落とされる爆弾は、原子爆弾だということを 日本側にあらかじめ知らせるべきだ!と主張した、少なからず「人間としての心を持った良心的な米国人科学者もいた」ことを付けくわえておきます。せめてもの救いです。
アインシュタインは、その後、「申し訳なかった」と湯川さんに謝った、と何処かで聞いたことがありましたが、謝罪すればすむことじゃないよね。こんな虐殺しておいて、東京裁判で一方的に日本が戦勝国から裁かれて。米国側の犯罪は全く問われずに。感情的になってはいけませんが、怒りがこみ上げてきました。
被爆者の時間は、この時刻で止まったまま、永遠に命を、家族を、生活を、失った人達の無念さを思いました。 今も苦しんでいる人達。 今後、こうした悲劇を生まない為に、命ある限り被爆体験を語っていきたいという、広島の願い。社会面の記事を今朝も読み、再び心は広島に跳んでいました…。広島であの日、失われた多くの人達の命。 あの日の悲しみ、怒りを 非核化運動に結び付け今も頑張っている精神的強さ。9.11の家族と手を取り会う場面も見られたという記事に、少しだけ気持ちも落ち着きました。
合掌。
すず