私が夜勤をした日、トイレで転倒した利用者さんが、あの日から3日後に102歳のお誕生日を迎えられた。
転倒の翌日、受診した結果、頭部はどこも打っておらず、「顔が痛い」と転倒直後にご本人が言われていた部分も「問題なし」。
ヒビや骨折もなし、数日後に出るかもしれないと思っていた打撲もなく、腕の擦傷のみで、元気。
夜勤明けから一日の休日を置いてお会いした日は誕生日。ホームの戸をあけ、利用者さんの受診結果に目を通し、元気そうな笑顔を見るまでは、自分の身体全体が『心臓』にでもなったような気がしていた。
(生きている。笑っている。良かった)
そして午後3時に始まった誕生日会。
週に一度、お菓子作りに来て下さるスタッフの手作りケーキが2個、テーブルに並んだ。
9人の利用者さん、スタッフ4名で祝う誕生日会。
本日の主役である利用者さんが、挨拶を述べることになった。
「立って挨拶をせんといかん…」
日中なので、自分が一人では上手く立てないことが分かっている様で、スタッフに手伝ってくれるように頼む姿に、胸がズキンとなった。
スタッフ二人二両脇を抱えられ、立ってはみたものの、腰が45度に曲がっている為、顔が見えない。
「お菊さん、座った方が、皆さんに顔を見せられていいと思うけど・・・」
スタッフに言われるが、ご本人は、「ここはひとつ、立って挨拶をするのが礼儀」という明治生まれの義理がたい信念があるのだろう。
失われてしまった日本人らしい礼儀、礼節、美徳を昭和後半生まれ(自分)平成生まれも見習いたい。
「みなさん、ありがとうございます」
と、立ったまま、どうにか挨拶をされ、座る。
一人ひとりの顔を見ながら、両手を合わせ、深々とお礼をする姿は一部の状況が分かっている利用者さんや職員の涙を誘った。
ケーキのロウソクの火を吹き消すと、(すごい肺活量!に、スタッフは驚く!) ケーキがカットされ、一人ひとりに配られた。
ここで、もう一度、お菊さんが「みなさん、ありがとう」とお礼を述べ、顔をクシャクシャにして泣きだした。
昨年の誕生日には、10回以上、お礼の挨拶をされたらしい。
「そろそろ、皆さん、ケーキを食べたいだろうから・・・」というスタッフの台詞に、ようやく皆、食べ始めたそうなのだ。
今年もきっとそうなるだろう、と前もって聞いてはいたが、中には目の前に置かれたケーキをお菊さんのご挨拶中にモグモグと食べている利用者さんもいた。(認知症専門ののホームなので、そこのところは…)
さてー。
今年はどうなのだろう。
夜勤の長い夜を経験した私は、元気に挨拶を述べる姿に、やっと安堵感を覚えていた。
良かった…。
ほんとに、良かった…。
「そろそろ、ケーキを食べましょう。お菊さん、最後の挨拶を・・・」
ここで、お菊さん。
まずは皆の顔を見渡す。
私も息をのんで見守る。
お菊さんは、両手を合わせ、深々と頭を下げて言った。
「みなさん、私の喜びを食べて下さい~」
敬礼。
102年分の生きた喜びを私達も有難く頂いた。
お菊さんのお祝いケーキは、102年分の苦労も喜び一色に変えられた格別な味がした。
「私の喜びを召し上がれ」
特別な意味を持って、私の心に響いた。。。
翌日。
つまりは昨日。
誕生日会当日、お休みだったスタッフが「私の喜びを食べて下さいって素敵な挨拶をされたそうですね。皆と祝えて良い日でしたね」と声をかけると、
「そうだったかね? お祝い?」
と、覚えていない様子にズッコケそうになった(笑)
お誕生日、おめでとう。
お菊さんは忘れても、覚えている人もいます。
そして、それをここに書き記すことで、お菊さんを直接知らない人達とも 「喜びを分かち合い」たいと思います。
「私は嬉しい。喜びでいっぱい」
「私と共に、そう、一緒に喜んで欲しい」
明治、大正、昭和、平成の世となり、無縁社会と言われる現代。
いつの時代も、
無縁社会と呼ばれる時代だからこそ、
喜びや哀しみを心から共有できる相手がいることこそが、何よりの幸せ。
喜びは倍に。
哀しみは半分に。
お菊さん、ありがとう。。。
すず
転倒の翌日、受診した結果、頭部はどこも打っておらず、「顔が痛い」と転倒直後にご本人が言われていた部分も「問題なし」。
ヒビや骨折もなし、数日後に出るかもしれないと思っていた打撲もなく、腕の擦傷のみで、元気。
夜勤明けから一日の休日を置いてお会いした日は誕生日。ホームの戸をあけ、利用者さんの受診結果に目を通し、元気そうな笑顔を見るまでは、自分の身体全体が『心臓』にでもなったような気がしていた。
(生きている。笑っている。良かった)
そして午後3時に始まった誕生日会。
週に一度、お菓子作りに来て下さるスタッフの手作りケーキが2個、テーブルに並んだ。
9人の利用者さん、スタッフ4名で祝う誕生日会。
本日の主役である利用者さんが、挨拶を述べることになった。
「立って挨拶をせんといかん…」
日中なので、自分が一人では上手く立てないことが分かっている様で、スタッフに手伝ってくれるように頼む姿に、胸がズキンとなった。
スタッフ二人二両脇を抱えられ、立ってはみたものの、腰が45度に曲がっている為、顔が見えない。
「お菊さん、座った方が、皆さんに顔を見せられていいと思うけど・・・」
スタッフに言われるが、ご本人は、「ここはひとつ、立って挨拶をするのが礼儀」という明治生まれの義理がたい信念があるのだろう。
失われてしまった日本人らしい礼儀、礼節、美徳を昭和後半生まれ(自分)平成生まれも見習いたい。
「みなさん、ありがとうございます」
と、立ったまま、どうにか挨拶をされ、座る。
一人ひとりの顔を見ながら、両手を合わせ、深々とお礼をする姿は一部の状況が分かっている利用者さんや職員の涙を誘った。
ケーキのロウソクの火を吹き消すと、(すごい肺活量!に、スタッフは驚く!) ケーキがカットされ、一人ひとりに配られた。
ここで、もう一度、お菊さんが「みなさん、ありがとう」とお礼を述べ、顔をクシャクシャにして泣きだした。
昨年の誕生日には、10回以上、お礼の挨拶をされたらしい。
「そろそろ、皆さん、ケーキを食べたいだろうから・・・」というスタッフの台詞に、ようやく皆、食べ始めたそうなのだ。
今年もきっとそうなるだろう、と前もって聞いてはいたが、中には目の前に置かれたケーキをお菊さんのご挨拶中にモグモグと食べている利用者さんもいた。(認知症専門ののホームなので、そこのところは…)
さてー。
今年はどうなのだろう。
夜勤の長い夜を経験した私は、元気に挨拶を述べる姿に、やっと安堵感を覚えていた。
良かった…。
ほんとに、良かった…。
「そろそろ、ケーキを食べましょう。お菊さん、最後の挨拶を・・・」
ここで、お菊さん。
まずは皆の顔を見渡す。
私も息をのんで見守る。
お菊さんは、両手を合わせ、深々と頭を下げて言った。
「みなさん、私の喜びを食べて下さい~」
敬礼。
102年分の生きた喜びを私達も有難く頂いた。
お菊さんのお祝いケーキは、102年分の苦労も喜び一色に変えられた格別な味がした。
「私の喜びを召し上がれ」
特別な意味を持って、私の心に響いた。。。
翌日。
つまりは昨日。
誕生日会当日、お休みだったスタッフが「私の喜びを食べて下さいって素敵な挨拶をされたそうですね。皆と祝えて良い日でしたね」と声をかけると、
「そうだったかね? お祝い?」
と、覚えていない様子にズッコケそうになった(笑)
お誕生日、おめでとう。
お菊さんは忘れても、覚えている人もいます。
そして、それをここに書き記すことで、お菊さんを直接知らない人達とも 「喜びを分かち合い」たいと思います。
「私は嬉しい。喜びでいっぱい」
「私と共に、そう、一緒に喜んで欲しい」
明治、大正、昭和、平成の世となり、無縁社会と言われる現代。
いつの時代も、
無縁社会と呼ばれる時代だからこそ、
喜びや哀しみを心から共有できる相手がいることこそが、何よりの幸せ。
喜びは倍に。
哀しみは半分に。
お菊さん、ありがとう。。。
すず