原田先生が亡くなられた…熊本(ネット)ニュースで知り、祖父が亡くなった時と同じくらいショックを受けた。
水俣病に人生を捧げた原田先生。
祖父と共に水俣で開催された 環境に関する国際会議に出席させて頂いた日から、早、二十数年。
あの時の原田先生の言葉、
「水俣出身の社会学者が出てきて欲しい」
今でも鮮明に覚えており、自分の留学先も院の専攻も決定した感があります。
それまではアジア学を学びたいとJICAで知りあった知人達には日々、話していたのに。
あの会議から数年後、再び水俣へ里帰りした際、 たまたまエレベーターから上ってくられたのが原田先生でした。
祖父はお隣さんにでも話しかけるような気軽さで、
「原田先生! こんにちは! これはワシの孫ですたい♪」
私達家族はちょっぴり恥ずかしかったというか、おこがましいというか…
でも、原田先生は、エレベーターから外へ出ると、ニッコリと微笑み返して下さったのでした。
原田先生の方は、私の祖父を直接御存知ではなかっただろうと思いますが…(苦笑)
原田先生と祖父。いつだって楽しい想い出として家庭内で語られていました。
そんな中、原田先生の訃報の知らせは、まるで一つの時代の幕引きのように感じられて…(すでに次の世代へと継承されていく筈ですが)
今頃 祖父が再び原田先生に話しかけているかもしれませんね…
「原田先生! お疲れ様でした!」…と。
心からの御冥福をお祈り申し上げます。
合掌。