台湾滞在2日目の朝は、モーニングコールより遥かに早く目覚め、(4時半!) 海外では当たり前の朝シャワーで気分もすっきり! この日は7時半出発なので、それより15分前にホテルロビーに集合!朝食バイキングは6時オープン。…ってことは、5時50分頃には荷物もまとめて、朝食から戻ったら、直ちに歯磨き等済ませ、ロビーへ行けるようにしておきたいもんね。朝シャワーなしの父は、私がドライヤーで髪を乾かしている間、テレビを見ていた。国際放送で見るNHKが珍しいらしい。5時を回ったところで、父が洗面所へ入り、何やら準備していた。
さてっと。5時半には着替えも済ませ、準備はバッチリ。朝食へ向かうとしますか!
取りあえず、ゆで野菜(…と思ったら、実際は炒めた野菜でしたが、美味しかった♬)カボチャ、ブロッコリー、青梗菜、キャベツ、じゃが芋にコーン。美味しかったのは おかゆ。欲張りだけどパンもお一つ。この後、フルーツも食べてお腹いっぱい。父も満足そうにもぐもぐ。海外へ行くと、食べ物も大事なポイント。父の口にもあったようで、ほっ。かつては「朝はご飯と味噌汁は絶対」だった父だが、細川政権のコメ不足以来、朝食はパン。今になって海外で役に立つとは
予定通り、7時半に出発し、「ホテルグレードアップ組」をピックアップし、(我らは割り増し料金無しのスタンダードホテル組。でも満足の内容) バスが満車になったところで、この日、最初の目的地である 寿山公園へ。
霧が深い中、目的地に到着。その名も 「キリンバス」 ガイドさん曰く、「日本の方のためのバスですよー 日本語ですから~」 これには 「え~? キリンって英語じゃないんですか~?」と皆さん。 キリンは英語でgiraffe ですもんね。私もオーストラリアの動物園へ行くまで(Taronga Zoo) 知らなかった気もする・・・ 日本人には馴染みやすい(キリンビールもあるし…)名前を付けて頂いちゃって、ここでも感激☆彡
高雄は港町でもある。霧で視界が悪く、あまりよく見えなかったのが残念なような、これもまた雰囲気があっていいような…
寿山公園到着後、ガイドさんが最初に説明してくれたのは、こちら。
分かるでしょうか…「滋賀県」と彫られています。戦前、日本が建てた物を残してあるのです。
さらにガイドさんは、「一番上をご覧下さい。石の色が違うでしょう。本土から渡ってきた中国人が、あとから作って日本の石碑の上に乗せたのです。中国人は何でも日本の物の上に中国の物を乗せるのが好きですね。 中国は日本より上、ということです」とのこと。
説明されなければ、気付きもしないことだった いかなる理由であれ、日本に関わるすべてのものが壊されてしまうよりは、(ここには かつて神社があったそうですが…) これだけでも残って良かった…
いかにも中国的な門構え。 台湾は日中、気温が上がり暑いため、早朝から散歩やジョギングをする人が多いそうで、ジョギングコースの一部を巡ることに。 その中で面白いーっ、と思ったのが こちら↓↓
観光客のうち、殆どの男性が素足になり、修行のごとく石の上をウオーキング! 足の裏のツボが刺激され、健康には良さそう。
途中、野生のリスにも遭遇。 父たちは、階段でゴール! お疲れ様でした~
立派な建物だなぁ・・・と思いながら歩いていると、
「木造建築が このようになってしまいました…」ガイドさんは私と同世代か、少し年上と思われますが、言葉の端々に何が言いたいか伝わってきた・・・。もし、地元台湾のガイドさんではなく、中国の方だったら、どのように観光案内したのだろう、と今になって思ってしまう。ガイドさんによると台湾にとって戦後こそ苦難の時代だったようだから… 「日本が台湾を放棄し、台湾は独立の機会を失った」という話も…
廊下に展示されていた写真には孫文の姿が・・・
広場には御猿さんもいました♪
最後に、高台から高雄の街を眺めていた私達にガイドさんが教えてくれた 日本統治時代の名残である、神社の鳥居。
「子供の頃は、もっと多くの鳥居が残されていたんですが… ほら、あそこに見えますか?日本の鳥居です」
「戦争は最初ではなく最後の手段であるべきだ」
と語った原爆資料館訪問直後の米国ケリー国務長官。
最後の…? いかなる理由であれ、あってはならない選択肢だと思う。
それが我々が歴史から学ぶべきこと。
台湾旅日記、つづく…