民芸品店へ案内され、ここでお土産の一部を購入したあと、台湾産のフレッシュマンゴジュースを購入🎵
すっごく甘くて 幸せ~な気分に 懐かしい味
高雄からバスで台南へ移動し、延平郡王を祭っている場所を訪問。
延平郡王(鄭成功)は、1624年、日本 肥前平戸藩の千里浜生まれ。
母親は日本人 田川松
7歳の時、日本から台湾へ帰国。
1645年 隆武帝に謁見した際、「鄭成功」と改名。
営中軍都督に任命され、当時「国姓爺」と呼ばれた。
1646年 隆武帝から招討大将軍に任命される。
8月、福州が攻略され、唐王は捕虜になり絶食して殉国。
父・鄭芝龍は清に降伏して北京に護送され、母は自害した。
1658年 桂王が再び鄭成功を延平王に任命。
大軍を率いてアモイから出港し、北伐を開始。1661年 台湾へ進出。
翌年 オランダ人が投降して台湾を去り、38年間のオランダ占領から解放される。
鄭成功は台南に承天府を設け、当時の行政中心とした。
天興県、万年県を置き、県知事を任命して県を管理させた。
安平にて志を全うすることなく病死。享年39歳。
オランダ軍から台湾を奪還し、開拓して領土を拡大した彼を偲ぶ人々によって「開山王」と呼ばれた。
1895年、日本人が台湾を占領すると、鄭成功の忠君愛国の精神を宣揚し、日本人の血をひく鄭成功を掲げつつ、「開山神社」として改築された。
1963年に再建され、4月29日を記念祭日と定めた。
2008年 開山王の「同心敬」開台聖王神像が台南政府により延平郡王大殿に安置される。
2010年 「誠心敬」 「和心敬」 の2体の開台王像を安置。3体すべてが祀られ、鄭成功を祀る祖が台湾によみがえった。
以上 台湾市政府文化局 広告(手持ちのパンフレット)から抜粋
開山神社と呼ばれた頃の写真も飾られていた
絵馬に日本の神社の面影も・・・。延平小店と呼ばれるお店があり、「店内で冷たいドリンクを飲みながら開山王政府の風景を一望できます」とある。
ここには笑顔で迎えてくれた台湾人女性が二人。「日本人?」とにこやかに話しかけられた。まるで日本の神社においてあるようなお守りを見つけ、驚いて眺めていると、「こちらは家内安全、こちらは勉学に…」と一つひとつ説明していただいた。父と二人、「まるで日本のお守りみたいだねえ」と話しながら、いくつか手にとると、「では、1つサービスするよ」とのこと。父が旅仲間に3つ購入。私は2つ購入(甥っ子と受験生がいる生徒さん宅へ)
今、我が家にあるお守りは、親切な台湾の方にサービスしていただいたもの。 日本に生まれ、台湾独立のために身をささげた鄭成功氏の面影を感じつつ、この場を後にした。