今回も、図書館で借りました。シドニー留学時代のお友達が紹介してくれた著者の塩野七生さん。年代はずっと上ですが、なんと私と誕生日が たった1日違い! 7月7日生まれだから、七生さんなんだろうなぁ。私ももし、予定通り7月7日の七夕生まれだったら、「なな」と命名するつもりだった!と母。あ~国際的な名前が良かったと思った日もありましたが、実は結構、タガログ語だったり、インドネシアでも知られていたり(70~80年代に現地で流行したらしい日本人シンガーの影響)インターナショナルな名前だったんだ~と🎶 それはさておき、七生さん♪ 私が生きている間に読みこなせるだろうか…と思うくらいの著書数です! すでに『ローマ人の物語』だけは、全43巻を読破しましたが、今回読んだのは、その続編ともいうべきシリーズ4巻。その名も、
『ローマ亡き後の地中海世界』海賊、そして海軍。
1巻は、イスラム教徒は実は海賊だった。 いや、海賊として地中海世界を荒らしまわった人々の目的は、
「手っ取り早く、実った作物を奪い、人まで浚って奴隷とし、イスラムの家を広げる!という理念?を掲げ、海賊業を営んでいた」
…とでもいいましょうか~
もし、私が偶然イスラム教徒の家庭に生まれ、この著書を読んだら、いや、イスラム教徒の歴史を学んだら、即、「イスラム教徒はやめた」と思ってしまうのでは…いや、そもそも日本に生まれたから、この著書を読むことができて、多神教の日本だからこそ古代ローマの寛容の精神も理解でき、クリスマスもなんでもあり!なんだろうなぁ。
作物が実った頃に、かっさらって行かれたら、そりゃ、シチリアの人々も農業に専念出来ず、土地は荒れ果てる・・・。ローマ時代のテルマエは、海賊(イスラム教徒)によって拉致された人々を閉じ込める場所という意味に代わってしまい・・・十字軍は、こうしたキリスト教徒を金銭で買い戻すため、今でいうNPOのような慈善団体によって派遣される軍だったのですね。
2巻では、イスラム国家となったトルコが海軍として活用した これらの海賊との関係等が書かれてあります。海賊が 海賊から足を洗って正規のトルコ軍の一員となったのではありません。海賊が海賊のままトルコの海軍として指揮を執る物まで現れ、戦闘が終われば再び海賊を営むのです。 海賊とは、どうも職業のような 営むもの、として この時代のイスラム教徒に定着していたようで…。
15世紀末期、海賊に拉致されたイタリア人がトルコに献上され、トルコ国家で指揮を執った者の中に、スキピオと名乗る者も歴史書に登場します! そう、古代ローマ時代のスキピオ・アフリカヌスを思い出さずにはいられません。彼は敵となってしまった本国の家族と一度だけ面会する機会を得ますが、イスラム教に改心させられていました。当時のヨーロッパはスペインが植民地を拡大していた時代。キリスト教布教にも熱心で、キリスト教から他の宗教に改心した者を裁判にかけた、、、、そんな拉致された人々が再びキリスト教に戻りたくても戻りにくい世の中だったのですね。スキピオの家族も、我が息子の行く末を思えば、「戻ってはいけない」とアドバイスしたのではないか…と塩野七生さん。確かにそうですよね。ローマによる世界平和がヨーロッパで消え去った後、力をつけたスペインによる平和がもたらされなかったのは、ちょうど今現在のイタリアや米国のように、当時のスペインが一国主義だったからではないでしょうか…。自国さえ良ければ良い!では、結果的に世界平和のみならず、自国も繁栄しないというのは歴史が教えてくれている気がします。勿論、古代ローマから、ここまで16世紀に入るまでの歴史を著書によって旅してきて感じることではありますが。
4巻を通じて強く思ったことは、統治者が、宗教、文化や習慣を受け入れ、その土地で暮らす人々をうまく活用出来てこそ、(現代風に言えば、適材適所で🎶)世界平和も現実可能となるのだな、ということ。2巻以降、「〇〇については、先に出版された~を読んで下さい」という著者からの「お願い」が度々出てきます。ローマ亡き後の地中海世界を広く見回してみることが出来たので、今後は著者の道案内にそって、さらに詳しくヨーロッパの歴史の旅を続けたいと思います。
...
ところで今日は、とっても暖かでしたね。とても12月とは思えない! バスを待っていると、魔女の宅急便に出てくるジジそっくりな黒猫ちゃんがお散歩しているところを見かけました。12月だというのに、紅葉もまだ残っている九州です。ただ、明日からちょっと気温が下がるみたいなので、風邪ひかないように気を付けなきゃ…周囲に体調不良の方、とても多いです。皆さまもお気を付けて~