半藤一利 『昭和・戦争・失敗の本質』を昨夜遅くに読み終えた。『ノモンハンの夏』を図書館で探したものの見つからず。その代わりに選んだのが、半藤一利氏の著書の中から、この本を含め2冊。ざっと目次に目を通した際、『ノモンハン事件症候群』とあったので。なるほど、ノモンハン事件で負の意味で活躍をした?辻政信参謀が、ノモンハン以後も、いかにして日本を対米戦争へ、遂には南進すべし!と日本をミスリードしていったか?について知ることが出来た。「ガダルカナル」については又の機会に調べてみるとして~
ノモンハン事件、そして開戦へと導いた責任者が辻氏の他にもう一人いる。服部卓四郎(はっとりたくしろう)中佐という。昭和16年、参謀本部作戦課の作戦課長に昇格、そして大佐に進級する。服部によって辻も中央へ呼び寄せられた。慎重派の作戦課長、土居明夫(どいあきお)大佐は猛反対したらしい。
「絶対に駄目だ。君と辻を一緒にしたら、またノモンハンみたいなことをやる…」(p92 11行目より抜粋)
ノモンハンの時は、ソ連、中国が主敵とみていた日本は、辻&服部コンビによって東南アジア、対米英へ目を向けていったんた…。
昭和14年、第二次世界大戦がはじまったことで、ソ連と停戦協定を結んだ日本。これまで知らなかったが、翌15年1月、陸軍中央に『ノモンハン事件研究委員会』が設置されていた!(P89) 報告書によれば、ソ連の近代兵器を揃えた軍に対し、日本のそれは、旧式。歩兵師団が砂漠を何百キロも歩き続ける。頼みは人力のみ。
