ノモンハン事件について~ 書こう、書こうと思いながら、日数だけが過ぎていきました。
毎年、8月になると戦争についてメディアが一斉に特集番組を組むことを『戦争月間』という、というようなことを新聞で読みました。8月以外は忘れているという皮肉も感じられる、とありましたが、それでも それまで全く知らずにいた歴史的事件、知れば知る程、「ノモンハン事件」は「事件」というより旧ソ連と日本の戦争と呼んでいい規模のものではないか?と。昨年はインパール作戦でしたが、今年、NHKが特集を組んだのは、第二次世界大戦に日本が参戦する前に起こった 「ノモンハン事件」についてでした。
ノモンハン事件について当時の新聞は、”敵の戦闘機、〇〇機云々”と、関東軍が発表する数字をそのまま記事にしたらしいですが、詳細については、意図的に国民には伏せられていた、ということでした。『はじめてのノモンハン事件』著:森山康平(2012年PHP新書)より。以下、この記事の引用抜粋はすべて『はじめてのノモンハン事件』からです。本来であれば、複数の参考文献に当たるべきですが、今回は 無知な自分がノモンハン事件を知る導入部分として…ということでご了承下さいませ。メディアで観たこと、断片的に知ったことを次は実際に書物で読んでみたい、その事件が起こった頃、日本は世界の中で、どのような状況下にあったのか、もう少し詳しく知りたいと思ったことがきっかけです。
ノモンハンは何処にあったのか?
当時の地図です。(51ページ)清王朝が倒れた後、中華民国へ、そして上記の地図が中華民国は認めないにしろ、当時の日本の認識地図ということになるでしょうか。
事の始まりは、モンゴル(…とはいえソ連)、そして満州国(日本、もっと細かく言えば関東軍)の間に、国境線を巡る ”いざこざ”が存在した、というところから。
53ページより抜粋
日本側が主張する国境線はハルハ河。帝政ロシアが1906年(明治39年)に作成した地図や中華民国参謀本部が1918年に作成した地図を根拠としたそうです。 一方、ソ連とモンゴルが主張する国境線は清朝時代に紛争が絶えなかったハルハ族とバルガ族の勢力争いを清王朝が1724年に調停し裁断したラインなのだそうです。ハルハ族はその後、モンゴルという国を作り、バルガ族は満州国に組み込まれたのだから、その境界線が そのままモンゴルと満州国の国境で治まっていれば良かったものを…と思うのは、自分が のちの世の人だからでしょうか。
世界情勢における当時の日本の状況はどうであったか、というと…
支那事変(1938年10月、ノモンハン事件の前年)
こちらは「事変」ではなく「日中戦争」と現在は呼ばれていますが、米国(ハルノート)の日本に対する輸出規制等により孤立を深めていた時期。当時の日本軍は日中戦争の最中で、蔣介石は村一つを水没させ、自国の人民の命を犠牲にしてでも徹底抗戦。戦闘機等近代兵器を持たない当時の中国に対し、地上戦のみならず、日本陸海軍航空隊は重慶を空襲していた…これにより市民4300人が死亡。参謀本部の稲田大佐は、中国に勝つことを最優先とし、このような時期に、「ソ連との大規模な戦に発展するかもしれない紛争を引き起こしてはならない」と強調。(78ページ11行)
何処に書いてあったか、誰の台詞だったかは忘れましたが、砂漠で何もない場所を多少つつかれたからと言って反応するな、たいして違いはない、放っておけ、近代的兵器を揃えるソ連を相手に戦えない、それより中国だというのが、その頃の参謀本部に流れる空気だったようです。
最初は関東軍司令部も慎重で、「ソ連蒙軍が一歩、国境超えしたからといって早急に、しかも不用意に出動するのは急襲成功の道ではない。」と出動に積極的だった小松原師団長に告げている。(84ページ)要するに出動は見合わせよ、ということだが、NHK特集でも触れていたように、はっきりと「今は出動するな!」と言わない、これが当時の「高級軍人のたしなみ」だったとか。今現在も、はっきりと物を言わないのが日本人の伝統的気質だとは思うのですが…。 このはっきりしない”曖昧さ””が 「独断専行のタムスク爆撃」を生み、更に極限になってくると、引くにひけない、No(ノー)といえない、全体主義的な心理状態へと次第に追い込まれていったのではないか…と。
「慎重論」に対し、辻正信参謀は、ありとあらゆる場面で一貫して「積極一撃論」を展開。
ソ連&モンゴルとの戦闘については割愛しますが、兵器も兵士の数においても圧倒的不利な日本が大敗し、司令部との連絡網も途絶えた中、戦場で指揮を執った井置中佐は脱出を決断。当初の司令部の命令は「陣地死守」。それは形式上は命令違反だが、停戦後、井置中佐は自決を強要されている。(267ページ)
戦後、「辻参謀があの場にいれば、どう戦ったというのか」と問うた人もいたらしい。
多数の参考文献からなる著書、「はじめてのノモンハン事件」を読む限り、折角、生き延びた戦場指揮官に対する自決の強要には、NHK特集同様、やはり疑問が残ってしまう。
NHK特集では、彼の身内がTV取材に答えていました。他に主犯がいる筈で、誰かの命令に従ったに過ぎないといった趣旨を述べていた通り、辻正信氏も戦後、著書を残しているので、それを取りあえず読まないことにはフェアではないと確かに思います。
2万人を超える死者を出したノモンハン事件終結後、日本は第二次世界大戦へ…という道を辿ることになるのです。
正直ノモンハン事件は戦争のシミレーションゲームで位しか知りませんが。
こういうのに興味があれば
大日本帝国の最後パート1
https://www.nicovideo.jp/watch/sm978302
パート2
https://www.nicovideo.jp/watch/sm979655
パート3
https://www.nicovideo.jp/watch/sm983996
今では元のflash動画がなくなり
ニコニコ動画のこんなのしかないみたいですが
内容自体は戦前~戦後までのいきさつが、結構勉強になると思います。
自分はパート3が好きで見たら泣けてきますね~
音楽もなかなか素晴らしい。
長文も厭わないのも解るような気がしています。
私は本をあまり読みませんが読者の関心を呼ぶ解説をされていると思いましたよ。
浅学の身ですが、こうしたことはヨクヨク読み込んでいないと出来ないことだろうと思っています。凄いね!
滝川~
ps;先日のコメント、リンク先にとび見ました。
いつもありがとうございます✨
私は ノモンハン事件の事は知りませんでした
今回の紹介で思い出したのが、
山口淑子さん、李香蘭です!
山口さんは、運良く裁判で、日本人と分かり
中国追放?から日本に帰って来られ、
日本での活躍、政治家になられ、
私が、知った時は、女優から参議院議員に当選
されて、凄く話題になった時くらいから、
興味を持ちました、
あの山口さんが、ノモンハン事件と同じくらいに
満州国におられて、波瀾万丈の激動の人生を
歩んで来られたなんて、容姿端麗からは、
考えもしなかったです、
戦争を繰り返してきた日本が戦争放棄をして
国民は自由に生活してますが、
その歴史には、大変な抑圧と制裁があったことも
正しく知る事をされている
すずさんには、感心するばかりです✨
ノモンハン事件は私が生まれる3年前・・私たち高齢者ですら事件の詳しいことはよくわからない人が多いと思いますが、すずさんはその後のことも含めてもっと知りたい、詳しく知りたい・・とよく思いましたね。
すずさんが感じたようにただのいざこざが発生した「事件」というよりやはり戦争と捉えるべきでしょう。
当時の日本は日中戦争の中、ソ連との戦いには賛否両論のような葛藤もあったでしょうが、結局第二次世界大戦への引き金になったわけですからね。
私も毎年、原爆の日や終戦記念日の前後には戦争に関する本や、報道に触れ、特別に設けられた会場などへも足を運び、悲惨な戦争を振り返ることによって反戦意識を再確認するようにしています。
おはようございます。
一日遅れですね。
すずさんのスピードに追い付いていません。
この時期になると思い出したように戦争の特集が組まれます。あとはすっかり忘れて?いるのにと思ってしまいます。
ノモンハン事件のことはよく知りませんでした。そんな事件があったと言う程度ですが、高校の時の日本史の先生が、この事件は立派な戦争だと言うようなことをおっしゃたことだけ記憶に残っています。
詳しいことは記憶にはありません。学校での歴史学習は近代はどうしても手を抜かれてしまい、さっと終えられたような印象があります。
どうして馬鹿な戦争への道を軍部が突き進んで行ったのか、すずさんのブログを機会に少し勉強してみたいと思いました。
ありがとうございます。
教科としての歴史となると、興味を抱かない中高生も、これならいいのかも。
ゲームでも漫画でも、入口は何でもOKだと思います。
1か月前くらいかな…
友人がゲーム音楽で好きな作曲家を教えてくれ、ファイナルファンタジーシリーズをYou Tubeで聴いていました。
確かにオーケストラにギター演奏が入る、ちょっと異色の組み合わせでカッコよかった👍
リンク先も覗いて頂いたそうで、ありがとうございます。
わざわざ時間を割いて頂き、感謝です。
>読者の関心を呼ぶ解説をされていると思いましたよ。
それは大変光栄です! ブログで長文は敬遠しがち⦅自分が⦆なので、当然、敬遠されて当然だと思っているので…💦
紙で読む本と違い、パソコンで字を追うのは、目が疲れるので…
実は、早くも老眼ですΣ(゚д゚lll)ガーン
歴史にかなり詳しい私の友達でさえ、知らなかったくらいですから、殆どの方はノモンハン事件を知らないのではないでしょうか。
私もNHK特集で数年前に、取り上げられるまでは全く知りませんでした。
視聴しました、すべて信じます、はい、終わり!
とはしたくない為、ほぼ必ず、図書館へ足を運び、調べるようにしています。
調べていく内に、過去に読んだ複数の書籍の内容も思い出し、点と点が繋がったような感覚になる時もあります。
李香蘭の話は私も両親から聞いたことがあります!
日本人だと分かり、命拾いした!という話が印象的でした。
2つの故郷で波瀾万丈な人生… 心も揺れ動いたことでしょうね。
戦争さえ無ければ…
幾度もそう思ったことでしょうね…
今、私たちは当然のように政府批判も堂々と出来る、安全な国で生活している訳ですが…
香港では今日、23歳の女性活動家が逮捕され、30年禁固という最も重い刑になったというニュース報道を耳にしました。
怖いですよね…
すずさんの、根拠に基づいていないことには動じない姿勢に共鳴致します。
真実は一つですし、人生は一人称(自分がどうしたいのか)だと思います。
戦争は宗教が絡んでいたり、人間に欲がある以上は無くならないのではないでしょう・・・
というのが私たち夫婦の考えです。
主人は被爆二世ですし、私の父は満州から引き揚げて来ております。
終戦75年と言いますが、戦争は、私たちの体の中でまだ続いていると感じることがよくあります。
そして、馬鹿な連中が攻めてきたら、実際、戦争はしてはしてはイケナイという理想だけでは大切な人を守れません。難しいですね・・・
なので、私は何事もない日常の幸せをを大事に思いますし、その日、その時に何をしたらよいかと
いつも自分に投げかけております。
差し詰め今はコロナ戦争でウイルスと共生することにしています。
穏やかな暮らしというタイトルは、お馬鹿なブログですが、色々なことをひっくるめて
そう望みたいと思う気持ちから立ち上げました。
話は少しずれますが、マスクを何故日本人は付けるかという理由ですが、他人に移さないためや、自分が移らない為でもなく、一番多かったのは、
「他人(ひと)が付けているからだった」という統計が出たとFM東京で伝えられてました。
日本人は、自分がどう思われるかを気にする民族なのですね。
(全員とは言いませんが。)
私今、戦争を体験された皆さんの食事作りを担当しておりますが、皆さん誰も文句一つ言わなどころか、
「何か召し上がりたいものがありましたら仰ってくださいね」と訊いてもほとんどの方は何もおっしゃいません。
しかし七夕の短冊に「甘い物が食べたい」と数名書かれていたのが印象的でした。
戦争で青春を奪われ、今は若い人からは、生活のために施設に入居を強いられる。
そんな人生の最後を送る方たちに、老いた自分が出来ることは少ないですが、それも共生ですね。
人間は、最後まで人として尊重され、尊重したいと思って暮らしております。
取り留めもないことを書き並べてしまいました。
申し訳ありません。
でも、すずさんとできることなら、ずっと笑っていたいと思います。
このコメントはアップしないほうが良いでしょう。
すずさんの心に留めてくだされば幸いです。
すずさんの誠実な人柄にいつも救われます。
(人''▽`)ありがとうございます。
読みもしないで承認し、「アップしない方が良いと思います」と最後の一文を読み、慌てて保留にしましたが…
私としては、一般公開して、是非とも他の方々とも共有したい、した方が良い、と思うのですが…
個人と個人が顔を合わせて、相手を理解しようと耳を傾ければ、争いごとを避けることは可能だと体験済みなのですが、
みみさんご夫妻と同じく、この世界から”戦争”を完全に排除することは、現実厳しいと…思いたくはないけれど、ホモサピエンスは欲深くて…
その点、動物や昆虫は必要な分しか狩りをしない!
私も学びたい!
みみさんのブログに いつも共感します♪