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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 421 ヤクルトタフマン

2016年04月06日 | 1984 年 



自社の新商品の宣伝に2年連続最下位の監督をテレビCMに起用する。それだけなら何ら構わないが、まるで似合わないコミカルな演技を芸能タレントの如く強いるのはいかがなものか。挙げ句にチームは負け続け、自軍の担当記者にまで商品名の「タフマン」をもじって「多負マン」と陰口を叩かれる始末。更には連敗が続くと「ヤクルトミルミル」にかけて「みるみる●●連敗」といった新聞見出しまで登場した。チームが負けてこれほど親会社製品のイメージが悪くなった例を知らない。プロ野球の本質は本拠を置く地域のファンを喜ばせ野球を通じて地域社会と絆を結び合う一つの社会的還元を行なうものであるべきなのにプロ野球チームを持つ事は自社製品の宣伝の為としか考えていないからファンからしっぺ返しを喰らう事になるのだ。

今回のヤクルトの監督交代劇 『武上監督の辞任 → 中西ヘッドの監督代行就任 → 中西監督代行の辞任 → 土橋投手コーチの監督代行の代行就任』と続いたゴタゴタ騒ぎは過去にちょっと例のない醜態である。単に敗戦の責任を取って指揮官が交代しただけ、では済まされない問題が潜んでいる。球団フロントがどういったチームを作るかのビジョンが全く見えてこない。一説によると中西監督代行があの巨体が萎むほど眠れぬ夜を過ごしたのはトレードや新外人獲得といった補強策に球団がまるで動いてくれそうもない無関心さにイライラが募ったせいだとも噂されている。書類上はあくまでもヘッドコーチのままで指揮権も曖昧なままでは思い通りの采配は振るえまい。自分の子供のような歳の選手相手に汗まみれになって打撃指導するほど野球が好きだった男が「もう勘弁してほしい」とユニフォームを脱ぐ心境になったのには余程の事があったのであろう。

次は代行の代行となる土橋投手コーチ。就任会見の際に記者から球団社長に対して「今度の監督代行の指揮期間はいつまで?」と皮肉たっぷりの質問に「武上君と中西君とも色々と相談しないと…今はお答えできません」と奥歯にモノが挟まったような不思議な答弁をした。それを横で聞いていた土橋コーチは驚き「いえ、僕は松園オーナーから最後までやれと言われましたからそのつもりです」と即座に球団社長の発言を否定した。オーナーは「最後まで」と言い、球団社長は「何とも言えない」とする不徹底さ。ここにこのチームの悲劇がある。中西監督代行が辞意を表明した時、各スポーツ紙は球団フロントの「長期展望の欠如」「抜本的改革意識の無さ」「明確なチームビジョンを持たない悲劇」と書いた。ヤクルトという球団の問題点を今や球界関係者のみならず一般のファンですら分かっている。

嘗てヤクルトに在籍していた元選手が苦笑しながら話した事がある。「球団フロント陣は動きたくても動けないんですよ。下手に動いてオーナーの怒りを買って冷遇されるより黙って大人しくしている方が身の為なんです」と。抜本的な対策を講じる事なく目の前のほころびを繕うのみ。だが所詮は応急処置なので直ぐに元に戻ってボロボロに。それでも対策を進言しない。それくらいヤクルトでは松園オーナーの権力は絶大で、オーナーは客を招待している酒の席に監督・コーチや選手を呼ぶのが好きでオフの期間は勿論、シーズン中でも珍しくない。元選手によれば「私は野球人。男芸者じゃない」と敢然と断ったのは嘗ての広岡監督くらいだそうだ。この発言が事実だとすればヤクルトというチームは松園オーナーのペット的存在であるという事になる。心ある野球人としては何とも悲しい事である。

この15年でヤクルトの監督(代行も含む)は土橋コーチで7人目となる。平均2年余りの短命指揮官だ。嘗ては日本プロ野球史に名前を残す名監督・三原脩もいた。球団初のリーグ優勝&日本一を達成した広岡達朗もまたしかりである。こうした名将たちは自らが理想とするチーム作りに着手し始めてもやがて球団に不信感を抱いてチームを去る事となる。指揮官を失い方向を見失った中途半端なチームが残され、後を継いだ新たな指揮官はゼロからのスタートを強いられた。今年のドラフト会議でヤクルトは前評判の高い即戦力の高野投手(東海大)を指名したが、球界内には高野の将来を危ぶむ声が広まっている。ヤクルトのドラフト1位投手は大成しないとよく耳にする。本人の資質もあるが指揮官が頻繁に交代し一貫性の無い指導方法にも原因があるのではという意見は多い。

ゴールデンルーキーの荒木投手の場合もそうだ。人気があるから、とまだプロとしての実力も備わっていないのに " 客寄せ " の為に登板させた。確かに荒木は人気者である。登板すれば普段よりも多くのファンが球場に押し寄せるだろう。しかし肝心の実力が伴っていないのだからファンの関心が次第に薄れていくのは必然である。見よ現在の荒木を。投げる機会も減り、ただ漠然と練習している様は痛々しいだけだ。巨人の槙原投手は1年間きっちりと二軍で鍛えた成果が今の活躍となっている。当初は武上監督も荒木を二軍で鍛えてから一軍で投げさすつもりだったが人気低迷に悩む松園オーナーの要望には逆らえずデビューさせた。大人の事情で一軍にいる荒木はむしろ被害者かもしれない。今後も長期的展望がないままなら来年以降のチームや荒木にも多くは望めまい。ヤクルトの低迷は目先の事しか考えない結果であり、一事が万事である。
コメント (1)
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