佐藤政夫は今シーズン16年目を迎えたサウスポーだ。昨シーズン終了後に大洋を解雇されたがロッテに拾われた。佐藤は昭和44年のドラフト会議で巨人に5位指名されてプロ入りしたものの翌45年オフに早くもロッテにトレードされた。その後は米国の1A、中日、大洋と渡り歩いた。プロ15年間で通算12勝22敗2Sは特筆する成績ではない。しかしこの左腕が何故 " 買われ " 続けるのか?
佐藤は昨シーズンが終了すると " また " 解雇された。一軍公式戦で13試合・0勝1敗・防御率 3.86 、殆どがワンポイントリリーフ登板で間もなく34歳を迎えるベテラン投手に大洋は見切りをつけた。佐藤にとって解雇は初めてではない。1980年のオフに中日に解雇されている。中日が盛んに選手の新陳代謝を図っていた時期である。ただ当時は30歳と若くまだ戦力になると判断した大洋が声を掛けた。佐藤は57試合に登板し6勝4敗1Sと結果を残し期待に見事に応えた。6勝の中には完封勝利が1つ含まれており、中継ぎ・ワンポイント・先発と何でもこなした。しかし残念な事に佐藤はその成績を持続させる事が出来なかった。そして再びクビを宣告された。さすがに本人もプロ生活はこれまでと覚悟した。
プロ入りは昭和45年。電電東北から巨人にドラフト5位指名され入団した。同期に早大のバッテリー・小坂投手(1位)、阿野捕手(2位)、河埜(6位)らがいた。そこから佐藤の流浪の旅が始まる。僅か1年でロッテに放出される。「意外でしたね。たった1年じゃ実力を発揮する事は出来ない。ただ当時はウェーバー方式という各チームから数人の若手や不要な選手を出し合い交換するシステムがあってロッテに拾われた。二軍のロッテ戦で好投したお蔭かな(佐藤)」と振り返る。ロッテには2年半在籍した。" 半 " なのはロッテ3年目の途中で米国・加州のローダイオリオンズに移籍したからだ。当時の中村オーナーがローダイ(1A)を買収しロッテから佐藤ら数人がアメリカに渡った。
「4月の開幕から8月までに140試合を消化する厳しく大変なスケジュールでした。かなり登板しましたけど得る物も多かったですね。ローダイという町は何も無い所で退屈しましたね」 しかしアメリカで奮闘し帰国した佐藤に活躍の場は待っていなかった。翌シーズン途中に中日にトレードされた。何チームものユニフォームを着てきた15年間で残した数字は大した事のない投手だが中日を解雇された時は大洋が、その大洋を解雇された昨年にはロッテが声をかけた。一度クビにしたロッテが再び契約を申し出たのである。佐藤に対する期待度は背番号に表れている。巨人では「46」だったがロッテでは「40」、中日は「26」、大洋では「13」と若返っていく。幾つもの球団を引きつける魅力は何なのか?
それは佐藤が余人には真似の出来ない球を投げる事が出来るからだ。それを端的に表すエピソードがある。それは1974年10月14日の後楽園球場での長嶋の引退試合の事である。巨人は10連覇を逃し中日との最終戦を迎えた。八回裏一死一塁、佐藤は三番手投手としてマウンドにいた。迎えるは長嶋。現役最後の打席である。中日の捕手・金山は打席の長嶋にこう言った。「長嶋さん、この投手は直球が自然に変化するので打ちにくい。カーブを投げさせましょうか?」と。長嶋は「直球で」と答えた。マウンド上の佐藤はいつも以上に緊張していた。「長嶋さんの最後の打席で四球を出す訳にはいかず腕が縮こまっていた。サイン通りに直球を投げたけど変化して少し落ちちゃってね」打球はショートゴロとなり絵に描いたようなゲッツー。球場内は溜め息に包まれた。
「フォームは高校時代から変わりませんね。自分ではスリークォーターで投げているつもりだけど体がクネクネと動くので打者は打ちづらいみたい。社会人時代もプロに入ってからもフォームを直すよう言われた事はなかった。あまりにも変則的なのでいじりようがなかったんじゃないですかね」コンニャク投法と名付けられるフォームから繰り出されるクセ球はとにかく打ちにくい。ただ変則投法ゆえにエネルギーの消耗も早く長いイニングは投げられない。ショートリリーフに適した投手なのだ。今シーズン、ロッテが佐藤を入団させたのは門田(南海)・加藤英(近鉄)・クルーズ(日ハム)らパ・リーグの左の強打者に対するワンポイントリリーフとして起用する為である。その個性ゆえに佐藤はプロの世界で生き続けてきた。
「僕自身は " 拾われた " という意識は全く無い」と言い切る。「サウスポーは得だと言われる事が多い。左投げ投手の数自体が少ないから重要視されているのは事実だけど単に数の差だけじゃないと思っている。サウスポーという理由だけで生き残れる程この世界は甘くない。生き残るには何か特徴なり武器が無ければ駄目ですよ。僕には打者が手も足も出ない速球が有る訳ではない。切れ味鋭い変化球を投げられる訳でもない。有るのは変則的なフォームだけ。誰に何を言われようがこの投球フォームを変える気はなく拘り続けてきたのが生き残れた理由だと思っている」・・個性だけは失わなかった事がプロ入り16年目の稀有なサウスポーを支えている。ちなみに佐藤が付ける今シーズンの背番号は「36」である。