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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 385 色々ありました 西武ライオンズ編

2015年07月29日 | 1983 年 



1983年ペナントレースはパ・リーグは西武、セ・リーグは巨人が制し日本一は西武。日本一になれなかった他の11球団は勿論、勝った西武にも色んな事があった1年だった。そんな人と事件で綴る小噺集である。


宿敵・巨人を倒し2年連続日本一を成し遂げた西武。今年を振り返りながら数々の話題を提供してくれた諸氏を讃え、次なる賞を贈りたい

よく眠れたで賞…昭和53年のヤクルト初優勝を含め3度リーグ優勝を果たした広岡監督。10月10日、本拠地で阪急に勝利した後、次のように苦笑いした。「今年ほど楽なシーズンはなかった。悩んで眠れぬという夜は一度もなかった。こんな楽に優勝してしまっていいのか、と違う意味で悩んだくらい」と話すほど余裕の優勝だった。開幕後に首位に立つやそのまま2位以下に大差をつけて独走。毎晩ぐっすり眠りにつく事が出来ました。

長嶋を超えたで賞…5月24日から29日までの大阪遠征で田淵が嘗て阪神時代に人気を集めた関西でホームランフィーバーを巻き起こした。26日に木下投手(阪急)から通算444号を放った。これで大卒選手として最多の長嶋氏の記録に並んだ。28日には山内孝投手(南海)から445号を放ち長嶋氏を超えた。5月の月間MVPにも選出され「憧れの長嶋さんに追いつき追い越せてこんな感激は生涯初」と満面の笑顔。

耐えたで賞…松沼兄が8月4日にプロ入り初となる二軍落ちとなった。7月末の球宴期間中に自らの不注意で左外腹斜筋挫傷を痛めてしまった。幸い軽傷だったがそれが日頃から自己管理に厳しい広岡監督の怒りを買ってしまったのだ。「ちょうど兄弟100勝がかかっていた時期でショックだったし弟に負担をかけてしまって申し訳なかった」と振り返る。それを糧に奮起し日本シリーズでの開幕投手を勝ち取った。

怒って完封したで賞…北の街・札幌で監督とエースの対立が勃発?7月16日、東尾投手は南海を相手に再三のピンチを切り抜け完封勝利。前日に東尾は球宴の監督推薦に漏れ少々オカンムリで広岡監督との勝利の握手の際も表情はブスッとしたまま。そんな東尾を広岡監督は「普段は喜怒哀楽が表情に出る東尾が今日は終始無表情で良かったね。投手はあれくらいポーカーフェイスじゃないと」と皮肉たっぷり。

冷たい目で賞…広岡監督に加え森ヘッドコーチの冷たい視線は時として大きな効果を生んだ。入団早々に洗礼を浴びたのが期待の左腕・野口投手。当初の即戦力の期待を裏切り二軍で燻っていたが5月になり一軍で打撃投手を務めたが「2人の視線が怖くて…」と意識過剰になり本職の方はサッパリな1年となった。その視線を生かしたのが松沼弟で「マウンドにいてベンチから冷たい視線を浴びせられる度に必死に投げましたよ」と奮起し15勝も出来たのは2人の視線のお蔭かも?

ズッコケで賞…「ありゃ珍プレーでしょうな」普段の試合後は寡黙な広岡監督が珍しく自分から報道陣に話しかけた。5月31日の日ハム戦の6回裏、走者一塁でソレイタが放った打球はフラフラと遊撃・石毛の後方へ。捕球に走る石毛と中堅手・岡村が激突して落球。ここまではよくあるプレーだったが急いで球を拾った岡村が三塁へ送球したがその球が山崎の背中へドスン。もんどりうって苦痛に顔を歪める山崎を尻目に走者はホームイン。「いやぁ~焦っちゃって…」と岡村は平身低頭。相手ベンチの日ハムナインが大爆笑していたのは勿論の事である。

魔術で賞…とっておきの西武のお家芸が隠し球である。役者は山崎と片平で「年に2~3回はやっている(山崎)」らしい。今季は8月21日の南海戦で山本和をカモった。6回一死に右前打で出塁した山本、山崎は右翼手のテリーから返球された球を素知らぬ顔でグローブの中に忍ばせた。高橋投手がセットポジションに入る仕草を見て山本が離塁するや片平に送球しタッチアウト。茫然とする山本。「さすが山崎、とぼけるのは超一流だ!」と西武ベンチからヤンヤの喝采を浴びた。

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