納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
戻って来た " あの感じ "
リー選手のホームランパワーがやっと復活した。オールスター戦後の6試合で5発。スランプがウソのように再びホームランダービーを独走の勢いだ。20号を放ったのが梅雨入り前の5月29日。後楽園球場のバックスクリーンに叩き込んだ。その時点のロッテは45試合目で「2.25試合に1本」のハイペースで本塁打を量産していた。ところがそれ以降、オールスター戦までの32試合で僅か2本とペースダウンした。その間、猛追するミッチェル選手(日ハム)に追いつかれてしまった。そんなリー選手の復活の要因はオールスター戦にあった。試合前に王選手と会話する機会がありアドバイスを受けたのだ。
バッティングのタイミングが完全に狂っていた。各球団の徹底的なマークに遭い、持ち味のコンパクトで鋭いスイングはどこへやら。バットが遠回りをして打球に角度がつかなくなっていた。また王選手にはパワーヒッターと周囲から言われることを意識して一発を狙うようになり体が開いてしまう欠点を指摘された。「ミスター・オーと話をするうちにフィーリングが戻ってきたんだ」とほんの1秒の何十分の一のズレを修正するやいなや面白いように打球の飛距離が戻った。オールスター戦明けの7月29日、神宮球場での南海戦で復活を告げる2発を放った。そのうち1本は仏・パリ行きの懸賞がついたバックスクリーン直撃の一発で懐も潤いニコニコ。
打棒が復活し怖いモノなしのリー選手に悩み事が出現した。子供たちの学校の関係でウィレッタ夫人、長男ローン君、長女キムペリーちゃんが7月30日にアメリカに帰国してしまい孤独感に圧し潰されそうなのだ。「食事を摂るのも一苦労」と嘆き、ホームシックに陥ることが心配されている。日本での先生役でもあるラフィーバーコーチが公私にわたって手を回してくれているのが救いとなっている。「ジミーさん(ラフィーバーコーチ)と食事したり話し相手になってもらい助かります」と最悪の事態は避けられそうだが、ホームランを量産しても今一つ張り合いがないリー選手は寂しそうだ。
お客さん
久々に一軍に帰って来た選手の感想はだいたい決まっているようだ。約10ヶ月ぶりのマウンドを踏んだ三井投手も同様に「お客さんが見ていてくれるのがどんなに素晴らしいことか改めて知らされました。マウンドに立った時、ネット裏にお客さんが沢山いるのは何ともシビレルことなんですねぇ」と語った。春のキャンプで痛めた右肩の治療に長い時間を要してきただけに感慨もひとしおだったのだろう。「今日が僕の開幕戦。これからじゃんじゃん投げますよ」と本人は大いに張り切るが周りはハラハラするばかり。周囲の「無茶はしないでくれ。治ったばかりなんだから」の声は通じない?
アッといわせた " 三匹の侍 "
「札幌は " 北へ帰ろう " シリーズなんだ。縁起が良いからな」とフロント陣も大沢監督も大いに期待していた札幌シリーズ。オールスター戦明けの初戦は相性の良い阪急が相手。前期シーズンの快進撃は5月の八戸・青森の、みちのくシリーズでの3連勝から始まった。「阪急を倒して景気づけできれば快進撃が再び…」というわけだったが " 捕らぬ狸の皮算用 " になってしまった。初戦は山田投手に、次戦は稲葉投手に抑えられオールスター戦を挟み5連敗を喫した。3戦目を勝利し一矢報いるのが精一杯だった。
試合は負け越したが話題になっている日ハム3選手を紹介しよう。先ずミッチェル選手は下手投げの山田投手が大の苦手で30日の試合では4打数4三振でシーズン99三振で大台に王手となったが、ミッチェル選手は落ち込むことなく「サッポロは故郷のミルウォーキーと同じ緯度で気候も似ていてお気に入り」と遠征に同伴したリング夫人の従兄弟のジム・ジャクソン氏と札幌観光を楽しみ大好きなビールを堪能した。そのお陰なのか3戦目に勝利を呼ぶ23号本塁打を放ち、ホームランダービートップを快走するリー選手(ロッテ)を猛追する。
連敗を止めた試合の山下選手の一発も話題に。山下選手は4打数4安打と大暴れした富田選手に代わり守備固めとして途中出場した。「トミさんが4安打なら僕はホームランを打ってくる」と宣言して打席に向かった。「冗談もほどほどに」と富田選手や日ハムナインが一笑に付したのも無理はない。今シーズン巨人から移籍した山下選手はプロ10年で本塁打はゼロで11年目での初本塁打だった。巨人時代は代走や守備固めの出場がほとんどで打席に入る機会が少なかった。ベーブルース並みの予告ホームランに日ハムナインは驚いた。
一番デッカイ札幌みやげとなったのが杉田投手の好投だ。多摩川グラウンドでミニキャンプを張る高橋一投手に代わって2カ月ぶりに今回の札幌遠征から一軍に上がって来たばかりだった。「一軍に上がって直ぐに先発に起用されるなんて光栄だった。チームの信頼を裏切らない為にも頑張らないと」と3戦目に先発するとあわや完封の1失点の完投勝ちで2勝目を上げた。「立ち上がりに一死三塁で加藤秀さんを三振に抑えたのが大きかった」と試合を振り返る。「夏場の暑い時期に間に合って他の投手の負担を減らせる。杉田の復帰は大きいよ」と新山投手コーチもニッコリ。
中止のココロ
札幌シリーズにはつきもので選手らが楽しみにしていたのがビール園でのジンギスカン鍋の会食が中止に。選手らはさぞかしガッカリしているかと思ったら「仕方ないな」と諦め顔。というのも昨年は飲んで騒いでと大盛り上がりだったが、翌日の試合は二日酔いする選手が続出しダブルヘッダー2試合を連敗してしまった苦い経験があるからだ。練習開始が翌朝8時半なのに宴会は二次会、三次会と続き深夜遅くまで飲んでいたら勝てるわけがない。「去年を反省して中止になっても文句は言えないよ」と選手も心得て中止のココロを読んでいた。
ついに日本一! 米田 " 945 "
米田哲也投手が7月31日、日生球場での対クラウン7回戦で先発した板東投手が打たれ、大量5点のリードを許した4回表から三番手投手として登板し、金田正一(現ロッテ監督)が持っていた通算944試合の最多登板記録を更新した。初登板は阪急時代の昭和31年4月3日の対大映2回戦だった。マウンドを降りた米田投手は首にタオルを巻いてリラックスした表情で報道陣の前に姿を現し「長く投げてりゃいつか出来るこっちゃ。カネさんもこの記録を破られるのは時間の問題と思っていたやろ」と高揚感もなく淡々とコメントした。
22年間もプロの世界で投げ続けた男にとって敗戦処理としての登板は屈辱的であった筈だが、老雄は日頃から「どんな場面でも手を抜くのはプロとして失格だ」と言い続けていた通り必死で投げた。ウイニングショットのフォークボールを駆使して懸命のマウンドだった。だが現実は厳しく力の衰えは隠し難く8回表には無死から吉岡選手、大田選手に連打され佐藤文投手に後を託し降板した。「次は350勝やな。その時は良い投球をしたいね」と、あと2勝で達成する通算350勝に超ベテラン投手は早くも気持ちを切り替えている。
“ 25本は打ちたい " 羽田
羽田選手が対日ハム3回戦で自己ベストの16号本塁打を放った。1対3とリードされた6回に佐伯投手から左翼席場外への一発だった。羽田選手はこれまで昭和48年12本、49年14本、50年15本、51年6本だった。試合が引き分けに終わった為か「一応、目標は達成しました」と言葉少なだった。バディ、ジョーンズ選手の両助っ人が不振とあって羽田選手が四番の重責を任され、打率も徐々に上がってきている。この調子が続けば自己ベスト記録は大幅に伸びるだろう。四番打者として25本塁打が最低ラインだ。
ダメ外人
左足肉離れの治療でアメリカに帰国しているバディ選手が球団事務所に近況を知らせてきた。それによると7月13日に帰国した後にロスアンジェルスのF・ジョベ医師の診断を受け、骨には異常はないが左ヒザの筋肉が腫れているため炎症止めの注射治療を続けているそうだ。近鉄は目下12球団最低のチーム打率に泣いているだけに助っ人の再来日が待たれるが「いつ治るか分からんようでは話にならん。こっちに帰って来る頃には後期シーズンは決着しとるんとちゃうか。当てにはしとらんよ」と西本監督はダメ外人にすっかり愛想を尽かしているようだ。
丈夫で長持ちとはこのこと
ノムさんがまたひとつ長寿に相応しい記録を更新した。21年連続2桁本塁打というやつである。対ロッテ6回戦の9回に成田投手から放った10号本塁打がそれ。昭和32年に30本塁打を放って以来、20本以上の連続記録は昭和49年の12本で途切れたが、昨シーズンも10本を放って2桁本塁打記録は続いていた。プロ24年目で今年のオールスター戦では最年長出場記録を塗り替えた。「長くプレーしていれば自然と記録というものはついてくる。この歳になると記録とか数字というものがプレーを続ける励みになる。嬉しいもんや。ワシの知らない記録があったら教えてな」とまだまだ隠居する気はないようだ。
捕手としての出場記録は日本はおろか大リーグの記録も塗り替えてしまい今や世界最長息の捕手となった。出場記録ばかりか通算安打をはじめ、最多塁打・最多得点打・最多犠打・最多三振など最多記録がゾロゾロ並ぶ。全てが1日、1試合の地味な努力の積み重ねから生まれてきた結晶の記録だ。「まだまだプレーは続けたい。たとえボロボロになってもやりたいなぁ。ワシから野球を取ったら何もないからの」と老いてますます盛んな御長寿ノムさんである。
門田は珍記録達成
ノムさんの記録には及ばないが門田選手がオールスター戦で珍しい記録を達成した。名付けて「3試合連続受賞」だ。昨年の第2戦で最優秀選手賞、第3戦で敢闘賞を受賞したのに続き、今年の第1戦でも敢闘賞を受賞した。これで足掛け2年の3試合連続受賞を果たした。昨シーズンあれだけ騒がれた " グリーン旋風 " の中心打者だった男だけに「今年もオールスター戦で何か受賞せんと格好わるい」と前々から言っていた。受賞を果たし重責から解放されたが、続く第2・3戦は良い所なしで今度は反省しきり。「疲れがドッと出てプレーに集中出来なかった。申し訳ない。このお詫びは公式戦で」と上田監督(阪急)には物騒な発言をした。
我が家
オールスター戦明けから藤原選手が元気に三塁手として戻ってきた。怪我で戦列を離れていたが、治った後も一塁や指名打者に回されたりでホットコーナーから遠ざかっていた。「ここ(三塁)だと強い打球が飛んでくるが慣れているので気分は楽です。指名打者は試合に出ている気がしない」と久々の我が家に気分が良さそう。帰ってきたホットコーナーでハツラツプレーを発揮する藤原選手に首脳陣もホッとした表情。「やっぱり、チャイ(藤原)がいると安心」と野村監督も目を細めた。
ホームランで復帰の挨拶
頼りになる男が2ヶ月ぶりに戻って来た。「ボク、休んでいる間に腕力が強くなったのかな」とジョークが飛び出すマルカーノ選手が戦列復帰を本塁打で飾った。練習中に打球を左眼下に受けたのが6月11日。安静と治療に専念し7月26日に主治医からゴーサインが出た。8月の日ハムとの札幌遠征から復帰し、阪急キラーの高橋直投手から値千金の同点本塁打を放った。ちょうど50日ぶりの試合でいきなりの本塁打に「彼の復帰を僕らが打って祝ってやろうと思ったら逆に彼に助けられたよ」と福本選手は苦笑い。
マルカーノ選手の一発に「最初の2~3試合でゲーム勘が戻りさえすれば御の字と思っていたら何のことはないポカスカ打ってくれた」と上田監督や中田打撃コーチは大喜び。気楽な打順で打たせようとマルカーノ選手を七番に起用したことがそれを表している。まさに案ずるより産むが易しだったわけだ。マルカーノ選手はチームが前期優勝を果たした時は病院のベッドの上にいた。もし怪我をしていなければ出場確実だったオールスター戦もテレビ観戦を余儀なくされ悔しい思いをした。
マルカーノ選手の復帰は技術面だけではない。陽気なベネズエラ男がいるだけでチーム内の雰囲気はパッと明るくなる。「ミナサン、ボクガイナクテ、サミシカッタデスカ」と笑顔で話しかける。力強い助っ人のカムバックは快調に後期シーズンを滑り出したクラウンの鬼頭監督やロッテのカネやん、南海のノムさんたちの苦虫を嚙み潰したようなイヤ~な顔が手に取るように伝わってくる。
ウイリアムス1人ニンマリ
このほどの北海道遠征は昭和36年の対オリオンズ戦以来、実に16年ぶりだった。この遠征に上田監督が粋な計らいを見せた。遠征に家族の同伴を認めたのである。上田監督の配慮に阪急ナインは「久しぶりに女房孝行ができる(山田投手)」と喜んだが、蓋を開けてみると家族を同伴したのはウイリアムス選手のみだった。福本選手や山口投手ら幼い子供がいる選手は「もうちょっと大きくなって周りに迷惑がかからなくなったら」と遠慮したらしい。「ボクの家族だけ楽しんで申し訳ないねぇ」と恐縮しながらウイリアムス選手は試合が終わると札幌周辺の観光名所を見て回った。
愛のムチ
ルーキーの佐藤義則投手がご当地での登板を飾れなかった。先の北海道遠征で佐藤投手は対日ハム戦で制球難で3回もたずに降板した。江差港から船で3時間ほどの奥尻島の生まれ。札幌から8時間ほどの距離があり、正直ご当地と呼ぶには遠いが円山球場に両親はじめ親戚一同がつめかけた。漁師の父親・義美さん(54歳)は息子の晴れ姿を楽しみにしていたが打ち込まれ降板した息子に「もっと苦しんだ方が本人の為になる」と激励した。これぞまさしく親の愛のムチ。佐藤投手は「みんな楽しみにして応援に来てくれたのだろうに申し訳ない。この負けを糧にして頑張ります」と気丈に応えた。