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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 382 男の決断

2015年07月08日 | 1983 年 



プロ野球ペナントレースも終盤、あと少しで日本シリーズが始まる。多くのファンが日本一をかけた戦いに注目が集まる時、2人のスター選手が自らを顧みている。 " 巨人キラー " の平松(大洋)と " 月に向かって打て " の大杉(ヤクルト)である。2人の周辺を追ってみた。


大杉勝男…「野球をやめてちょうだい」 芳子夫人は涙ぐんで訴えた。だがこの男は打席に立った。そして再び襲った不整脈。そして倒れた・・それでも来季もやるという。男・38歳の " かすみ草 " はそう簡単に引き下がれない。「ONがヒマワリでノムさんが月見草なら俺は神宮に咲くかすみ草だ」と大杉が一世一代の名台詞を吐いたのは史上5人目の通算1500打点を池谷(広島)からの20号本塁打で達成した8月21日での事だ。誇らしさの中に大杉独特のユーモアを交えたのだが、この時すでに大杉は病に侵されていた。19年目の今シーズン、キャンプでの出遅れが原因で決して順調なスタートではなかった。初スタメンは11試合目で徐々に調子を取り戻し次々と記録を達成していく事となる。

史上初となるセパ両リーグ 1000本安打(6月3日)、通算4000塁打(8月6日)、両リーグ 1000試合出場(8月8日)、そして前述の通算1500打点。大杉が身体の変調を最初に感じたのは記録達成ラッシュ中の8月2日の広島戦の試合中で昨年の夏に一度経験していた不整脈の発作だった。ただ今回は周囲に知られずに済んだ。「まずい、例のヤツだと思ったけどチームが大事な時期だったから」と不安を押し殺し翌3日は小倉、4日は広島へと移動し3連戦を何とか終えた。だが4日の試合後の大杉は他のナインが足早にベンチ裏へ引き上げるのと対照的にベンチ内の長イスにぐったりと腰を下ろしたまま苦しげな表情で動けずにいた。周囲は異変に気づく事となる。

「俺から監督に言ったんだ。しんどくてバットが振れないって」しかし大杉は試合に出続けた。ボロボロの身体を記録達成への気力だけで支えていた。そして8月8日の「両リーグ 1000試合出場」を達成した試合の途中で交代した。まだ病を公にしていなかったが試合後の「途中交代?余りに興奮し過ぎて足が縺れちゃって…」は今となると大杉の心の奥が透けて見えるようで忍びない。この頃の芳子夫人は「何もそんな身体で…。もう野球をやめて下さい」と涙ながらに何度も懇願したという。しかし大杉は試合に出続けたが遂に限界がやって来た。9月29日、広島市民球場内で発作を起こし救急車で広島県立病院に搬送され緊急入院した。帰京後の10月3日に代々木の中央鉄道病院で精密検査を受け「発作性心房細動」と診断された。

過労やストレスが発作の原因で運動は厳禁レベルの病状だった。現在は安静と軽いジョギングを繰り返し薬餌療法をしながら定期健診を受ける毎日を過ごしている。「とにかく今は治す事だけ考えている。引退?冗談じゃない、来年もやるよ」と周囲の心配をよそに時折思い出したように愛用の950g のバットを握り絞める。来年3月で39歳となる大杉にとって来季は引退を賭けてのシーズンとなるだろう。一昨年に名球会入りした打撃の職人がその集大成をファンの瞼に姿を焼き付ける。来季のシーズン第1号本塁打は史上初の両リーグ200本塁打となる。




平松政次…ホエールズのエースに君臨してきたプロ12年生の平松が今シーズン終了を目前にして揺れている。「ボロボロになってまでプレーしたくない。僕にもプライドがあるし引き際は綺麗にと常々考えてきた」 平松はユニフォームを脱ぐ時期を決めかねている。実は今年の正月、自主トレを前にして平松は「(あと8勝の)200勝出来たらユニフォームを脱ぎたい。今の力からして8勝くらいが精一杯だろう。遠くも近くもない丁度いい目標だし肩の状態もシンドイ…」と早々に引退宣言をしていた。そして開幕。キャンプで右足内転筋を痛め一軍合流が1ヶ月遅れたものの5月19日の巨人戦で初勝利を完封で飾ると球宴前の7月21日の広島戦までの2ヶ月で5勝し通算200勝達成は間近と思われた。

ところが後半戦に入るとまるで勝利の女神が平松を引退させまいとしているかのようにパタッと勝てなくなる。8月、9月を過ぎても勝ち星は挙げられず「今年はもう無理だ」と本人も半ば諦めるとその開き直りが良かったのか10月に入ると勝ち運が戻って来た。トントンと連勝しあと1勝(10月10日現在)にまで迫っている。今シーズン終了までまだ2~3回は先発する機会が残っており順調なら今年で引退は間違いのない様相になってきた。ところがここにきて引退を思い留まるよう説得する動きが出始める。先ず現場の責任者である関根監督が反対の狼煙を上げた。確かに平松の存在は大きい。今季は開幕から巨人戦は6連敗、その嫌な流れを止めたのが平松であり目下のところ平松の代役が務まる若手投手は見当たらない。更に中部オーナーまでもが「平松や辻はウチにとってまだまだ貴重な戦力。そう簡単に辞められては困る」と引退に異議を唱え始めた。

そんな現場だけでなく身内の家族からも「まだ引退は早い」と待ったの声が出た。平松ら6人兄弟を女手ひとつで育てた母親・ます江さんは「これまで何とかプロの世界でやってこられたのは監督さんはじめチームの皆さんのお蔭であるのを忘れてはいけない。それを自分の勝手だけで引退しては周囲を裏切る事になる。よく話し合ってチームに迷惑のかからない結論を出して欲しい」と。平松にとって誰よりも頭の上がらない母親の言葉だけに影響は大きい。更に「まだ子供も小さい(長女5歳・次女3歳)のでまだまだ頑張って欲しい」と洋子夫人も引退反対派。ここまで内外から引退に反対されると本人も「ウ~ン、参っちゃうねぇ」と困惑顔。

実は引退に関して平松には " 前科 " がある。昨年5月に持病である右肩痛を発症した際に遠征先の名古屋市内の宿舎で関根監督に引退を申し出ている。その時は関根監督が必死に思い留まるよう説得して事なきを得た。ただ今年は持病の肩痛に加えて精神的要素も加味されている。「目標(200勝)を達成した後の自分に自信が持てないんだ。負けても悔しくならないというか抜け殻のようになってしまうのが怖い」と不安を吐露する。目ざといマスコミ界は今季の引退を想定して早くも2社ほどが「是非ウチに」と声をかけている。オールスター戦や日本シリーズでのゲスト解説で喋りの達者ぶりは証明済みで引く手あまたなのだ。平松の決断が下されるまで大洋ファンの落ち着かない日々は続く。

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