老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

さはやかに平凡に今日終へにけり

2016-11-01 10:46:30 | 俳句
       

昨夜降った雨の粒が、秋の薔薇にきらきらと耀いている。
平凡な、まことに平凡な一日の始まり。
この平凡さこそが、幸せと理解をしている。

       

唐辛子を笊に並べ風を通している。
真っ赤。艶々とこれ以上の赤い色のものってある~。そんな真っ赤。
風に当たってちりちりと乾いて皺皺になる。保存するには乾かさなくては。深みをまして、赤色に生まれかわる。この赤色も好き。

     

お向いさんの黄色のピラカンサ。我が家の庭の山法師の赤い実。
お日さまの当たる場所のピラカンサ。お日さまが充分に当たらない山法師の実。この違い。



我が家の女王さまが窓辺でうつらうつら。


心のやすまる秋の日でなくてはならぬのだけれど、、、、わだかまっている塊りが頭から去ろうとしない。

結社の師を東京から迎えて、金毘羅で句会があった。

心臓の手術で忙しかった私は、結果がどうなるかわからぬので、参加を躊躇していた。
手術も終わり、この調子だと句会も参加ができると申し込んだ。
句会までは一ケ月以上も期間が残っていた。
金毘羅のホテルで一泊する人が対象だったらしい?全国から来る参加者30人で〆切っていると句会の参加を断わられた。
地元や近隣の句友の一日の参加の希望はことごとく全て断ったから、悪しからずとけんもほろろ。
主催をするのは、地元の香川県の人。
香川からの出席は彼を入れて二人。まったくう~う~。
句会場はホテルではなく琴平町の公民館でやるそうだ。
料理(増減は関係ないだろう) 場所が狭い(臨機応変に)
これらは私の考え。
句会に参加しなくても、見学だけでも叶わないかと云うと(前代未聞)と断られた。
主催者は前代未聞、はなからそう考えているのか、それとも結社の主宰の考えにそったことなのか?

身体の調子がその日によってかわる私にとって、琴平は車で一時間。
夫が送ってやると云ってくれていた。
遠い他府県での開催ではないから、この機会は本当の好都合であった。
気分と体の調子が良い時は琴平へもしばしば足を運ぶ。
しかし、全国からベテランが集う句会は私の見た金毘羅をどう詠むのか、師はそれをどう評するのか句会が駄目なら、見学をしたかった。


句会は終わった、と思う。
私の考えがおかしい?無理を言っているのか。
そんな結社だったのか?
そのことで悶々としている昨今。こんな穏やかな日でも、忘れようと思いつつ、とうとうブログに書いている。納得をしていないのである。私の心が狭いのか。気を紛らわすには一回、恥をさらして本音を。
なかなか、爽やかな心ではおられぬ。

     🍒     さはやかに平凡に今日終へにけり
                     鷹羽狩行選




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