老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

粟島はいいな~。よかったな~。

2016-11-07 17:01:16 | 俳句
   

赤い燈台は世界で一つ、赤いガラスでできた燈台。
向うに見えるのは、鬼が島の白い燈台。
ここは、四国高松の玄関口、高松港である。
ひっきりなしに行き交う船の数々、これをのんびりと眺めるのが私にとって至福の時間である。


「粟島にはじめてゆきました」
今朝はこのブログを読んで、何十年か昔のことが甦ってきた。
(クニャンさんの、ブログを覗いて下さい。詳しく粟島の紹介があります。)

ほんとうに、ずいぶんと昔の想い出である。
この粟島で高校三年の夏休みを十日余り過ごした。
この粟島は友人のお父上の実家があって、友人のお婆ちゃまが健在であった。
粟島へもう一人の友人と私、二人が招待された。
高校は徳島県の片田舎。
招待をしてくれた友人は今思えば、お父上は公務員であちこちと転勤をしていたようである。

高校三年と云えば、受験勉強の最中であった筈であるが、、、
極楽トンボの私は勉強は大嫌い。
友人二人もそれなりであったのであろう。
招待をしてくれた友人は学年で一番、男子生徒にもてていた。
もう一人はそれなりに、、、大学を卒業すると地方テレビ局のアナウンサーになった。
私は少し、文学少女で、華やかな彼女二人の恋の成り行きの相談役であった。
有るようでない悩み、無いようである悩み、田舎の乙女は田舎の乙女なりに、それなりに青春を謳歌していた。

粟島での十日余りの生活は楽しかった。山の中?から海辺に出かけたのであるから。新鮮で別世界であった。
今は粟島でのメインの観光の建物、粟島海員学校で、その当時は映画の上映会があった。
校庭に大きく張ったスクリーンに映画がうつされる。
運動場に茣蓙を敷き満天の星空の下で映画を観た。
今晩は花火大会が。。。、突堤に座って海を隔てた多度津の花火の見物だ。良く見える。一等の観覧席ではなかったかしら。
夜は夜光虫で海が何と表現しようか、、、、キラキラと波間で青いウミホタルが揺れる。舫い船に当たって飛び散る。岸壁に当たって砕ける。碧い光の幻想の世界が目の前で繰り広げられる。

神社の境内で野球をする。
ホームランを打つと、ボールが海に飛んでゆく。守りの少年は泳いで取りにゆく。
蛸を獲って来るのはお婆ちゃま。
お魚を釣ってくるのは友人の従弟。貝を堀りに行く。
なんと、大らかでのんびりした、全てが珍しい島での生活であった。
粟島は船員さんを輩出した島である。
訪れた時、島のご老人に英語で挨拶をされ驚いた。外国航路の船員さんが船から降りて悠々自適の生活をおくっておられたのである。

もう一度行きたいと思っていた島へ行ったのは、三年前の瀬戸芸の時。
海員学校は昔のままであったけれど、お婆ちゃまのお家は、門が閉ざされた空き家になっていた。
時を経て人が住み変わり、郷愁に浸っていたのは私ばかり。
あの少女の日を眩しく思い出す。でも、もっともっと書ききれない想い出がたくさんある。

瀬戸芸が終わって、香川の玄関口の高松港もいつもにかえる。

今日、入院した夫の病室から撮った。

     ⛵     空と海と船と燈台秋惜しむ
コメント
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