老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

一期一会のお遍路さん

2016-11-08 21:09:05 | 俳句
電車で老遍路と隣りあわせになった。
日焼けをして精悍そうではあるがかなりのお歳を召しているようだ。
どちらから、おいでですかとお尋ねすると福島から来ましたと、、、、
東北の震災のほうはと、聞いてよいものか、悪いものかと躊躇しながら聞くと、
被害はありませんでしたとの答えであった。

  >  みちのくを発つは酷暑と秋遍路

今日が家を出て45日目だと云う。

  >  肩を寄せ遍路の寝まる暖房車

これからどちらへと、お尋ねすると屋島寺へお参りすると云う。
そして、私も知っているホテルで今夜は泊まるとおっしゃる。
まだ二時ですので、八栗寺へも十分に登れるのと違いますか?、八栗から降りてホテルへ時間がたっぷりありますよね~。と云うと国分寺から歩いたので、もう今日はここまでですと奥様の方を見ながらおしゃる。
途中、栗林公園へ寄って、公園の前のうどん屋で昼をすましたが、お腹がすいてすいてとおっしゃる。

  >  うどんでは小腹すいたと遍路かな

  >  牡蠣の海故郷へ続くと遍路かな

お泊りになるホテルの前に大きなスーパーがありますよ、国道を隔てているだけですので、何でもお買い物が間に合うと思いますと云うと、それは良かったホテルは素泊まりだから早速に行きますと、だんな様が奥様に、なー と顔を覗き込みながら云っている。
旦那さまが疲れた奥様をいたわりいたわりの歩き遍路の様子である。
途中、お体の方は大丈夫でしたか?と聞くと、おかげさまで結願寺まで残すところ四ケ寺となりましたと、笑っている。

お二人の持っている遍路杖には鈴、お守り、お手製の小さな草履 等々が吊られている。
毛糸で編んだお人形など、ひょとしてお接待でどなたかからいただいたものかも知れぬ。

私のマンションは屋島寺への遍路道に沿って建っていた。
ベランダで洗濯を干していたりする時、お遍路さんが見えると作りおきの、阿波しじらの小袋にテッシュペーパーと絆創膏と僅かのお賽銭にお役たてくださいと小銭を入れて、お接待をしていた。
お遍路によると紙一枚が疲れている時は重たいと云う。
過酷な遍路修行の方もいれば、十人十色さまざまであるから、決して押し接待はやらない。

早発ちの遍路が朝まだき、夜もあけきらぬうち、遍路鈴を鳴らして通る。まいったな~、と思うこともままあった。

  >  三越から出て来る遍路秋の夕

二、三年前、発願の一番札所霊山寺でお会いしたお遍路さんは印象に残っている。
東北災害の津波で息子さんを失った。
今年退職をしてやっと念願の四国へ遍路にくる事ができた。
今日、飛行機で着いてこれから、八十八ケ所を回ります、と云う。
遍路行に必要なものを揃えて、、、、と。
紙に包んで、僅かなお金を、お接待させてもらおうとすると、いいえ人様からお金は頂けませんと云う。これはお金じゃなくてお接待の気持ちで遍路文化の一種です、これからはこんなことが歩く先々であると思いますよ、お宿を貸してくれるかも、お昼のご飯、飲み物、出来合いの果物が、、、未知との遭遇の遍路行、少しでも心が癒されるよう、お大師さまと同行二人で何か現実では推し量れぬ事があるはずである。 
どんなに個にとって辛く悲しいことであっても、公、の部分の会社組織の人間とすれば、どんなに遍路に来て、息子さんの供養がやりたくても適わなかったのであろう。
この方以外もきっとそんな事ばかり。災害の非常さは今も解決されず山積みである。

老遍路は電車でおしゃべりできて楽しかったと云ってくださってお別れをした。

  >  電車降りるや手を繋ぎ老遍路


コメント
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