☆ 鈴をふりふりお四国の土になるべく 山頭火

昨夜は 山頭火 の日記を読みながら炬燵の中で眠ってしまった。
鼻の先がむずむずとするので目が覚めた。
猫が胸の横に顔をうずめるようにして、添い寝をしてくれている。
山頭火が没する前年の昭和14年の11月の日記を紐解いていた。
あたかも今日15日のページしさしかかっていた。
山口県の風来居を去り、四国巡礼の旅に出た。
小豆島の尾崎放哉の墓に詣でて、最後の別れをして11月1日、徳島へ向かう。
5日には甲浦を過ぎて室戸岬に、
☆ おほらかにおしよせて白波
11日は高知城観覧。人さまざま世さまざま、、、身心のむなしさを感じる。、、、との記。
15日 早起、身心軽快、誰も愉快そうだ、私も愉快にならざるをえないではないか。
この感、雨の中を行乞、野宿、遍路宿に泊まったり
「四国遍路日記」が詳しくかかれている。
☆ 生きの身のいのちかなしく月澄みわたる

土佐路(四国路)は暖かだったのか、野宿が可能な温度?しかたなく
行乞放浪の山頭火は宿をとれない日は、野宿を余儀なくされたのだ。
想像?お宮&お堂の扉が開いた、、身体にこたえただろう。
いいや 山頭火は、頑丈で強靭な体力の持ち主であったに違いない。
道の辺に薺の花が咲いているを見かけたかも?小春日和。
そこは 放浪俳人の目に変わる。
18日の行乞成績は銭七十九銭、米一升三合、、、、
もらって余った米は貧しい家に分け与えたり、金は宿賃と酒にかわる。
托鉢でいただいたものを、行乞成績と云うのが何とも?
家の門に立って、頭陀袋に金やら、米を入れてもらういながら旅を続ける、山頭火がいる。
この日の日記の一節
「行乞しつつ、無言ではあるが私のよびかける言葉の一節、或る日或る家で、、、
;おかみさんよ、足を洗ふよりも心を洗いなさい、石敷を拭くよりも心を拭きなさい;
顔をうつくしくするよりまづ心をうつくしくしなさい」
山頭火の写真を見ると、毅然とした、強い意志の持ち主であるらしく、骨相にはとても貧には見えぬ。
漂白の旅に身をおき精神の浄化をはかっているとしか思えぬのである。
推して知るべし、山頭火をこの時代、誰が知っている。
物事に動じぬ、山頭火 を身なりで推し量り傷つけた人がいたのも無理はない。
この言葉。身にしむよ。
☆ わが手わが足われにあたたたかく寝る (野宿)
20日は伊予に入っている。
やっと夜が明けはじめた、いちめんの霧である、寒い寒い、手足が冷える
(土佐は温かく伊予は寒いと思う)
伊予で友人達の世話で終の棲家となる 「一草庵」 をむすぶことになる。
> 山頭火と酒とは俳句は三味一体らしい!
と書かせる。
心をうたれ、一言一句にをかみしめながら、炬燵で眠ってしまう平成のごくらくとんぼの私。
今日は例年より気温が高いらしい。
とは言え、山頭火 の旅を想像すると 複雑怪奇とも思える。
そして
「昨日までの私の生活はあまりにも放漫だった、安易すぎた、緊張せよ、精進せよ、喝。
人間、世間、深入りするなかれ。
しきりに旅を思う、、、、、」
含蓄のある人生訓であることよ。