老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

手芸は楽しい

2016-11-03 08:59:41 | 俳句
          

何日か前にもんぺを縫った。
病みつきになって、又縫った。NHKの「すてきにハンドメイド」の型紙どおりに作ると少しスマートすぎたという失敗をやらかしたので、今度は今まで使っていた、私の体型に合わして作った型紙を使って縫った。
豚さんがはくようなのが、もんぺらしいもんぺ。腰がかくれて安心してはいておれる。
比べてみると、若干いえいえ一目瞭然の違いが判る。

         

茶系統の大島紬を二枚繋いでアクセントづけた。
そもそも、私の持論は着物は体に合った寸法でもって作る。何枚、何十枚も持っていても、お袖の長さが違うだけで、ほとんど同じ型?である。着物地を使ったリメイク服も型は同じでよいと思っている。
もんぺしかり、コートしかり、ブラウスしかり、気にいればすべて同じ型紙を使って何枚でも作る。素材が違うだけで、着物の場合は帯を変えておしゃれを楽しむように、コートともんぺ、ブラウスには既成のパンツやジーパンで時、時を楽しむ。
もんぺはウエストがゴムになっているので楽で良い。チュニックはお腹が隠れて安心。
履ききれないほどの数になっている。
今日も、あれこんなの持っていたんだと思う黒い厚手木綿のもんぺを見つけた。
一回か二回履いたような記憶があるけれど、真っ新にちかい。

押入れの整理をした。
作っても作っても追いつかないほど材料がある。

俳句はこつこつと独りで楽しめるが。。。。
自選が難しく、ただ作っただけでは、もの足りない。先生の選をあおぎ、また句会で座の文芸などとも云われているので、他人の意見もきいたりする。ノートに書いて残すだけでは満足ができぬので、どうしても人とかかわらなくては駄目だ。
今回のように結社に属していながら、句会に出席を断わられたり、出てもつまらない句会があったり人間関係がついてまわる。憂とうしい。
傷つけたり、傷をつけられたり、昔のこと愛想をつかして俳句を捨てたつもりで遠ざかってしまったようなことが又繰り返されようとしている。
捨てるものが何も無い今は、強いこと。こちこち頭の爺様など無視していればいいのだ。パソコンがあれば、ぼつぼつやれるもんね。
しかし今回はこたえたな~。意識改革を余儀なくされたのだから。


そのてん、手芸は独りで、仕上がってゆく過程を楽しみながら、誰にも迷惑をかけずに趣味として没頭することができる。

製作をしても追いつけないほどの材料の山。
片っ端からくずしてゆこうと決心をした。とりあえず一重のコートにとりかかろう。
俳句も裁縫(夫が肩を凝らすと小言を云う)も程々に。


     🚡     大阪城の大き残石秋惜しむ

     🚡     木の実降る野外授業の子らの声

     🚡     さはやかや杖つく吾に頑張れと

     🚡     炉掃除の煤の天井小鳥来る

     🚡     枯れ進む古代蓮とや水臭ふ

     🚡     竹を伐る音らし芝居小屋の裏

     🚡     草紅葉美男美女なる道祖神


昨日の屋島の散歩でメモっていた。
俳句すきなんだ~な~。悩みながらも。  "(-""-)"





コメント
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