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秋山の 黄葉を茂み 迷ゐぬる
妹を求めむ 山道知らずも 柿本人麻呂
万葉歌留多に中の一枚。
妻を失った悲しみを絶唱した人麻呂晩夏の代表作の一つ。
秋山の黄葉が繁っているので道に迷ってしまった。妻を探そうにも、山道をしらないことよ。
山に葬られた妻の死を、秋山に迷ったと表現している。しかし、人麻呂はその妻のいる場所にたどりつけないと歌っている。
いかなる手段を以てしても、死というものを押し止めることはできないという、無常のことわりを歌っているのだろう。
、、、、、との解説が。
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🌰 虚栗命がけの恋に恋をして
万葉集の中の恋の歌のように、素晴らしいものではない。
ある インターネット句会 に投句して選者にちょとひっかかったと思っている。
昨晩、見つけた。
毎日 しりとり俳句を7~8句作る。一ケ月にすると200句くらいかな。その中から、これはと思うのを2、3ケ所へ投句をする。
互選の句会もある。今月は5句投句して、5句が選をされていた。
俳句にお遊びと真剣の区別はないけれど、70%までがお遊びでもって、それで本気である。
あと30%が真剣でもって本気である。
昨日は本気の方の締切日であった。電車の中で、散歩の途中で、うろうろ、きょろきょろ、季節の景色、要するに季語を探し、浮かんだ言葉を頭にインプットする。
最終的には平明で自分の言葉で、情景が目に浮かぶ句に落ち着く。
> 小豆島背に牡蠣舟が帰り来る
こんな句を投句した。見たままじゃないか、なあん~だ 。そう思う人が多いと思う。
> 実があって 名もある人
と、選者を信じて投句をしているから、この選者が俳句になっていますよと、選をしてくれるのを、ひたすら三か月間、待っているのである。真剣に。
200句の中から残るのはほんに、5句もあればいい。
くる日もくる日も作っては捨てている。
河川敷きの桜の下にはパイプのベンチがあった。
風雨にさらされても丈夫なベンチである。
夏は網目であるから涼しく、冬は熱を取らないので暖かい、すぐれもののベンチだと思った。
🍃 梢わたる風音大き小六月
🍃 小春日や活発な蝶に追い越され