だーSAN今晩は。盆を過ぎ、処暑の時期となりましたが依然猛暑が続きます。熱中症などの健康への悪影響も懸念され、又電力需要も大変大きく、先の新潟県下の震災にて原子力発電所の停止に追い込まれた首都圏では、電源調達に奔走させられた様ですね。
まあ夏場の産業には朗報でもあり、一概に嘆くべきではないかも知れませんが、やはりこれも近年の地球温暖化の影響かも知れません。
さて予告通り、今夜は少し海の話をさせて頂こうと思います。尤も普段貴方が愛し、親しんでいらす海とは少し趣が異なるかも知れませんが、どうかご一読下されば幸いです。
その海とは、静岡は浜松市南区と磐田市の境の太平洋岸の事です。ご存知かと思いますが、ここは長野県下より南へ向って流れ下った天竜川が海へと消える地点です。
同川は長野南信の諏訪湖を源流とする第1級河川で全長約213km、水源標高約760m、流域総面積約5100平方kmはほぼ当地愛知県の面積と同じ、下流域の秒当り平均流量は約135tであります。
思えば天竜川こそは、我が父祖を育んだ恩義の川だと思います。又その名称は「天へと昇る竜」を連想させ、プロ野球中日ドラゴンズを愛好し応援する我々にとり、極めてゲンの良い川であると言えます。
この夏、亡き祖父母を偲ぶ意味もあって、同川の長野県下の水源地と静岡県下の河口を訪ねてみました。まず水源地へ終戦の日の8/15に参りました。
天竜川の水源たる諏訪湖は、決して高い標高と言う訳ではありませんが、途中の中流域が山間にかかる関係で大変流れの急な所があり、その為に早くから水力発電と水資源確保の標的となりました。
戦前の1935=昭和10年頃には早くも飯田市の南方の泰阜と言う所に、最初のダムが出現します。それを皮切りに戦後、そして高度成長の時期にかけ、静岡県の山間の佐久間ダムに代表される多くの治水施設が建設されました。
今月初めにも少し触れましたが、天竜川は永らく船便による交通路として利用されて来た歴史があり、泰阜ダムの完成直後に全通したローカル鉄道飯田線の存在が、天竜川の水資源開発を後押しした皮肉な側面があるのは事実だと思います。
水源地の諏訪湖は長野の地方都市、岡谷市の街の中。諏訪湖の西岸には釜口水門と呼ばれる治水施設があり、ここが天竜川の起点であります。その余りに俗化された様相は山間の水源地の神秘さとは程遠く、見なければ良かったかな、などと思ったりしている所。初代水門は前述の泰阜ダムとほぼ同時期の完成。今の水門は2代目で、昭和最後の1988年に完成しています。
水源の水質は決して良好とは言えず、沿岸の生活排水も流れ込んでいる様で、芳しくない印象を受けました。
次にその3日後、河口へと参りました。諏訪湖より200km余、同湖へ流れ込む川を含めれば250kmを超える距離を下った流れは、遠州平野での最後の約30kmの間は我国を代表する堂々とした様相を誇り、一気に太平洋を目指します。はるか以前のまだ幼少の頃、父の車にて当時最下流の橋だった掛塚橋を渡る時に、車中より河口の模様を眺めた事はあるものの、直に訪れたのは初めてでした。
川下の幅は約1000mはあるはずですが、その数値規模を感じさせない程、思いの他小ぢんまりとした印象の河口の佇まいでした。
水質は水源地より良い位で、多くの美しい支流が本流の浄化を助けている印象です。
河口左岸には竜洋海洋公園がありますが、河口周辺は意外に俗化されておらず、昔と変わらない素朴な印象を受けました。
地元の方々は良く訪れていらす様で、私が訪ねた時も、参った磐田市の側は釣りや散策、対岸の浜松市南区の側は水上バイクなどの水遊びや、バーベキュー会などの方々で結構賑わっていましたね。沖縄近海を進む台風の影響か、波はやや高かったです。
主要な川の河口にて危険な為遊泳は禁止ですが、盆にできなかった祖父母の霊の見送りの一礼を行うに相応しい、厳粛な光景だったと思います。
思えば私も幼少期を東三河にて過し、天竜の水の恩恵を受けて育って来ています。
その水の流れの終点たる河口。何か大きな物語の終わりの光景を見ている様で心が和み、こちらは行ってみて良かったと思っている所です。
ローカル鉄道飯田線の行路は豊橋寄りの区間を除き、その大半が同川沿い。時にスリルを感じる断崖を、又時に長閑なゆったりした川沿いを走ったりします。
私の一番の好みはやはり、天竜川に沿い始める浜松市天竜区の山間から飯田市までの中程の所でしょうか。もう少し、同川の水質が向上すればもっと良い、と思いますが・・・。*(波)*
まあ夏場の産業には朗報でもあり、一概に嘆くべきではないかも知れませんが、やはりこれも近年の地球温暖化の影響かも知れません。
さて予告通り、今夜は少し海の話をさせて頂こうと思います。尤も普段貴方が愛し、親しんでいらす海とは少し趣が異なるかも知れませんが、どうかご一読下されば幸いです。
その海とは、静岡は浜松市南区と磐田市の境の太平洋岸の事です。ご存知かと思いますが、ここは長野県下より南へ向って流れ下った天竜川が海へと消える地点です。
同川は長野南信の諏訪湖を源流とする第1級河川で全長約213km、水源標高約760m、流域総面積約5100平方kmはほぼ当地愛知県の面積と同じ、下流域の秒当り平均流量は約135tであります。
思えば天竜川こそは、我が父祖を育んだ恩義の川だと思います。又その名称は「天へと昇る竜」を連想させ、プロ野球中日ドラゴンズを愛好し応援する我々にとり、極めてゲンの良い川であると言えます。
この夏、亡き祖父母を偲ぶ意味もあって、同川の長野県下の水源地と静岡県下の河口を訪ねてみました。まず水源地へ終戦の日の8/15に参りました。
天竜川の水源たる諏訪湖は、決して高い標高と言う訳ではありませんが、途中の中流域が山間にかかる関係で大変流れの急な所があり、その為に早くから水力発電と水資源確保の標的となりました。
戦前の1935=昭和10年頃には早くも飯田市の南方の泰阜と言う所に、最初のダムが出現します。それを皮切りに戦後、そして高度成長の時期にかけ、静岡県の山間の佐久間ダムに代表される多くの治水施設が建設されました。
今月初めにも少し触れましたが、天竜川は永らく船便による交通路として利用されて来た歴史があり、泰阜ダムの完成直後に全通したローカル鉄道飯田線の存在が、天竜川の水資源開発を後押しした皮肉な側面があるのは事実だと思います。
水源地の諏訪湖は長野の地方都市、岡谷市の街の中。諏訪湖の西岸には釜口水門と呼ばれる治水施設があり、ここが天竜川の起点であります。その余りに俗化された様相は山間の水源地の神秘さとは程遠く、見なければ良かったかな、などと思ったりしている所。初代水門は前述の泰阜ダムとほぼ同時期の完成。今の水門は2代目で、昭和最後の1988年に完成しています。
水源の水質は決して良好とは言えず、沿岸の生活排水も流れ込んでいる様で、芳しくない印象を受けました。
次にその3日後、河口へと参りました。諏訪湖より200km余、同湖へ流れ込む川を含めれば250kmを超える距離を下った流れは、遠州平野での最後の約30kmの間は我国を代表する堂々とした様相を誇り、一気に太平洋を目指します。はるか以前のまだ幼少の頃、父の車にて当時最下流の橋だった掛塚橋を渡る時に、車中より河口の模様を眺めた事はあるものの、直に訪れたのは初めてでした。
川下の幅は約1000mはあるはずですが、その数値規模を感じさせない程、思いの他小ぢんまりとした印象の河口の佇まいでした。
水質は水源地より良い位で、多くの美しい支流が本流の浄化を助けている印象です。
河口左岸には竜洋海洋公園がありますが、河口周辺は意外に俗化されておらず、昔と変わらない素朴な印象を受けました。
地元の方々は良く訪れていらす様で、私が訪ねた時も、参った磐田市の側は釣りや散策、対岸の浜松市南区の側は水上バイクなどの水遊びや、バーベキュー会などの方々で結構賑わっていましたね。沖縄近海を進む台風の影響か、波はやや高かったです。
主要な川の河口にて危険な為遊泳は禁止ですが、盆にできなかった祖父母の霊の見送りの一礼を行うに相応しい、厳粛な光景だったと思います。
思えば私も幼少期を東三河にて過し、天竜の水の恩恵を受けて育って来ています。
その水の流れの終点たる河口。何か大きな物語の終わりの光景を見ている様で心が和み、こちらは行ってみて良かったと思っている所です。
ローカル鉄道飯田線の行路は豊橋寄りの区間を除き、その大半が同川沿い。時にスリルを感じる断崖を、又時に長閑なゆったりした川沿いを走ったりします。
私の一番の好みはやはり、天竜川に沿い始める浜松市天竜区の山間から飯田市までの中程の所でしょうか。もう少し、同川の水質が向上すればもっと良い、と思いますが・・・。*(波)*