大橋巨泉さんが逝去された。拙餓鬼時分より、TV司会の巨人であった。まずは、先般逝かれた放送作家 永 六輔さんと共に、一言哀悼の意を表したい。
「野球は巨人 司会は巨泉」のキャッチ・コピーは、俺個人は決して頂けるものではないが、高度成長以降の昭和期の、多くのTV番組の司会進行を担い、その多くが高評価を得た功績には、やはり一渡りの敬意を表さない訳には参らないだろう。
俺にとっての一番の思い出は、何と言っても思春期に差し掛かった大阪万博の前後、1969=昭和44年秋から数年間、主にプロ野球オフ期、数年間に亘り放映された「ゲバゲバ90分」のシリーズが大きくある。こちらも、亡き前田武彦さんとの軽妙な進行は心地良く、又、一番組に100本は挿入されていたと聞く、短いコントも無駄のない練られたストーリー展開で、見ていて楽しかった記憶がある。後は、成人後に親しむ事となる「11PM」やビートこと北野 武さん、K・ギルバートさんも出演された「世界まるごとHowマッチ」と言った所か。それと、拙十代の頃には、民放ラジオで音楽番組司会進行を担当された事もある。
政治社会の思想面では、やや立ち位置の違いも感じはしたが、優れたバランス思考と各方面の豊富な知識、それに「場」を弁えた、洗練された物事の流れを見られる「眼力」などが、この方の大きな武器だった様に思う。少なくとも、TVなどのメディアにおいては、目立った敵がおらず、本当は「気障な」風情があるのだが、余りそれを嫌味に感じる事がなかったのも事実。勿論、受け取り手により好悪はあるだろうが、大橋さんの軌跡は、悪く見ても「それはそれで好い」レベルだったのではと心得る。
大橋さんと政治の関わりは、今世紀初めの国政選挙にあったのだが、これは余り芳しいものでなかったのは事実だ。確か2001=平成13年の参院選、民主党より立候補して当選されたは良いが、当時の民主執行部との、主に安保政策に関する方向性の違いを理由に、短期間で辞任された様だ。この間の経緯は割愛するが、余り芳しいものでなかった様なのは事実で、正直「政治家には向かない方」だったのではと心得る。もう一つ、各方面から批判やむなしと言う所だが、振り返ると共産勢力にやや甘かった印象が付き纏うのも事実である。
大橋さんの訃報と対比して、どうも気になるのが東京都知事選に出馬中の、鳥越俊太郎候補の動静だ。思考の右左はさし置くとして、幾ら請われたからと言って、もう70代の高齢にして、過去数回に亘る癌手術を経て消耗しきった健康面が、仮に当選としても、向こう四年間に亘る、都知事の激務に耐えられるとは到底思えない。候補者の討論では、健康面を懸念された小池百合子候補に対し「癌サバイバー差別」などと反撃に出たそうだが、有権者の受ける芳しくない印象は如何ともし難いのではないか。
もし、大橋さんが鳥越候補のお立場で、健康面も同等なら、例え四野党連携の立候補要請でも、果たして受けられたかどうか。大橋さんは、強過ぎる自己顕示欲が如何に大きな弊害をもたらすかを良く理解されていたと思うのだ。鳥越候補は、その辺の受け止めがどうなのか?ちょっと疑問に思う。まあ「晩節を汚す」事となりかねないのは事実だろう。
今朝の某週刊誌記事などは、鳥越候補にも女性問題疑惑がある記事を掲げ、同候補側は、それに対する名誉棄損容疑で抗議、並びに刑事告訴へ動くとかだが、本当に身に覚えがないのか、謙虚に振り返る位の余裕は必要だろう。政治思考面は近くても、大橋さんにはできて、鳥越候補にはできなさそうなのが、残念な所ではある。
今回画像は、拙居所からも遠くない、JR東海道線の堀川渡河の様子。今頃は、この様なヒメヒマワリの開花も見られます。すぐ左には、大橋さんが生前愛した、競馬のJRA場外売場もある所。俺は、余り賭け事(ギャンブル)は嗜まない方だが、同氏から聞いた至言が一つある。曰く「ギャンブルは、レジャーだ」つまり、賭け事はあくまで余暇であり、命を、生活を賭けてのめり込む事ではないとの意味だろう。晩節になっても、賭け事が過ぎて身持ちを崩す者は少なくない。この言葉は、俺にとって自戒の意味もあります。
大橋さんは又、ジャズ音楽にも深い造詣があったとかで、令嬢 美加さんはジャズ歌手であるとも聞いています。紹介中の巨匠 渡辺貞夫さんの今回楽曲は、大橋さんへの鎮魂の意も込めて「ノスタルジア(Nostalgia)」下記アドから視聴できます。