だーSAN今晩は。今日は久し振りのコメント有難うございます。今夜の拙記事は、勝手ながら貴方宛ての伝言調とさせて頂いております。
今月記事は、我が身近な憧れである東海道新幹線に関する雑感と、今夏主戦の座を降りた名古屋鉄道の名物電車「パノラマカー」の思い出話を軸に進めようと思っております。
前回まででは、主に東海道新幹線誕生の経緯に触れて参りましたが、今夜は東海道新幹線を走った列車々両の事を少し記せればと思います。
東海道新幹線と言えば、まず思い出されるのが初代車両0系ではないでしょうか。
1964=昭和39年の初登場以来実に20年以上に亘り生産され、11年目の1975=同50年春よりは行動範囲を九州博多へと広げ、本当に東奔西走の日々でした。
あたかも地上に舞い降りた飛行機が翼を脱いだ様な明快な表情。当時200km/H超で速く走るにはこの形しかない、と思わせる程の説得力だったのを覚えています。
それでいて車内は速度を上げてもあくまで静か。低い声での会話も十分にでき、それまでの列車とは段違いの居住性でした。座席は当初の1等が完全なリクライニング席、2等は最初、方向のみ換えられる転換式で、後に簡易リクライニング席に更新されたと記憶しています。この席は3列側が向きを換えられず、前後の席が半々の割合で反対側を向く集団離反式と呼ばれる配列でありました。
白を基調とし、窓周りと裾にコバルト・ブルーと呼ばれる清澄な青を配した鮮烈でスピード感溢れる外装も、0系が最初でした。
尤も外部面をも考えると、負の側面がなかった訳ではありません。
高速時の風切り音が大きく、特にトンネルや市街地などでその影響が大きかった様です。当地名古屋は東京周辺と異なり、市街地での速度制限の適用から漏れた為、この音が周辺に悪影響を及ぼし、有名な新幹線騒音公害問題を生じてしまいました。
当時、1970=昭和45年頃は高度成長時代。何よりも速度と効率が優先されました。だーSANが良くご存じの車の世界でも大変革がありましたよね。
そう、東名・名神の両道路に代表される高速自動車国道が本格的に整備され、全国へと延びて行った時期でもあります。
その様な中である程度予想された事とは言え、沿線住民の平穏な生活を脅かすこの様な事態があった事は遺憾であり、乗り物愛好者の私としても、良く覚えておく必要があると思うのです。東京地区での速度規制を、多少所要時間が増しても名古屋でも適用すべきだったでしょう。
戦争と平和の歴史を語る時もそうですが、物事は1枚のカードの表と裏なんですね。やはりそうした負の事共にも目を向けるべきと改めて思っている所です。
1985=昭和60年には0系の後継車、100系が出現。この車両は0系の良き印象を受け継ぎながら車内の居住性をより改善、0系ではできなかったリクライニング式普通席の3列側の方向転換を可能にしています。
又、編成の中間に位置する旧1等のグリーン車と当時あった食堂車を2階式として眺望を確保、階下にはプライバシー優先の個室と食道の厨房が設備されていたとされます。
再び速度、効率が優先され始めた最近の新幹線にも是非再び採用願いたい楽しい空間だったと思います。
平成期に入ると、現在も快走を続ける最新の顔ぶれが姿を現します。
1992=平成4年に東海道路線で初めて270km/H走行を実現した初代「のぞみ」の300系、JR西日本独創のグレー基調の外観にてスピード感溢れる500系(1997=同9年登場)、速さと居住性の両立を目指した700系(1999=同11年登場)、そして昨夏登場した最初の21世紀モデルN700系、と魅力の精鋭が続く訳ですね。
ちと残念な食堂車の廃止、物議を醸す全面禁煙席化など、今後へ向けて議論検討すべき課題も多い新幹線の車両ですが、速度と安全の両性能はモデル・チェンジ毎に確実に進歩している様です。
新しい車両では、0系の頃より前端のノーズ部分が延び、高さが低くなっている様に見受けられます。
空を飛ぶ飛行機と地上を高速で走るF-1レース・カーの前頭形状が異なる様に、新幹線も時を経るにつれ、地上をより速く、静かに走れる様適応力を磨いて来たと言う事でしょう。
新しいN700系の快進撃と、今後どんな魅力の車両が現れるか、大いに注目して参りたく思います。
P.S 次回は8/16(土)~に掲載します。次回から少しの間、過日も触れた名古屋鉄道「パノラマカー」の記事を載せる予定です。*(新幹線)*
今月記事は、我が身近な憧れである東海道新幹線に関する雑感と、今夏主戦の座を降りた名古屋鉄道の名物電車「パノラマカー」の思い出話を軸に進めようと思っております。
前回まででは、主に東海道新幹線誕生の経緯に触れて参りましたが、今夜は東海道新幹線を走った列車々両の事を少し記せればと思います。
東海道新幹線と言えば、まず思い出されるのが初代車両0系ではないでしょうか。
1964=昭和39年の初登場以来実に20年以上に亘り生産され、11年目の1975=同50年春よりは行動範囲を九州博多へと広げ、本当に東奔西走の日々でした。
あたかも地上に舞い降りた飛行機が翼を脱いだ様な明快な表情。当時200km/H超で速く走るにはこの形しかない、と思わせる程の説得力だったのを覚えています。
それでいて車内は速度を上げてもあくまで静か。低い声での会話も十分にでき、それまでの列車とは段違いの居住性でした。座席は当初の1等が完全なリクライニング席、2等は最初、方向のみ換えられる転換式で、後に簡易リクライニング席に更新されたと記憶しています。この席は3列側が向きを換えられず、前後の席が半々の割合で反対側を向く集団離反式と呼ばれる配列でありました。
白を基調とし、窓周りと裾にコバルト・ブルーと呼ばれる清澄な青を配した鮮烈でスピード感溢れる外装も、0系が最初でした。
尤も外部面をも考えると、負の側面がなかった訳ではありません。
高速時の風切り音が大きく、特にトンネルや市街地などでその影響が大きかった様です。当地名古屋は東京周辺と異なり、市街地での速度制限の適用から漏れた為、この音が周辺に悪影響を及ぼし、有名な新幹線騒音公害問題を生じてしまいました。
当時、1970=昭和45年頃は高度成長時代。何よりも速度と効率が優先されました。だーSANが良くご存じの車の世界でも大変革がありましたよね。
そう、東名・名神の両道路に代表される高速自動車国道が本格的に整備され、全国へと延びて行った時期でもあります。
その様な中である程度予想された事とは言え、沿線住民の平穏な生活を脅かすこの様な事態があった事は遺憾であり、乗り物愛好者の私としても、良く覚えておく必要があると思うのです。東京地区での速度規制を、多少所要時間が増しても名古屋でも適用すべきだったでしょう。
戦争と平和の歴史を語る時もそうですが、物事は1枚のカードの表と裏なんですね。やはりそうした負の事共にも目を向けるべきと改めて思っている所です。
1985=昭和60年には0系の後継車、100系が出現。この車両は0系の良き印象を受け継ぎながら車内の居住性をより改善、0系ではできなかったリクライニング式普通席の3列側の方向転換を可能にしています。
又、編成の中間に位置する旧1等のグリーン車と当時あった食堂車を2階式として眺望を確保、階下にはプライバシー優先の個室と食道の厨房が設備されていたとされます。
再び速度、効率が優先され始めた最近の新幹線にも是非再び採用願いたい楽しい空間だったと思います。
平成期に入ると、現在も快走を続ける最新の顔ぶれが姿を現します。
1992=平成4年に東海道路線で初めて270km/H走行を実現した初代「のぞみ」の300系、JR西日本独創のグレー基調の外観にてスピード感溢れる500系(1997=同9年登場)、速さと居住性の両立を目指した700系(1999=同11年登場)、そして昨夏登場した最初の21世紀モデルN700系、と魅力の精鋭が続く訳ですね。
ちと残念な食堂車の廃止、物議を醸す全面禁煙席化など、今後へ向けて議論検討すべき課題も多い新幹線の車両ですが、速度と安全の両性能はモデル・チェンジ毎に確実に進歩している様です。
新しい車両では、0系の頃より前端のノーズ部分が延び、高さが低くなっている様に見受けられます。
空を飛ぶ飛行機と地上を高速で走るF-1レース・カーの前頭形状が異なる様に、新幹線も時を経るにつれ、地上をより速く、静かに走れる様適応力を磨いて来たと言う事でしょう。
新しいN700系の快進撃と、今後どんな魅力の車両が現れるか、大いに注目して参りたく思います。
P.S 次回は8/16(土)~に掲載します。次回から少しの間、過日も触れた名古屋鉄道「パノラマカー」の記事を載せる予定です。*(新幹線)*